あたりまえをうたがえ。日常観察のススメ。
宮台さんの理論で日常を深読みして演技もうまくなろう。
ぼくはSFマニアだ。
SFはもともと社会批評をモチーフとする。
1960年代、バラードという作家が活躍した。
バラードは「ニューウェーブSF」の中心人物だけれど、彼がSF批評でくり返し述べてきたことがある。
SF小説と呼ばれるものは、たとえば300年後の世界をあつかうが、そこでは馬が宇宙船に、ピストルが光線銃に変わっただけで、そこでえがかれた人間のメンタリティや社会の動き方は、西部劇の時代のまま変わっていない。ちょっとおかしいんじゃないか――。
彼はこうもいう。SF小説と呼ばれる社会批評の多くが、われわれの「現在の感受性」をもとにして300年後の社会をえがいていて、ユートピア ( 理想郷 ) あるいはディストピア ( 反理想郷 ) だと賞賛したり批判したりして、「未来を裁く」。おかしいんじゃないか――。
300年後の社会が、われわれの「現在の感受性」からしたら批判されるべきものでも、300年もたてばわれわれの感受性はどのみち変わってしまう。
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これは、昭和を題材にした作品に「タバコを吸う人」が大勢出てきて問題になったことを思い起こせばわかりやすいです。ほんの数十年で人びとの感受性は変わってますね。
だったら、前のめりになって裁くのはやめ、どのみち変わるわれわれの感受性を想像するべきなのだ、と彼はいう。
ソーシャル・デザインの難しさ
実にするどい。よその国の事情も知らずに、その国のことをあれこれ批判するのがおかしいように、未来の時代の事情も知らずに、未来のことをあれこれ批判するのはおかしい。どのみち変わる感受性というバラードのいい方に、<歴史>へと開かれた敏感さを感じる。
ぼくはソーシャル・デザイナー (社会設計家) を自称する社会学者だ。バラードの批評は社会をデザインするのが本質的に難しいことを教えてくれる。
社会をデザインするとは「いま」の時点で「未来」を先取りすること。「いま」の感受性で「未来」を設計することだ。
もちろん「未来」の感受性を想像しようとする。でもその想像もどのみち「いま」の感受性に支えられたものだ。当然デザインは意図したとおりに機能しない。バラードが指摘した「人々の感受性の変化」があるからだ。だから天国だと思って、地獄を設計してしまう。
ということは、逆もあり得る。デザイン通りの社会にならなくても、「これでいいんだ」と人々が思う可能性もある。これは個人についてもいえる。自分の感じ方や考え方も変わってしまう。よかれと思って「未来」を先取りしても、絶望が待っていたりするし、逆もある。
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「海洋プラスチックごみ問題」もそのひとつだと思います。プラスチックのおかげで人びとの暮らしは便利になりました。だけど・・・。
たとえば、いま「自然環境が破壊されるのはよくない」とぼくたちの全員が思ったとしよう。でも300年後の人間たちがそう思う保証はない。とすると「いま、環境を守ろうとしていることの意味はなんなのだ?」というふうに、ぼくたちは謙虚に考える必要がないだろうか。
でも、一歩間違うと「なんでもあり」に結びつく危険がある。「自分にしろ、人類にしろ、感じ方も考え方も変わるわけだから、未来を先取りして考えるなんて意味がない」となりかねない。
これは、「人間どうせ死んじゃうんだ。だから何をやってもムダだよ」というニヒリズムの「親戚」だといえる。
でも「意味がないから考えない」ということも含めて人間の選択なんだ。「なんでもあり」という選択も「何もしない」という選択も含めて、<歴史>の中にとけこんでいく。意味がないと思うこと自体、<歴史>の前では、大した意味がないということだ。
バラードの<歴史>観で「意思」をくじかれるなら、君の理解が浅いんだ。「意思」をくじかれて「なんでもあり」になるのも、おろかな人間の選択のひとつにすぎない。そう思うと意欲がわく。<歴史>についての中途半端な理解は、君をおろかなふるまいに導く。
「知らぬが仏」っていうよね。ヘタにものを考えると頭がこんがらがって、かえって不安になっちゃう。だったら考えない方がいいんじゃないかって。でも、やっぱりものを考えるべきだと思う。理解が浅いからこんがらがるんだ。徹底して考えれば必ず勇気がわいてくる。
逆にいえば、当たり前のことは単純じゃない。君は単純でわかりやすいものが好きだろう。でもそれは感覚をマヒさせる。当たり前のことを見ないことにつながる。だからやがて後悔することになる。
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これはブレヒト演劇の「当たり前をうたがう」にもつながります。
当たり前だと思わせることで誰かトクをしてる人がいるのかな?「おれのものは、おれのもの。のび太のものも、おれのもの。当たり前だろう?」ドラえもんのジャイアンと違って、現実の当たり前は、みんなに【わからないように】かくされているのかも…?
一定の訓練をすれば、単純なものは、必ず気持ち悪く感じられるようになる。この場合、単純なものを好むきみは、何かをかくされてしまう。
かくしているのは、他人ではなく、君自身だ。
君自身が、ラクでいようとして、大切なことをかくすんだ。でも、それでいまがラクになっても、将来ラクに生きられる可能性は減る。君は、それでもいいのか。
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「当り前は単純じゃない」と考えることで、いろんな深読みができるようになって、演技も上手になりますよ。
池上彰さんは、こう述べています。
労働者自身が、自分たちを守ってくれる法制度を知らず、劣悪な労働条件の下で働いている人は後を絶ちません。最近の「ブラック企業」などが、その典型です。
いい世の中になってほしいですね。
池上彰 増田ユリヤ 「世界史で読み解く現代ニュース」 ポプラ社
Voice actor laboratory 声優演技研究所