シェイクスピア 十二夜と哲学
目次
哲学的問答
道化
これはこれはお嬢さん、ご機嫌よろしゅう。
オリヴィア
阿保(アホ)をあっちへ連れておゆき。
道化
聞こえなかったのかね、君たち。お嬢さんをあっちへお連れするんだ。
オリヴィア
私が連れていけと言ったのは、おまえのことよ。
道化
こいつはとんでもない大間違い!お嬢さん、衣(ころも)ばかりで和尚(おしょう)はできぬ。すなわち、おいらは脳みそまで道化服を着ちゃあいないってことです。ねえ、お嬢さん、あんたが阿保(アホ)だってこと、証明してみせようか。
オリヴィア
できるかしら、おまえに?
道化
できるさ、みごとに。
オリヴィア
では証明してごらん。
道化
問答形式でまいりましょう。*1 では、いい子ちゃん、お答えなさい。娘よ、なにゆえにそなたは嘆(なげ)いておる?
オリヴィア
阿保(アホ)よ、兄が亡くなりましたゆえ。
道化
ならば兄上の魂は地獄に落ちたのだな、娘。
オリヴィア
兄の魂は天国におりますのよ、阿保(アホ)。
道化
それゆえにそなたこそ阿保(アホ)と申すのじゃ、娘よ、兄上の魂が天国においでなら嘆(なげ)くことはあるまいに。
・・・なるほど。なっとく。
シェイクスピア「十二夜」概要
登場人物ヴァイオラの台詞を要約して説明します。
ヴァイオラ
公爵はお嬢さまを愛し、この私は公爵に夢中になり、お嬢さまは男に変装した女の私に首ったけ。
いったいどうなるのだろう。
私は男に変装しているからいくら公爵をお慕(した)いしても望みはない。また、私は女だから、お嬢さまがいくら溜息をついてもそれはむだ。
さらに、お嬢さまが自分に恋してるとかんちがいした――だまされた――執事までくわわって・・・という喜劇です。
しかも現代に通ずる喜劇です。
道化
いやあ、まいった――阿保(アホ)の住みにくい時代になったなあ――利口(りこう)ものの手にかかっちゃあ、ことばも手袋同様、あっという間にひっくり返される。
そのとおり、ことばを勝手にもてあそぶと好きなようにしてしまえるからね。
道化
まったくことばなんて近ごろ語呂は悪いがゴロツキさ、信用できやしない。
どうして?
道化
どうしてって、そのわけを説明するにはことばを使わにゃならんだろ、そのことばが信用できなくなっちまったんだ、わけを説明できるわけがない。
ブレヒトさんもそうですが、このようなピリリとからいお話は大好きです。さすがシェイクスピア、歴史に残るのもうなずけますね。
哲学者ソクラテスとの関連性
あの人は利口(りこう)だから阿保(アホ)のまねができるのね。
阿保をつとめるのにはそれだけの知恵がいる。
冗談を言うにも、相手の気持ちをさぐり、人柄を見きわめ、タイミングを心得ていなければならない。
そして、鷹(タカ)のように目の前を横切る獲物をのがさず
ぱっと飛びかかる。
これはたいへんな仕事だわ、
賢い人が詩や文章を書くのと同じくらい知恵がいる。
あの人が賢く演じる阿保ぶりはまったく文句なし。
でも、賢い人が阿保のまねをすればせっかくの知恵も台無し。
これはルネサンスの人文主義思想の根底をなす古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「無知の知」(人は誰もが愚者であり、己の愚を自覚している者は賢い) に基づく台詞です。
シェイクスピア「お気に召すまま」にも出てくる道化の台詞「阿保は自分が賢いと思っているが、賢者は自分が阿保と知っている」は、当時、諺(ことわざ)として知られていました。
道化の仕事は、相手に己の愚を自覚させること。
人は根本的に愚かであると認識するのが賢いとする人文主義思想は、シェイクスピア作品の根底を成しているんですね。
人は皆愚かである・・・それって2月6日のブログで紹介した、黒澤明監督の「どですかでん」や「生きものの記録」も同じかもしれませんね。
参考文献