読解力アップ
論文と文学・比較分析
語彙の量は「論文」のほうが多い。
したがって「読解力を養うには、文学作品より論文の方がいい」といわれていました。
が、
昨年おこなわれたPISAの調査では、最も読解力が高かったのは「小説や物語」などの文学作品を読んだグループでした。
それはなぜなのか
論文の特徴解釈は1つ
論文は「要するに何」が正確に伝わらなくてはなりません。
いろいろな解釈ができて、読み手が誤解しかねない内容では、論文とは呼べません。
どのような読み解き方をしても「結論は一つ」それが論文の大原則です。
文学の特徴さまざまな解釈が存在
もっとも伝えたいこと、もっとも肝心なことを直接書かず、必ず間接的に表現するのが「文学的な表現」です。
たとえば「うれしい体験をした」ことを文章にするときは、「うれしい体験をした」という文を決して書かずに、「足どりも軽く、心も体も弾(はず)んでいた。すべてのものが輝いてみえた」のように、細部の描写のみを積み重ねて「うれしい体験」を表現していくのが文学作品です。
つまりそれって
恋愛小説でアツアツのカップルたちの囁(ささや)く、あま~い「バカ」は、アイシテル。「だめ」は「もっと」という意味とおんなじだってことですネ。*1
ハッキリ書かないからこそ、解釈もさまざま
演劇の台本は間接的な表現が少なくありません。よって台本の読み解きをアップさせるには文学作品が有効でしょう。
しかしフリートークを向上させるには、語彙力を上げるのが有効です。文学と論文、どちらにも一長一短がありますね。
論文と文学作品の長所と短所をしっかり把握して、バランスよく。
参考文献
13歳からの作文・小論文ノート PHP研究所
櫻の樹の下には
桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている!
公園の砂場には地雷が埋まっている!
ネコ型地雷
櫻の樹の下には と 桜の森の満開の下
「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている」で始まる、梶井基次郎の「櫻の樹の下には」は、インターネットの図書館 青空文庫 で誰でも【無料】で読めますよ。
「人さらいに子どもをさらわれた母親が、桜の花の満開の下で狂い死にして花びらに埋まってしまう」坂口 安吾の「桜の森の満開の下」も、青空文庫で無料で読めます。
桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子(だんご)をたべて浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖(おそろ)しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。
たしかに妖(あや)しい文学の魔力に満ちあふれた作品ですね。
こうして読み解け!
昔話の特徴に【痛さは描写しない】という大原則がある。*1
だから残酷な描写があっても昔話は怖く感じないんだ。【注】ただし近年改作された、やたら残酷性を強調した昔話はべつだぞ。
実は、この作品もその法則を使っていると考えられる。
「桜の森の満開の下」に人を殺す場面はふんだんにあるが、「被害者があまりの痛みに転げまわって苦しんだ」みたいな描写はいっさいない。
また被害者の視点からの「殺される恐怖にふるえる、涙が止まらない」などという感情描写もまったくない。
そこが残酷さだけがウリの猟奇小説と、坂口安吾の文学性との違いだ。
心の中の葛藤が、緻密(ちみつ)に描かれているのは、主人公の山賊だ。
反対に、女は「首遊び」をするが、なぜそんなことをするのか、なんで楽しいのか、まったくの謎だ。女の【心の闇】にはいっさいふれていない。
だから首遊びの場面は、残酷だが怖さはないし不快にもならない。
そういう視点をもって読んでみろ。文学を読み解くとはそういうことだ。
視点がふえると、見えるものがまったく変わってくるよ。
参考文献
ヨーロッパの昔話その形と本質 岩波文庫
働くお父さんの昔話入門 日本経済新聞社
*1:
女主人公の手や腕が切りとられたばあい、または馬が狼に脚を喰いちぎられたばあい、そういうばあいにも血が流れるわけではないし、ほんとうの意味での外傷ができるわけでもない。
すなわち三本脚の馬も全然脚をひきずったりしないで四本脚の馬とおなじ速度で走る。
「七羽のからす」というグリム童話[25番]ではガラス山へやってきた妹のことが次のように書かれている。
