ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

役がら・立場・根拠を考える

「どうすればいいかって?そんなの自分で考えてよ」

「言いたいことはわかるんだけど、今ひとつ説得力がないんだよね・・・」

「ツメが甘いな。ちゃんと考えたのか?」

これに似たようなことを、皆さんもどこかで言われたことはありませんか。



今回紹介する本は、演劇の本ではありませんが演劇に使えます

あえてネット通販のリンクはしません。図書館で借りるか本屋さんで買おうね。



ひとりよがりの見方になっていませんか?

――視点を戦わせることで1つ上の「考え」に進める



世の中には無数の「立場」がありますね。

ビジネスパーソンの立場、社長の立場、主婦の立場、消費者の立場。そして、それぞれの立場には、その立場なりの感じ方や思惑、事情があります。


ひとことポイント

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「立場」とは演劇でいう「役がら」です。


感じ方や思惑や事情が違えば、同じものを見ていても見え方やとらえ方が違ってきます。


立場ゆえに、ある物の一部が見えないこともあれば、見えているはずなのに「見えない」と思い込むことだってあります。


つまり、それぞれの立場のとらえ方には、なんらかの特徴というか「偏り」があるのです。


ところが私たちは、無意識のうちに「1つの視点」で物事を考えがちです。そして、この「1つの視点」はあまり柔軟に移動しないという困った習性があります。


だからこそ、意識的に別の視点・立場を持ち出す必要があるのです。


誰かになりきって、「自分と違う視点」で考える授業


先生
「みんなは、『よい社会』ってどんなところだと思う?」


生徒
「戦争や犯罪がないところ」


生徒
「自分のやりたいことができるところ!」


先生
「どうしてそう思うの?」


生徒
「だって宇宙飛行士になりたいって思っても、その夢を叶えさせてくれる社会がなくちゃ、なれないでしょ。やりたいことができるのは、人間の権利だよ」


先生
「なるほど。じゃあ、今度は、自分とは違う人の立場から『よい社会ってどんなところ?』という問題を考えてみようか。

たとえば、お母さんの立場から見ると、よい社会ってどんなところだろう?

宇宙飛行士の立場で考えた『よい社会』は、みんなが考える『よい社会』と一緒かな?

自分とは違う人になりきって、『よい社会とはどんなところか』を考えてみよう・・・」





これは、欧米の学校での授業風景をイメージしたものです。



子供たちはここで、自分とは違う人になりきって「よい社会とは何か」という問題にチャレンジしています。



自分とは違う誰かになりきって考えるということは、自分とはあえて違う視点で考えることです。



考え抜く力を教える欧米などの学校では、自分以外の視点を持ち、自分とは正反対の「言い分」を理解すること、つまり、視点を多く持つことを重視して、色々な形で指導しています。



日本で教育を受けた人が、考え抜くための術(すべ)を知らないのはある意味、当たり前なのではないかと思います。



なぜなら、日本の学校教育はいわゆる「正解主義」に重きを置いていて、1人1人の「答え」や「意見」を尊重するような考え方についてはほとんど教えてくれないのですから・・・。



文章の書き方や計算、理科、社会、そして英語も学校で教えてくれるのに、なぜか、自分の意見の作り方や、正解のない問いに自分なりの答えを出すための考え方は教えてくれない。



ところが、社会に出ると、今までほとんど訓練を受けたことのない、「自分の頭で考える力」を当然のように求められる。ひどい話です。



一方で、グローバルな舞台で活躍する人々に目を向けてみると、彼らは1人1人が明確な意見を持ち、じっくりと考え抜くためのスキルを身につけているようです。



これは1つには、彼らが受けた教育のためだと言えます。



エリートと呼ばれる人たちの多くは、アメリカやヨーロッパなどの良質な学校に学んでおり、そこで彼らが習得するのが「考え抜く力」なのです。



日本では、互いに察し合うことによってコミュニケーションが成り立つ「あ・うん」の呼吸がよしとされますし、自分や相手の発言について、とやかく質問・確認しない傾向があります。


出張から帰ってきたばかりの同僚との会話



日本人同士なら

「ローマ、どうだった?」

「うん、よかったよ」

といった程度で終わるのが、普通だと思います。

ところが、英語のネイティブ・スピーカー同士の会話だとこうはいきません。

「ローマ、どうだった?」

「うん、よかったよ」

「よかったって、どういう意味?ご飯がおいしくて美人がたくさんいたとか」

「街そのものもすばらしかったね。歴史と共存しているとでもいうのかな」

「歴史と共存という意味なら京都もそうでしょう。京都とどっちがよかった」

「うーん、どっちもいいなあ」

「じゃあ、もしもどっちか片方しか行けないとしたら、どっちを選ぶ?」

もうほとんど尋問?と思えるほど、根掘り葉掘り聞かれることもめずらしくありません。


この本の著者、狩野みきさんが一番びっくりしたのは「ギョウザを食べる根拠」だそうです。



「夕飯に何を食べたい?」
「餃子」
「なんで?」
「餃子を食べたいことに理由も何もあるもんですか」



気がついてみれば、欧米人、特にアメリカ人は、どんなことにも根拠を聞くし、言ってきます。交渉や会議の場だけでなく、毎日のおしゃべりまで「根拠」です。



「そんなの疲れちゃうよ」と思うかもしれませんが、彼らにしてみれば、それが当たり前のことになっているのですね。



どちらが好みか、という問題はさておき、日本語式コミュニケーション【根拠なし】と英語式コミュニケーション【根拠あり】では、英語式のほうが、より説得力があるのは明らかです。

日本人に、根拠を言う、意識するという習慣があまりないのであれば、根拠を考えるクセをつけてしまえばいいのです。


根拠に限らず、「考える」という行為はクセのようなものです。クセにしておくからこそ、いざというときに考えることができるようになるし、根拠もスルっと口から出てくるようになるのです。


そして、ここがポイント



根拠を考えない文化に生きている日本人にとって、根掘り葉掘り質問すると、相手がカチンときて自分の立場が悪くなることもあります。



だからこそ、ふだんは<根拠を>口には出さないで「意見を求められたときのためにとっておこう」と考えている人も結構いるみたいですよ。

参考文献

世界のエリートが学んできた「自分で考える力」の授業 日本実業出版社



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