大阪タイガース
TBSラジオ「アフター6ジャンクション」で古関 裕而(こせき ゆうじ)特集をやってました。
夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」の作曲家として知られていますね。
阪神タイガースの球団歌「六甲おろし」も作曲されているんですが、実はこの曲は球団名が「阪神」になる前の「大阪タイガース」時代に作曲されています。
ですから元の歌詞は
おう、おう、おう、おーう、おーさかタイガースとなっていたんです。韻を踏んでいるんですね。*1
だけど現在の歌詞は、
おう、おう、おう、おーう、阪神タイガースになってしまったため、「韻を踏んでないじゃないか・・・」と古関さんは不満だったらしいですよ。
わたしにとっての古関 裕而さんは、取手二高の校歌の作曲者です。1984年、夏の甲子園の決勝で桑田・清原のPL学園と対戦し優勝しましたね。
*1:「韻を踏む(いんをふむ)」とは?
歌や音楽、小説、詩などの読み物で、同じ言葉や、同じ音や母音を持つ言葉を繰り返し使う手法のことです。
映画を見てるとバカになる?
映画やドラマなんて、どうせウソでしょ。見るだけムダ。時間のムダ。バカになるだけ。
そういう発言をする人は現実にいます。テレビでそう発言している著名な外国人コメンテーターを見たことがあります。
このコメンテーターは、世界中のニュース番組をチェックしているそうです。そのコメンテーターの自宅には、テレビ受像機が何台もありました。
コメンテーターの発言には「遊んでばかりいるとバカになる」という思いがあるんでしょうね。
だからこそ、演劇や娯楽に現実を混ぜていくことは必要だ、と私は思うのです。
たしかに演劇は娯楽です。しかし娯楽には、物事を伝えるうえでとてもいい面があるんです。
うぜえ。
説教くせぇ。
うるせえんだよ。
本当のことを伝えようとしても、このような反応をされてしまうことはよくあります。
だから昔の人は民話のような娯楽に教訓を混ぜたんです。
「おおかみがきたーーー」とか「赤ずきん」とか、昔の人は【教訓を娯楽に混ぜて】伝えたんです。
娯楽ならば「うぜえ!」という反応にはなりづらいんですね。むしろ喜んで聞いてくれるというメリットすらあるんです。
そういった民話や伝説をもとに、お芝居として演じはじめたのが、演劇のルーツのひとつです。
遊んでばかりいるとバカになる、だからガマンして勉強しよう。
しかし我慢して勉強しなくても教訓を得る方法はあるんじゃないだろうか。
ニュース・演劇・娯楽、いいところを融合して、よりよい社会をめざしましょう。いい世の中に。
警告民話というジャンルが伝承に
たいせつな情報や知識を、民話や伝説にまぜて広めたことで危機意識が共有できて、人類は繁栄したという推測もできそうだな。
ドイツのマリアンヌ・ルンプフによる博士論文「赤ずきん―メルヘンの比較研究」に、【水や森に近づいたりすると危険があるぞということを教える恐怖民話とか警告民話というジャンルが伝承にある。「赤ずきん」は本来その型の話である】と述べられていますね。
人の夢を笑うな
人の夢を笑わない
放送作家の卵として修業を始めたのは、大学1年生の頃。
最初の1年はお金をもらわず、寝る間もないほど働いて体力的にもしんどかったけれど、憧れの仕事はとにかく楽しかった。どうにかして目の前の人に認めてもらいたくて、企画を考えては原稿を出し続ける日々でした。
そんななか僕は大学に3カ月で行かなくなった。
なぜなら、放送作家としてがんばっているのだと大学の知人に話したら、「いくら稼いでるの? なんだタダなの?」と言われたから。
ここにいたら心が折れると思いました。
夢を目指しているとき、どんな友達に囲まれているかはとても大切です。
人は他人に笑われると「間違っているのか?」という迷いや恥ずかしさで力が出せなくなってしまう。
だから夢を叶えたいなら、同じ夢を追う人や人の夢を笑わない人と一緒にいるようにしてください。
なぜ、他人の夢を笑うのか、その心理を考えてみる