「さてどうやったらいいだろう?その子はお兄さんたちを救い出したかった。しかもガラス山の鍵はもっていない。この心やさしい妹はナイフをとりだして自分のかわいい指を一本切りおとした。そしてその指を門にさしこんでうまいぐあいに門を開けた。その子が入っていくと、ひとりのこびとが出迎えてくれた」。
――というわけで肉体的あるいは精神的苦痛を暗示するようなことばはひとつもない。
ドイツのべつな昔話にもおなじようなことがある。
「このピンチに若者は指輪をすぐはずそうとしたが、もう抜けなかった。そこで彼はすばやくナイフをとりだし指輪を指もろとも切りおとして、近くにあった大きな池に投げこんだ。それから彼は、その池のまわりをぐるぐる走りまわりながら大声でどなった。「ぼくはここにいるぞ!ぼくはここにいるぞ!」」。
悪者がこらしめられて灼熱の靴をはいて踊らなければならないばあいにも、あるいは釘をうちつけた樽につめられて、山からころがり落とされるばあいにも、苦しいうめき声は聞こえてこない。
ヨーロッパの昔話その形と本質 岩波文庫より
ガメラとドラゴンボール共通点
最初は、ライバルや敵として登場したキャラが、主人公と信頼関係で結ばれていく物語は、アニメの世界ではよくあります。
「ドラゴンボール」は、まさにそういうお話です。ていうか少年ジャンプ系の作品はそうですね。
それと共通する人間関係を【大人向けの怪獣映画】として知られる「平成ガメラシリーズ」にも見ることができます。
ガメラ大怪獣空中決戦
鳥類学者、長峰 真弓(ながみねまゆみ)【演:中山忍】は、政府の対策本部の責任者・斎藤審議官【演:本田博太郎】と、ことあるごとに対立します。敵対関係です。
ギャオスの危険性をうったえる長峰の主張は、「ギャオスは保護、ガメラは抹殺」という政府の方針とまったく相容れることがありません。
しかし物語が進むにつれて、ギャオスの危険性が増大し、政府の方針が突然変わったため、斎藤審議官は梯子(はしご)を外(はず)されてしまうんです。
それが第一作です。
ガメラ3邪神<イリス>覚醒
日本政府の「巨大生物被害対策会議」でふたたび顔を合わせた長峰と斎藤審議官ですが、(おたがいに気まずさは残っているものの) 今回の斎藤審議官は、長峰の協力者として描かれています。
鳥類学者としてギャオスを追い続ける長峰ですが、民間人であるため、どうしてもここぞという肝心な情報が不足してしまいます。
それを手助けするのが政府関係者の斎藤審議官なんですね。
少年ジャンプと違うのは、長峰と斎藤審議官は「友情・友愛」では結ばれません。大切な「協力者」ではありますが、長峰さんにとって斎藤審議官は、やっぱり苦手な人なようです。
因(ちな)みにガメラの第二作目には、二人は登場していません。
ガメラシリーズは、ちょっと視点を変えれば「ライバルと友情を築く」という少年ジャンプの設定を大人向けに解釈した作品である、と考えられなくもありません。
敵対して対立するばかりが能じゃありません。
友好関係を築くことが望ましいのはいうまでもありませんが、それができないまでも、お互いに協力していくことは必要だと思います。
対立して分断するのではなく、協力を。いい世の中になってほしいですね。それでは、また。
超ひも理論
あ・・・おねえさん。今日は何を教えてくれるんですか。
ふっふっふ…聞いておどろけ。
超ひも理論って「パラレルワールド」*1を予測した、宇宙は単一のユニバースではなく【10の500乗個】の宇宙「マルチバース」があるっていう
そう。
この世界は、縦・横・高さの「3次元空間」ではなく「9次元空間」*2
だっていう、あの
・・・そ、そう。
一般相対性理論と量子論を統合した「究極の理論」の有力候補といわれる、あの
なんか王子さま、メッチャくわしくない
超ひも理論とは
自然界をつくりだす“最小部品”を「素粒子」といいます。
物質をどんどん細かく分割していき、最後にたどりつくと考えられている究極に小さい粒子が「素粒子」です。
この素粒子を細長い「ひも」だと考える理論こそ、「超ひも理論」【超弦(ちょうげん)理論】です。
超ひも理論のひもの長さは、理論的には1ミリメートルの100億分の1の、さらに1000億分の1ほどしかないと考えられています。現在の技術では観測できないほど小さいのです。
1個の原子の大きさを、私たちの住む銀河の大きさだとしたら、
ひもの長さはアリの大きさ程度です。
ひもは想像を絶するほど小さいのです。超ひも理論では、人間の体も、テレビのような人工物も、太陽のような天体も、ありとあらゆるものは、無数のひもの集まりだと考えます。
ただし、素粒子がひもでできているという証拠は、みつかっていません。超ひも理論が正しい理論であるという確認がまだとれていないのです。
