どですかでんと生きものの記録
目次
「どですかでん」は黒澤映画の中でも難解だといわれています。
ですが黒澤明の他の映画と比較してみると「もしかして・・・」というものが見えてきます。
それが「生きものの記録」です。
生きものの記録
「生きものの記録」は、原水爆の恐怖におびえる老人【三船敏郎】のお話です。
三船敏郎は核と放射能におびえ、日本を脱出してブラジルに行けば助かると信じ、家族や親戚にブラジルに移住しようといい続けます。
映画がつくられた当時は、実際に日本でも放射能のまじった雨が降ったりしたそうです。米ソの冷戦もあり、核戦争の恐怖は今とはくらべものにならなかった時代でもあるのです。*1
しかし放射能におびえる気持はわかるものの、仕事や生活といった日常の問題が立ちはだかり、ブラジルへの移住は家族から反対されてしまうのです。
その後いろいろあって、ついに三船敏郎は発狂してしまいます。
映画の終盤、精神病院の窓から太陽をみた三船敏郎は「地球が燃えている。だからあれほどいったじゃないか」と取り乱して嘆き悲しむんですね。
映画はこんな台詞で締めくくられます。
「もしかしたら本当にくるっているのは、今のような状況でも平気でいられる我々のほうじゃないだろうか」
どですかでん
「どですかでん」は、頭の少したりない六ちゃんと呼ばれる少年の電車ごっこの場面からはじまります。
子どもたちからバカにされても六ちゃんはまったく気にしません。
「どですかでん」には、六ちゃんのほかにも「たくさんの大人たち」が出てきます。
この大人たちは、最初に出てきた六ちゃんと違って、頭がたりなくはありません。
だけど、この大人たちの行動をよく見ていると、「あれっ」という疑問がでてくるんです。
それは「生きものの記録」で感じたものとよく似ています。
ふつうに見える大人たちも、すっごくヘンなことしてるよね。頭がおかしい六ちゃんと、あんまり変わらない気もするな・・・。
六ちゃんは自分がおかしな行動をしているとは思っていません。そしてそのヘンなことをしている自覚がないのは「どですかでん」の登場人物みんな同じなのではと感じてしまうんです。
そんなことを思いながら日々のニュースに接していると、黒澤明のいいたかったことがなんとなくわかるような気もします。自覚のないのは映画の登場人物だけじゃないのかもしれません。もちろん、わたしもふくめて…。
いい世の中になってほしいですね。それではまた。
シェイクスピアとの共通点
「人は皆愚かである」という古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「無知の知」(人は誰もが愚者であり、己の愚を自覚している者は賢い) に基づく人文主義思想は、シェイクスピア作品の根底を成しています。
黒澤監督は「蜘蛛巣城」で「マクベス」を、「乱」では「リア王」と、シェイクスピア作品を下敷きにしたことが知られています。
あくまで推測ですが、シェイクスピア作品と同じ人文主義思想が「生きものの記録」や「どですかでん」にも流れているのかもしれませんね。
そういえば、リア王を下敷きにした「乱」も『人間の愚かさ』がテーマになってるね。一貫してるね。
Voice actor laboratory 声優演技研究所
*1:
「生きものの記録」が制作された前年には、第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)事件がおきました。
1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験により発生した多量の放射性降下物(死の灰)を浴びた遠洋マグロ漁船が、「第五福竜丸」です。
原水爆の核実験(かくじっけん)は、1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)各国で行われました。その映像は記録映画をはじめ、YouTubeの動画でも検索すればたくさん出てきます。
東京都における大気圏核実験による放射性降下物の影響は、環境省のホームページで見ることができますよ。
https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-02-05-15.html