おそらく本人は「自分はこの人よりすぐれている」「だからバカにして笑ってもいいんだ」と思いこんでいるんでしょうね。
そして周りの人たちも、そんな自分を尊敬し支持してくれるだろう・・・。
だけど本人の思惑通り「他人をバカにして笑っているあの人はすぐれている」と周りの人たちは思ってくれるでしょうか
ドラえもんのキャラで考えてみよう。
ジャイアンやスネ夫は、のび太君をバカにして、よく笑っています。
しかし出木杉くんはそんなことはしませんね。
そこで問題です。みなさんは、ジャイアンやスネ夫はすぐれていると思いますか。そして出木杉くんについては、どう思いますか。
おそらく他人をバカにして笑う人には尊敬の念ではなく、ジャイアンやスネ夫に感じたのと同じ気持ちで、まわりの人は接していくでしょうね。
そして出木杉くんのような、やさしいふるまいをしてくれる人こそ、尊敬されると私は思います。
「人の夢を笑わない」大切ですね。
不安やうつを改善する
キムチや納豆、漬物などの乳酸菌が不安やうつを改善する可能性があると、アメリカのミズーリ大学が発表しています。
また別の研究によると大豆製品などに多いトリプトファンにも、うつ改善の効果があるんだそうです。【こういう研究があるのは本当】
思いあたることがあります。
【ここからは個人の感想】
「腸内フローラ」が一般的に知られるようになったここ2~3年、ほぼ毎日キムチを食べてました。それと植物性たんぱくを採ろうと豆腐・納豆・きな粉も。
あくまで健康目的で食べてたんですが、以前にくらべてイライラすることや不安な気持ちにおそわれることが少なくなったなぁと感じてました。
もちろんまったく関係ないのかもしれません。この研究に気がつく前は、なんか最近のん気でいられるなぁ昨年ブログで紹介した「認知行動療法」をはじめとする心理学の本を山ほど読んだからかなぁ…なんて思ってたくらいですから。
新型コロナウイルスなど、ストレス要因の多い今日この頃。みなさまの幸せを心より祈っております。
あわてない、あわてない
ひと休み、ひと休み。
知ることが勝利につながる!
高校野球は大好きです。
高校野球の強豪と呼ばれる名門チームの試合中に、選手が自分の守備範囲の土をていねいに手や足でならしているのを見たことがあります。
彼らはつまり「エラー(ミス)の原因を減らしている」んです。
どういうことかというと、ランナーが出ると、スパイクの歯によってグラウンドが荒れて、土がデコボコになるんです。
そこに打球が飛ぶと、ゴロのバウンドが不規則になって、エラー(ミス)に結びつきやすくなってしまうんですね。
だからこそ選手たちはデコボコになった土をきれいに平らにならしていたんです。
ミスが減れば勝利に結びつく可能性も高くなります。なんでその学校が強豪なのかの数ある理由のひとつでもあると思います。
どうすればミスは減るのか。いま自分にできることはあるのか。
それを知り、実践していくことは演技にも必要ですね。
高校野球の名門、常総学院の木内幸男さんは「三塁より一塁のほうがイレギュラー(不規則な)バウンドが出やすい」といっていた。
それは一塁ランナーは一・二塁間を結ぶ線上でリードを取るが、三塁ランナーはファウルグラウンドでリードしていることと関係していると思うぞ。そう考えると二塁ランナーはショートの前だ。
うまい人は何かを知っている。それは野球だけじゃないだろうな。
読解力と演技のうまいヘタは関連する
初心者のための「文学」
いちばん言いたいことを間接的に表現するのが「文学」です。
だからさまざまな読み解き方が存在します。
一般の方々なら、他人に迷惑をかけないかぎり、どう読み解いてもいいでしょう。
ただし声優となるとそうはいきません。
なぜなら「先生から褒められる読書感想文」のときに書きましたが、文章を読み解いて、自分とは異なる視点「原作者」「演出家」「時代の変化にともなう解釈の変遷」が分かるかどうかで【役の表現方法がまったく変わってしまう】からです。
つまり読解力があるかどうかは「発声や滑舌」と同じように、演技のうまいヘタにかかわってくるんですね。
だからこそ文学の「解説書」が必要になるのですが、「マジすげえ」とたまげた本がこちらです。