超ひも理論は、この世界の根本原理にせまる理論だといわれていますが、いまだ完成しておらず、数多くの科学者たちが今まさに研究を進めているんです。
素粒子が点だと問題があった
そもそもなぜ、素粒子の正体をひもだと考える必要があるのでしょうか。
物理学では伝統的に、素粒子を大きさのない「点」とみなしてきました。ところが素粒子が点だと考えた場合、理論と現実との間に矛盾が生じてしまうのです。*3
標準理論【くりこみ理論】の限界
素粒子に大きさをもたせるのではなく、大きさのない点だとしても矛盾を生じさせないようにする計算方法が、1940年代に提案されました。「くりこみ理論」です。素粒子物理学は「素粒子=点」という前提のもと大いに発展していきました。
そして1970年代に「標準理論 (標準模型、標準モデル)」とよばれる、現在の素粒子物理学の基本的な枠組みがほぼできあがりました。
ところが、1980年代に入り、標準理論の“限界”が見え始めます。それは「重力」の問題です。
重力を計算できない
現在、自然界には「電磁気力」「弱い力」「強い力」、そして「重力」という4つの基本的な力が存在することが明らかになっています。*4
しかし標準理論では、「電磁気力」「弱い力」「強い力」については、いっしょに計算することができるのですが、どうしても「重力」を合わせて計算することができないのです。
この標準理論の限界を突破する可能性を秘めた理論が「超ひも理論」です。
究極の理論
現代の科学者たちは、「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」これら四つの力のすべてを、たった一つの力として説明することをめざしています。その完成は物理学者たちの究極の夢なのです。
四つの力を統合した理論は、この世界のさまざまな現象を、簡単に理解できる「究極の理論」だといえます。
究極の理論の完成に向けた大きな課題は、重力にあります。
「量子論」と「一般相対性理論」という二つの理論が統合できていないせいで、重力をうまくあつかうことができないのです。
アインシュタインの相対性理論は正しいが、万能ではない
2大理論の守備範囲
主に素粒子のような ミクロなサイズを対象とします。 |
|
主に広大な宇宙のような マクロなサイズを対象とします。 |
量子論とは、素粒子のような、ミクロな世界を支配する物理法則についての理論です。*5
一方、一般相対性理論は、重力についての理論です。*6 主に天体のような大きな<マクロな>スケールでの重力をあつかう理論です。
二つの理論を同時にあつかおうとすると、計算が破たんしてしまいます。
アインシュタインの一般相対性理論で、ミクロな世界での重力を計算しようとすると、計算が破たんしてしまいます。
アインシュタインの理論は正しいけれど万能ではないんです。ミクロな世界では、量子論にもとづいて重力を考えなくてはなりません。
だからこそ量子論と一般相対性理論を統合したような理論が必要になるのです。その有力候補こそ超ひも理論なのですね。
今日は、いろいろ教えていただいてありがとうございました。
王子さまは学校でなんの勉強をしてるの。
M理論です。
超ひも理論には、タイプⅠ、タイプⅡA、タイプⅡB、ヘテロティックSO(32),ヘテロティックE8×E8という五つの種類があります。
エドワード・ウィッテンは、さらにこれら五つの理論の上に立つ「真の究極理論」があるはずだと考え、この理論を「M理論」とよびました。
ただしM理論は、いまだその実態さえはっきりとわかっておらず、ほんとうに「真の究極理論」になり得るかもわかっていません。
現在では「超ひも理論」という言葉は、五種類の超ひも理論にM理論も加えて、より広い意味で使われています。
超ひも理論の「超」とは
超ひも理論の「超」は、単に「すごい」という意味ではない。「超対称性粒子」に由来しているんだ。
超ひも理論の原型となるアイデア「ハドロンのひもモデル」は1960年代後半に登場した。そこに「超対称性」を導入し、ひもの理論が進化してできたのが超ひも理論だ。
重力子は、まだ見つかっていない
素粒子は、現在までに、電子ニュートリノ、クォーク、光子、ヒッグス粒子など17種類が見つかっている。*7
実は、超ひも理論の「超」に由来する「超対称性粒子」も、すべて未発見だ。
素粒子がほんとうに超対称性をもつかどうかは、まだ確認されていないというのが現状だ。
超ひも理論は、完成に向けて研究がつづけられている理論なんだね。*8
参考文献
*1:
パラレルワールド【平行宇宙】
ブレーンワールド仮説では、私たちがいる空間を、高次元空間に浮かんだ3次元のブレーンと考えます。
ブレーンとは?
