コーカサスの白墨の輪
「子供の手を2人の母親に引っ張らせて、どっちが本当の母親か?」で知られる大岡裁きが「コーカサスの白墨の輪」に出てきます。
大岡裁き*1では、手を引っ張られて泣く子どもの姿に耐えられなくなった母親が手を放し、生みの親が勝利します。
しかしブレヒト劇では、育ての親が勝ちます。生みの親は負けてしまうのです。
それは、なぜなのか。
あらすじです。
「コーカサスの白墨の輪」は、あつかい方を間違えると、同じものでもまったく違う結果になってしまいますよ、という【たとえ話】として語られる劇中劇*2です。
ある日、戦争が始まります。革命です。金持ちが貧しい者をイジメてばかりいたので、国民の怒りが爆発したのです。
金持ちの領主は殺され、領主夫人は、どのドレスを持って逃げるか悩んだあげく、自分の子ども【赤ん坊】を置き去りにして逃げてしまいます。
赤ん坊は見つかったら殺されます。それまでひどいことばかりしてきた金持ちの領主の子どもだからです。赤ん坊に罪はないのに…。
その赤ん坊を助けたのが、領主夫人の家で女中をしていた、この劇の主人公グルシェです。
しかしグルシェは、最初のうちは赤ん坊を助けようと思う気持ちはあまりありません。
なぜなら赤ん坊を助けたら、自分も殺されてしまうからです。
身近なものでたとえると、クラスでいじめられている子を助けると、自分もいじめられてしまうかも・・・というのに似ています。
しかも戦争の真っ最中です。赤ん坊を助けたら、ひどい目に遭うどころか、自分も「裏切り者」として殺されてしまう危険があるんです。
グルシェはそのことを知っています。だから迷いました。そして自分の命も危険になることを知っていて助けるんです。
グルシェは逃げます。それを兵隊が追ってきます。赤ん坊の首に賞金がかかったんです。
グルシェは兵隊に乱暴されそうになるなど、あらゆる困難に見舞われながら必死に赤ん坊を守ります。
やがて戦争が終わります。
平和になると、領主夫人が赤ん坊をさがし出して連れ戻してしまいました。
領主夫人の目当ては、おカネです。殺された領主の遺産を相続するには、領主の子どもが必要なんです。
グルシェは、「戦乱のさなか、赤ん坊を誘拐した悪い女」にされてしまいます。
そして裁判になります。
グルシェは「あの子は自分の子です」と言い張りますが、それがウソであることは裁判長に見抜かれてしまいます。
裁判長は言います。
「領主夫人の子になったほうが、子どもは金持ちになれるぞ。領主夫人の子になれば、あの子は一生、金には困らない。子供の本当の幸せを考えてみろ。あの子を金持ちにしてやりたくはないか」
裁判所の中は、領主夫人が金で雇った弁護士やらなんやらが大勢いて、グルシェの味方はほとんどいません。
そんな孤立無援の状態で、グルシェは何を思ったのか。
「もしもこの子を領主夫人の手にわたしたら・・・この子は弱い者たちを平気で踏みつけるような人間になってしまうでしょう。
わたしは、この子をそんな人間にするために命をかけて守ったのではありません」
そこで大岡裁き。
グルシェが勝って生みの親が負けます。大岡裁判とは正反対の結果ですが、当たり前ですね。
しかもそれだけで終わらないのがブレヒト劇の真骨頂。
なんで大岡越前が名奉行なのかというと、「いい判決」をしたからなんですが・・・
奉行がいい判決をするのが当たり前だったら、大岡越前は「ふつうの奉行」ですよね。
ウラを返せば、大岡越前が名奉行なのは「いい判決」をする奉行があまりいないから?とも考えられます。
ではなぜひどい裁判官が多い中で、「コーカサスの白墨の輪」の裁判官は「いい判決」を下せたのか。
ブレヒトはその理由もちゃんと説明しているんです。
ブレヒトすごすぎ!
そんなわけで、今日は「コーカサスの白墨の輪」と「走れメロス」の朗読レッスンを行いました。
参考文献
【こぼれ話】
作者のブレヒトが、赤ん坊を助ける物語にしたのは【人間の善悪は遺伝よりも環境が左右する】「暴君の息子でも愛情をもって育てれば、立派な人間に成長しますよ」という考えに基づいています。
しかし世の中には「犯罪者の子は犯罪者。悪人の子は悪人に生まれついている。人間の善悪は遺伝する」という考えもあります。
「そんなことはない!その考えは間違っている。たとえ悪人の子でも愛情をもって接すればいい人間になる」とブレヒトは言いたかったんですね。
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