状況次第で人は何をするかわからない
私は、仏教やキリスト教、その他の「宗教団体」には入っていませんが
いい考え方があったらマネしようと思っています。
「歎異抄(たんにしょう)」に演技に使えると感じた箇所がありました。紹介させていただきます。
今回の元ネタは、こちら
親鸞「わたしのいうことを信じるか」
唯円(弟子)「はい、信じます」
「わたしがいうことに背(そむ)かないか」
つつしんでお受けすると申し上げたところ、親鸞聖人は「人を千人殺してくれないか」
「私はできません」
すると親鸞は「それでは、どうして私の言うことに背かないなどと言ったのだ」と問い
「これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、(注)浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、すぐに殺すことができるはずだ。
【注】浄土とは【極楽・天国のこと】。往生とは【生まれること】。つまり「死んでから天国に行きたいと思うなら」という意味。
けれども、(注)思い通りに殺すことのできる縁がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから殺さないわけではない。
【注】怨(うら)みや憎しみなどの理由がないから
また、殺すつもりがなくても百人あるいは千人のひとを殺すこともあるだろう」
ここで親鸞が語ったのは、人間の意志による倫理の不確実性だと思います。
「この身があるかぎり、状況によっては何をしでかすかわからない。それがわれわれの実存なのだ」という教えです。
そして、
「望まなくても悪を犯すのが我々の実相である。そもそも我々は他の生命を奪って生きている身ではないのか」と、うわべだけの偽善に肉迫します。
「状況次第で人間は何をするかわからない」という思いは、親鸞が生涯持ち続けたものでした。だから、彼は九十年生き抜いて、一度も「悟った」とは言えなかったのです。
ハンナ・アーレントが、ナチス戦犯 アイヒマン裁判のレポートで導入した概念「悪の凡庸さ(陳腐さ)」と基本的に同じですね。
もしも自分が、このような状況におかれてしまったら善人のままでいられるだろうか。
それを疑似体験できるのが演劇のいいところなんだと思います。楽しい社会が好きだから、世界が平和になってほしいと願っています。
参考文献
NHK「100分de名著」ブックス 歎異抄 仏にわが身をゆだねよ NHK出版
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