超ひも理論の研究が進んだ結果、ひもが広がったような“2次元の膜”が、ひもと同様に存在しているらしいことがわかりました。
この膜を「ブレーン」といいます。
ブレーンは、膜を意味する英語であるメンブレーンに由来します。
言葉の由来は2次元の膜ですが、超ひも理論においては、3次元や4次元、果ては9次元に広がるブレーンも存在するのだといいます。そして1次元のブレーンがひもです。
超ひも理論では、私たちが住む宇宙とは、別の宇宙<別のブレーン>が存在するかもしれないと考えられています。
パラレルワールド【平行宇宙】です。
つまり、宇宙が複数存在するかもしれないのです。ほかのブレーンに閉じ込められた“別の宇宙”は、わたしたちの宇宙と同じように星や銀河が存在するかもしれないし、あるいは全くべつの姿をしているかもしれません。ブレーンごとにさまざまな可能性が考えられます。
また、そもそも私たちの住む宇宙とほかの宇宙が、まったく別の高次元空間にある可能性も考えられています。
超ひも理論にもとづいた計算を行うと、こうした物理定数や物理法則のありうるパターンの数は、少なくとも10の500乗通りあることがわかりました。
これは、10の500乗通りの宇宙が存在できることを意味しています。
そしてなんと、複数のブレーン<宇宙>は、重力によってたがいに引き寄せあって接近し、やがて衝突することもありえるといいます。
2001年に提唱された「エキピロティック宇宙モデル」では、宇宙の始まりである「ビッグバン」を、2枚のブレーン<宇宙>による衝突として説明しています。
「エキピロティック宇宙」とよばれるモデルでは、平行な2つのブレーン<宇宙>を含む複数の宇宙<マルチバース>が想定されています。
平行な2枚のブレーン<宇宙>が衝突すると、素粒子の熱い火の玉がつくられます。この火の玉がビッグバンに相当し、私たちの宇宙に物質や構造をもたらしたと考えます。
このモデルは、ビッグバンがおきる前に、私たちのブレーン<宇宙>がすでに存在していたことになり、従来の宇宙論と<注:ビッグバンモデルとは>考えかたが根底からことなります。
【従来の宇宙論】
「ビッグバン・モデル」
ビッグバン以前には時間は存在しなかった。そして、ビッグバン以前には何ごとも起こらなかった。
ビッグバン以前に何が起こったかと尋ねることは、南極の南は何かと尋ねるようなものである。
「振動宇宙モデル」
振動モデルはカール・セーガンが「サイエンス・アドベンチャー」の『ゴットと亀』と題した章で物語った「どこまでいっても亀だ」式の解答によって、最初の原因を回避する。
この章でセーガンは昔の旅人の話を語る。彼は偉大な哲学者に出会い、「世界はどうなっているのか」と尋ねる。
「それは大きな球で、世界亀の背にのっているのじゃ」
「ふーむ。ですが世界亀はどこに立っているんです?」
「ああ、もっと大きな亀の上じゃ」
「なるほど。ではその亀はどこに立っているんですか?」
「鋭い問いじゃな。だが役には立たんよ、お若いの。どこまで行っても亀なんじゃからの」
したがって振動モデルでは、何が宇宙の原因かの答えは「その前の宇宙の崩壊」となる。
宇宙の原因は何か?よろしい、その前の宇宙だ――心配ない。それはどこまでいっても宇宙なのだ。
振動モデルでは、無限回の膨張・収縮サイクルが<宇宙>を形作る。
宇宙は時間にそって真珠をひもで連ねたように、無数のビッグバン・モデルで構成されている。
「宇宙は過去にさかのぼって無限に存在しているため、最初の原因などない」それが振動モデルの理論です。
*2:
次元については、異なる見解も存在します。
プリンストン大学宇宙物理学教授、J・リチャード・ゴットは著書「時間旅行者のための基礎知識」で、こう述べています。
われわれの宇宙は四次元である――空間の三次元と時間の一次元だ。H・G・ウェルズは時間次元をたんなる空間次元の一つのように考えたが、彼は間違っていた。
頁71
超ひも理論は、宇宙には11個の次元があるとほのめかしている――マクロな時間の次元が一つ、マクロな空間の次元が三つ、そしてそれぞれが周囲ほぼ10の33乗センチメートル巻き上げられた空間の次元が七つである。
頁82
参考文献
時間旅行者のための基礎知識 草思社