本を紹介することで私がお金を儲けようとは思っていません。なので
太宰治をはじめ、これまで自分が考えたこともない「読み解き方・考えかた」にあふれていました。
この本、初心者のための「文学」を読むメリットとしては【視点・考えかた】がふえることにあります。
考えかたがふえれば、演じられる役の人物もふえ、演技の表現も繊細(せんさい)で細やかになっていくからです。
ただ「初心者」というタイトルから子供向けをイメージしてしまいますが、まったくの大人向けの本です。おすすめします。
【今回紹介した本】
初心者のための「文学」 角川書店
初心者のための「文学」補足事項
映画脚本家 笠原和夫さんの本に、こう書かれていました。笠原和夫さんは、軍隊生活を実際に経験されています。
「軍隊で酷(ひど)い目に遭った人間と、軍隊に入る前に終戦を迎えた人間では、考え方は変わってくる」
つまり「戦争の現実を知っている人と、理想だけを教えこまれた人とでは考えかたがちがってくる」というのです。
それは「大本営発表」をイメージすれば理解できます。「戦争プロパガンダ10の法則」にも書いてありますように、戦争中は国内向けにマイナスの宣伝や教育をすることは、考えられませんからね。
わたしも、この【初心者のための「文学」】の著者も戦争には反対です。
ただし、プロパガンダだけを聞かされて終戦をむかえた人たちのなかには、「戦争は美しい」と思いこんでしまったままの人たちがいても不思議ではないんです。それを念頭に置いてご一読くださるといいと思いますよ。
自分と違う役を演じる練習問題
自分と違う意見を知る
ステラ・アドラーメソッド演技
演劇をおもしろくするのは、何であれ意見をもつことが大事。劇で演じる人物の意見と、あなた個人の意見は違っていてかまいません。
俳優として、あなたはどちら側の意見にでも同意できるようになりましょう。
どちらの側に立ってもじゅうぶんに説得力があり、どちらが本当のあなたかわからない、と思われるレベルを目指せば、非常にいいエクササイズになります。
この練習にうってつけの本がありました。
この本に出てくる「絶滅はしょうがない派」と「ほろぼしたくない派」の意見は、自分とは違う役を演じる練習につかえますよ。
目次
わたしは地球。
1万年くらい前から、ちょっと変わった生き物が目立ちはじめた。
それが人間だ。
これまでわたしの環境の変化とともにたくさんの生き物が繁栄(はんえい)したりほろんだりしてきたが、人間は自分たちがすみやすいように環境をつくり変えていった。
もちろん今までにも、わたしの環境を変える生き物はいた。
でも、人間のそれはスピードがちがう。
山をくずし、沼を埋(う)め立て、自分たちだけがすみやすい街(まち)をつくった。
人間がつくり変えた場所の環境は以前とはまったくちがうものになる。
当然、それまでその環境に適応していた生き物たちは行き場を失い、だんだんと絶滅していった。
それなのに、ほろびゆく生き物を見ていちばん大さわぎをしたのは、ほかならぬ人間。
じつにへんな生き物だ。
しかし、どんな生き物もいつかはほろびる。
人間が環境を変えていった結果、ほろびるのは人間自身かもしれない。
人間インタビュー
生き物が絶滅した理由をたどると、人間の存在が原因となっていることが、少なからずあるようです。
同じ地球の一員でありながら、ほかの生き物たちをおびやかす人間は、おろかで罪深い生き物なのでしょうか。
しかし、いろんな人間たちから事情を聞いてみたところ、さまざまな意見があることがわかってきました。
よかれと思って・・・。
野菜や果物をダメにしてしまう害虫を退治しようと考えて害虫の天敵をつれてきたのですが、ほかの生き物を絶滅させてしまいました。自然ってむずかしい・・・。
豊かにくらしていくためよ。
池や沼を埋(う)め立てたり、森を伐採(ばっさい)したり、山を切りくずしたりして、私たちは農地や道路や街(まち)をつくってきた。
自然を保護しなきゃいけないのもわかる。
だけど、便利なくらしのためにはしかたないこともあるでしょ?
