信じなくても演技はできる。
役を演じている役者本人は信じてなくてかまいません。物語の中の登場人物は、そう信じている という演技ができればOKです。
かんたんに説明すると、野球アニメ「巨人の星」の消える魔球です。
消える魔球は存在しない
現実の世界で消える魔球は存在しません。また消える魔球の存在を信じている人もいないと思います。
だけどアニメの世界では消える魔球は「存在するもの」として描かれているんですね。
巨人の星の登場人物たち【主人公だけでなく、味方の選手たち、ライバル球団の選手、野球解説者やアナウンサー、観客たち】は口をそろえて言います。「ボールが消えた」
自分ではなく、登場人物が信じていればいい
つまり巨人の星の主人公やライバル選手を演じる場合、演じている役者本人は消える魔球を信じていなくても、自分が担当するキャラは消える魔球を信じている、という演技をリアルに表現すれば、役に魂をふきこめるんですね。
これは超能力や幽霊などの超常現象をあつかった作品の演技や、怪獣映画<怪獣を信じている人もいませんね>その他のいろんな役についても同じことが言えますよ。
第二次世界大戦の映画でヒトラー役を演じることになっても、自分がヒトラーそのものになりきる必要はないということだな。
自分と役を分離する
「先生にほめられる読書感想文」や「前向きに反省!」のときも述べましたが、自分と役を分離するんです。
自分と役を分離したうえで、役の視点でものごとを見つめて、リアルな演技を模索するんです。*1
自分と役を同じものとして同化し、自分を役の思想に染めてしまう必要なんて、まったくないんですよ。
そんな話をしながら、本日は朗読・その他のレッスンを行いました。
とてもいいレッスンが出来たと思います。それでは、また。