「四次元時空」とは
実際われわれが住んでいるのは、タテヨコ高さの3つの方向の自由度をもつ3次元空間である。
一方、時間は、過去・現在・未来というひとつの方向しかないという意味で、1次元として考えていいだろう。
アインシュタインの登場以前は、時間と空間は、まったく別な実体だと思われていた。
しかし、アインシュタインが導入した光速度不変の原理によって、一見まったく性質が違うようにみえる1次元の時間と3次元の空間は、実は別々のモノではなく、ひとつのまとまった実体として扱えることがわかった。
それを「4次元時空」とか「4次元時空連続体」などと呼んでいる。
頁82
参考文献
アインシュタインの宿題 大和書房
今回のブログは「最強に面白い!超ひも理論 ニュートンプレス」の見解を参考に作成させていただきました。
*3:
そもそもなぜ、素粒子の正体をひもだと考える必要があるのでしょうか。
物理学では伝統的に、素粒子を大きさのない「点」とみなしてきました。
ところがそのように考えた場合、物理学の計算をする上で問題が生じてしまいます。
たとえば、素粒子である電子は、マイナスの電気をおびています。プラスの電気をおびたものとは引き合い、逆にマイナスの電気をおびたものとは反発します。
このときにはたらく力を「電磁気力」といいます。電磁気力は二つの物体の距離が近いほど強くなります。
電子が点だと、動くことができなくなる
実は、電子がおよぼす電磁気力は、発信源である自分自身にもはたらきます。
電子が大きさをもたない点だとすると、電磁気力の発信源である自分自身との距離はゼロです。
すると計算上、電磁気力が無限大になってしまうのです。
電子に無限大の電磁気力が加わると、結果的にその電子は無限大のエネルギーをもつ(=質量が無限大である)ことになります。
これでは、重すぎて動くことができず、電気はいっさい流れないことになります。
電子(素粒子)が点だと考えると、理論と現実との間に矛盾が生じるのです。
*4:
私たちの住む地球、太陽系、そして広大な宇宙には、基本的な四つの力があるといいます。
四つの力とは、「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」の4種類の力のことです。自然界のさまざまな現象は、この四つの力で説明できてしまいます。
*5:
量子力学は20世紀の初頭に原子と分子のふるまいを説明するために発展した物理理論で、粒子がいかに波の性質をもち、波がいかに粒子の性質をもつかを示したものだ。
ハイゼンベルクが唱えた量子力学の不確定原理によれば、どの粒子についても任意の精度で位置と速度の両者を同時に測ることはできない、という。
因(ちな)みにハイゼンベルクは、ナチスドイツの原爆製造計画の責任者でもある。
余談だが、アインシュタインが量子論をきらっていたことはよく知られているぞ。
「神はさいころ賭博師ではない!」そう言ってアインシュタインが量子力学を批判したのは有名だ。
*6:
アインシュタインが1905年にベルンで発表した相対性理論は、重力場がない特殊な場合をとり扱っているので、特殊相対性理論、アインシュタインが1916年にベルリンで発表した相対性理論は、全く一般な重力場が存在する場合をとり扱っているので、一般相対性理論とよばれるようになった。
地球の表面のように、下向きに一様な重力の場が存在する場合には、綱の切れたエレベーターや、自然落下の状態にあるロケットのように、この重力の方向にある一定加速度で運動する実験室を考えることによって、この実験室内を重力のない状態にかえることができる。したがってこのような実験室内では、ベルンで発表した理論があてはまるはずである。
*7:
超ひも理論のひもは1種類のみ
素粒子は現在までに17種類がみつかっています。
しかし、超ひも理論のひもは1種類のみです。
ひもは振動しており、その振動のしかたなどによって、ちがう種類の素粒子にみえるのだと考えられています。
バイオリンの弦が振動のしかたのちがいによってさまざまな音を出すように、たった1種類のひもが、振動のしかたによって世界を構成するさまざまな素粒子にみえるというわけです。
*8:
超ひも理論の正しさを確認するには?