絶滅はしょうがない派
私たちに危害を加えている害虫や病原菌を放っておくわけにはいかないわ。
だってやっぱり自分や周りの人たちの命は大切だもの。
そういう生き物をほろぼしてしまったとしても、人間がくらしやすい環境を守るために必要なことなんじゃないかなあ。
ほかの生き物があらわれたことで絶滅してしまうような弱い生き物は、しょせんほろびる運命にあったんじゃないかな。
生き物はみんな、生き残り競争をしているわけだし。
生き物なんて何百万種といるわけで、そのうちのいくつかがほろびたとして、なんの関係があるのカネ。
そんなものにお金をかけるのはバカげてる。
絶滅寸前のカエルを助けるために大金を使うくらいなら、飢えている子どもに食事をあたえたほうがずっとよくないカネ?
人間に限らず、ほかの生き物を殺さずに生きていくことなんてできないよね。
日常的にたくさんの命をうばっていながら、自分と直接かかわりのない生き物に対して「数が少ないから、殺したらかわいそう」なんて言うのは、現実が見えていないんじゃないの。
ほろぼしたくない派
ミドリムシが健康食品やバイオ燃料に利用されたり、カブトガニの血液から新しい薬がつくられたりと、意外な生き物が人間の役に立つことがあります。
将来の新発見につながるかもしれないし、いろんな生き物がいることが大切です。
人間が今のすがたに進化してこられたのは、これまでの自然環境があってこそ。
だから、それとかけ離れた環境で生きていくことは不自然であり、予期せぬ問題が起きる可能性があります。
私たちが進化してきた環境と、ともに生きる生き物たちを守ることには大きな意味があると思います。
会えなくなるのはいやだもん!
だって、その生き物の生きているすがたが二度と見られなくなってしまうなんて、すごくさみしい。
地球のどこかで生きていてさえくれるなら、いつか会いに行くことだってできるよね。
人間のエゴかもしれないけれど、そんなに悪いことかなあ・・・?
人間が環境を変えてしまったことで起きた絶滅は、新たな進化をうみ出しません。
人工の環境というのは、一部の生き物だけがすみやすい環境だからです。
このまま地球の環境を改変し続けたとしたら、家畜と農作物、それに害虫くらいしかすめない星になってしまうかも。
未来に目を向けて
絶滅の原因のほとんどは無知によるものです。
だから、過去の絶滅を悲しんだり、人間は悪い生き物だと責めたりするよりも、未来に目を向けて、どうすれば同じことをくり返さずにすむか、ということを考えるほうがはるかに大切だと思います。
地球上の生き物はすべて、いつか絶滅することはさけられない。
大きな環境の変化が起これば、人間だって絶滅してしまうだろう。
でも、人間による絶滅は、自然環境をなるべく変えてしまわないように、私たちみんなが努力をすることで、防ぐことができるはずです。
この地球がたくさんの生き物にとってすみよい星であるために、私たちになにができるのか。
みなさんも考えてみてください。
医薬品という視点
医薬品の原材料には、地球に生息している植物や動物もふくまれます。そのため、その生物<植物・動物>が絶滅してしまったら、薬がつくれなくなってしまうこともあるそうです。
絶滅はしょうがない派の意見
私たちに危害を加えている病原菌を放っておくわけにはいかないわ。だってやっぱり自分や周りの人たちの命は大切だもの。
ほろぼしたくない派の意見
カブトガニの血液から新しい薬がつくられたりと、意外な生き物が人間の役に立つことがあります。
南米アマゾンの熱帯雨林には、まだ発見されていない未知の医薬品の原材料がたくさん眠っているといわれています。
しかしアマゾンの熱帯雨林は、経済開発の名のもとにどんどん減少しています。薬の原材料になるかもしれない生物が絶滅してしまったら困りますね。
なるほど、そのとおりだ。
参考文献
魂の演技レッスン22 フィルムアート社
続わけあって絶滅しました。 ダイヤモンド社