演技の引き出しをふやそう
演技の引き出しとは、自分にどれだけ演技に使える知識【ストック・蓄(たくわ)え】があるのか
「知識」=「引き出し」が多いほど演技の表現も豊かに、つまり演技もうまくなっていきます。
イラストで説明すると
表情のサンプルが少ないよりも
多ければ多いほど、感情の伝わり方が細やかになります。
演技も同じです。引き出しが多いほど演技も細やかになるんです。
誰もが知っている引き出しではなく、「知らなかった、気がつかなかった」引き出しをふやして演技力アップをめざしましょう。
現代の戦争は昔とくらべ、大きく変わりました。
原爆やミサイルなどの武器ではありません。戦争の【考えかた】が変わってしまったんです。
古来、戦争は自分の領土を拡張し、利益を得るために行われるものだった。
たしかにナチズム【ナチスのヒトラー】やスターリニズム【ソ連のスターリン】も強い領土拡張欲を有していた。
しかしナチズムやスターリニズムの戦争がそれまでの戦争と異なるのは、領土を拡張した後、その領土内にいる憎むべき人種や階層 (ユダヤ人やブルジョワジー) を一人残さず「殲滅(せんめつ)」しようとした点にある。
ここには、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続のことだ」というクラウゼヴィッツ流の古典的戦争論では説明のつかない過剰な憎悪、背筋の寒くなるような執念がある。
そう問うたフェーゲリン*1は、ヒトラーやスターリンを突き動かしていたのはグノーシス的な宗教的信念*2だったという結論に達した。
彼は言う。
「現代の戦争の真の危険は、技術的進歩によって戦場が地球規模に拡大したことにあるのではない。本当に恐ろしいのは、戦争がグノーシス的戦争という性格を帯びるようになり、敵の殲滅(せんめつ)をめざす二世界間の戦争となったことである」と。
「グノーシス的戦争」とは、正義を旗印にした戦争のことだと言ってよい。
漫画家のやなせたかしは言っている。「正義のための戦争なんてどこにもないのだ。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい」と。
頁67-68
古代ローマ帝国を舞台にした映画には、負けた国の人びとを奴隷にして、こき使っている場面が出てきます。
相手の国民を一人残らず殺そうとする戦争は、昔はあまりありませんでした。
でも実は例外もあったんです。
仲間か殲滅か
かつて古代ローマ帝国でも、ナポレオン戦争でも、日本の戦国時代でも戦に勝った側は負けた側の兵士を自軍に組み入れるのが普通だった。
しかしカタリ派とローマ教皇軍、ドルチーノ派とローマ教皇軍の戦いにおいては両者がたがいに「敵の殲滅(せんめつ)」という手法を採った。
頁71
この違いは何なのか。同じ戦争なのに、どうしてこんな違いが起きるのか。
この本の著者・高橋義人氏は「正義と悪」という考え方が根底にある、と述べています。
そもそも戦争は2つある?
1.相手をやっつけて、領土や財産をうばえば、自分たちはお金持ちになれるというのが、昔の戦争の考えかた。
そして負けた国の国民は、殺すよりも奴隷としてこき使った方が、自分たちは働かなくても良くなるからうれしいよね。
2.あいつらは悪だ。ウラでいろんな悪だくみをしている。やつらを生かしておいたら自国の国民に悪い考えを吹き込まれて大変なことになってしまう。悪は“伝染”する。だから一人残らず殺してしまえ。
このように敵を「悪魔」呼ばわりするのが現代のグノーシス主義の特徴なんですね。
2.の考えが、ヒトラーやスターリンが行った殲滅(せんめつ)戦争です。
アンパンマンの作者、やなせたかしさんが言うように「正義のための戦争なんてどこにもないのだ。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい」という考えにボクも賛成します。
演技の引き出しをふやして、すごい声優をめざしましょう。
それといい世の中になってほしいですね。戦争なんてなくなってほしいです。
参考文献
悪魔の神話学 岩波書店
Voice actor laboratory 声優演技研究所
*1:フェーゲリンの眼をもって20世紀を考察すれば、ユダヤ人を「殲滅」しようとしたヒトラー、左右両派を「殲滅」しようとしたスターリンは、グノーシス主義者とは言えなくても、多かれ少なかれグノーシス的である。
そればかりではない。原爆の発明によって敵国の殲滅が現実に可能になった今日では、小競り合い以外のすべての戦争が多かれ少なかれグノーシス的な性格を帯びざるをえない。そうフェーゲリンは示唆している。
民主主義のルールでは、自分の反対意見をも尊重することになっている。
自分はあいつの意見には反対だが、しかしああいう考え方もあるだろう、と認めるのだ。
しかしグノーシス主義では、自分の敵はすべて「悪魔」の僕(しもべ)である。
ヒトラーやスターリンはグノーシス主義のことなど耳にしたこともなかっただろう。にもかかわらず、「敵」を「殲滅」させようとする彼らの策は疑いもなくグノーシス的である。そうフェーゲリンは言っているのである。
頁71
一、二世紀頃地中海沿岸諸地域で広まったキリスト教グノーシス派の宗教思想、およびこれに類する考え方。
現在のキリスト教では異端とされている。
反宇宙的二元論の立場にたち、人間の本質と至高神とが本来は同一であることを認識することにより、救済、すなわち神との合一が得られると説く。マンダ教やマニ教はその代表的宗教形態。