自然界でおきるさまざまな現象や実験結果をうまく説明できて、将来おきることも予言できれば、超ひも理論を「正しい理論」だということができるでしょう。
超ひも理論のひもは、振動しています。ひもの振動がはげしくなると、そのひもに対応する素粒子のエネルギーが段階的にふえて、重くなります。
そして、同じような性質をもちながらも、質量が2倍、3倍の重い別の素粒子が存在することを、超ひも理論は予言しています。
超ひも理論が予言するそのような重い素粒子をみつけることができれば、理論の正しさを裏づける強力な証拠となります。
人工ブラックホールが、高次元空間の証拠になる
超ひも理論に関連して、興味深い予言がなされています。加速器「LHC」を使ってごく小さな「マイクロ・ブラックホール」を人工的につくることができるかもしれない、というのです。
LHCの管の中でほぼ光速まで加速された陽子どうしが正面衝突すると、マイクロ・ブラックホールが形成される可能性があると指摘されています。
ブラックホールは天体がみずからの重力でつぶれ、超高密度になることで誕生します。
LHCで光速近くまで加速した陽子どうしを衝突させると、衝突地点は膨大な質量が集中した超高密度状態と同じとみなせます。
従来の理論ではブラックホールはLHCでも形成できません。
しかし、超ひも理論から派生したブレーンワールド仮説が正しければ、重力が従来の予測よりも強くなり、ブラックホールが形成されやすくなります。
もし今後、実験でマイクロ・ブラックホールの生成が確認されたとしても、それだけで超ひも理論の正しさが証明されたとまではいえません。しかし高次元空間が実在することの証拠にはなります。
また、マイクロ・ブラックホールは、できてもすぐに“蒸発”してしまうと考えられています。
ほんとかニャー。もしも人工ブラックホールが蒸発しなかったら「地球は人工ブラックホールに呑み込まれてしまうかも・・・」という意見も存在します。
継続は力なり
プロ野球界の名将、落合博満氏の名言
私は誰に強制されることもなく、好きな野球に自分のペースで触れ、取り組んできた。
そして、プロ入りした瞬間から、野球は自分の仕事だという意識になり、24時間365日を野球で回していく生活になった。
子どもの頃から野球をやってきた人たちには言わずもがなだと思うが、野球が上手くなりたいのなら、体を動かす練習だけではなく、頭で野球を学ぶことも必要だ。
演技に置き換えて解釈すると、声優は、発声・滑舌・実技など体を使う演技の練習はもちろん、アニメや映画・舞台をみたり、日常の人間模様を観察して、頭で演技を学ぶことも必要だ、ということになると思います。
24時間365日を演技で回していく
その通りだと思います。全面的に賛成します。
ただ「言うは易く行うは難し」でもあると思います。人は飽(あ)きる動物だからです。
しかし同時に「人はハマる動物」でもあるのです。
本を紹介してお金をもうけようとは思ってません。なので
1.人間はハマる動物だ。
文明のはるかな起源は知るよしもないが、道具を作ったり荒地をたがやしたりする行動はかなり労苦を伴うことで、飽くことのない好奇心とたしかな報酬への予測に支えられなければ、それらを形にすることは不可能であったろう。人間のハマる能力がそれを可能にしてきたと思う。
2.私たちはまず「予測できないこと」に注目する。大事なできごとかもしれないからだ。
次にそれは「よいこと」なのかそうでないのかを判断する。言い換えれば、そこに近づくべきなのか、そこから遠ざかるべきなのかということだ。
もし、近づいたほうがよいことなのであれば、その次には何に近づけば「よいこと」に出会えるかを学ぶ。
2.を演技に置き換えて解釈してみましょう。
声優志望者たちはまず【外郎売、発声、滑舌、母音法など】に注目する。大事なできごとかもしれないからだ。
次にそれは「よいこと」なのかそうでないのか、言い換えれば、それを練習すべきなのか、やめるべきなのか。
もし、練習したほうがよいことなのであれば、その次にはどんな演技の練習をすれば「よいこと」に出会えるかを学ぶのだ。
継続は力なり
…とはいうものの、継続し続けることは簡単ではありません。ある日突然「なにもやりたくない」という無力感に襲われてしまうのが人間です。
そんなとき「気持ちがたるんでいる」と自分を叱咤激励すれば問題は解決するかというと、そんな単純でもありません。
だからこそ、いろいろ考えて深掘りしてみることは大切だと思います。
ビンジ
ビンジ「一時に大量に」という意味である。
ハマる行動には節度を保って摂取するということはない。自分の摂取行動にブレーキがきかなくなってしまう。なぜこのようなビンジ摂取がおこるのか?
ダイエットに関する研究にそのヒントがあった。
体重抑制のために食事制限(ダイエット)をしている人々に味覚のテストと称してミルクセーキを食べてもらう。その後自由にアイスクリームが食べられるようにしておくと、ダイエット中の人のほうがたくさんのアイスクリームを食べたのである。
これはどうしてなのだろうか?
この実験結果の解釈はこうである。
少々限界を越えたくらいなら、摂取過剰になったとしてもたいしたことはない。
ところがある種の人々は、ほんのわずかでも限界を越えてしまったら、大幅に超過したのと同じことだと思うのだ。
ミルクセーキを余計に食べた(食べさせられた)からには今回のダイエットの試みは完全に失敗しており、改めてゼロからやり直すほかに道はない。
だからアイスクリームの摂取に歯止めをかけるのはもはや無意味であり、好きなだけ食べたらよいのだと考える。
こういう考え方のクセはある種の「認知のゆがみ」である。
アルコールのビンジ摂取にも同様の認知のゆがみがはたらいていると考えられている。
禁酒の誓いをたてた人がほんのわずかなアルコールを口にしただけで元通りの大酒飲みに戻ってしまうのがそれであり、「破禁自棄効果」とよばれている。
「滑舌の練習を毎日、自分に課していたけど、ある日休んでから、その後はやる気がなくなってしまった」というケースがあります。
アイドル歌手のコンサートに、一度も欠かさず通い続けていたファンが、一回行けなかったことがきっかけで、その後まったくコンサートに行く気がなくなってしまった話を聞いたこともあります。
これは「三日坊主の心理」とは違います。
長いこと続けて習慣になっていても、なにかがきっかけで途切れてしまうと、急にやる気がなくなってしまうことが人間にはあるんです。
これも「ビンジ」の心理の一種なのかもしれません。
「認知のゆがみ」というものを知っておけば、自分の気持ちをコントロールできるようになるかもしれませんね。
飽きないのではなく、新しいものにハマっている
わたしは演技にハマっています。
演技の勉強を長年つづけていますが、あきません。
だけど厳密にいうと「かんたんなものには」あきているのかも…。次々と新しい演技の課題が出てきて、自分自身が次の演技のステージに進んでいるから、あきてないのかもしれません。
ゲームがやめられない心理に似てますね。
わたしは自分が演技にハマる心理を、そんなふうにも考えています。
今回紹介した本は演劇の本ではありませんが、内容を置き換えて解釈すると、演技人としての成長にも役立ちますよ。
いろんなことに興味をもって精査し深掘りしていきましょう。
参考文献
人はなぜハマるのか 岩波科学ライブラリー 岩波書店
ゆとりは大切💛
ひまですね~~~。そうですね~~~。
万有引力の法則はヒマだったから生まれた
なぜヒマだったのかというと、当時のロンドンではペストが大流行しており、ニュートンの通っていたケンブリッジ大学も閉鎖されたため、ニュートンは故郷に帰って、ゆったりとした時間をおくることができたのです。
この期間のことは「驚異の諸年」とも「創造的休暇」とも呼ばれているんですね。*1
だけど、こんなときこそ冷静に
こんなことを話しながら、本日は朗読とオンディーヌ【第二幕・第四場】のレッスンを行いました。
ハンスとベルタの場面です。
ベルタは悪役ですが、わかりやすい悪女にするのはやめようね。腹のなかの策略をおもてに出さないで、誠実な女性にみえるように演じよう、と話しました。
なぜなら、「ベルタは誠実な女性だ」と思ったからこそ、この場面でハンスはコロッとベルタにだまされてしまうんです。
樹木希林さんの唱(とな)える「サギ師の演技」を応用させていただきました。「この人はいい人だ」と思ってしまうからこそ、人はサギにだまされるんですね。
ベルタを演じた生徒がとてもいい演技をしてくれました。
・・・でも詐欺師の演技が上手だなんて、あんまり誉(ほ)め言葉になっていませんね。
今日も楽しい一日でした。参加してくださったみなさまありがとうございました。それでは、また来週。