人間の成長とは
ブレヒトさんの生きかた
ぼくらの経験はたいてい、じつに早ばやと判断に転化してしまう。
ぼくらはこの判断のほうを憶えこみ、しかもこの判断を経験と思い違えている。とはいえ、判断は経験ほどに信用のおけるものではない。
経験を新鮮なままに保持して、そこからつねに新しい判断を汲みだせるようにするためには、特定の技術が不可欠だ。
最上の認識はそのつど、生きた経験から、新しくつくりだされねばならぬ。
この文章をわかりやすく読み解いてみましょう。
経験から、つねに新しい判断を
ブレヒトのことばを「映画鑑賞」におきかえてみると、わかりやすくなりますよ。
むかし見た映画を、今、見たら・・・あれっと思ってしまうことがあります。
ぼくらは映画を見るとたいてい、じつに早ばやと判断【「いい・悪い」といった点数などによる評価】に転化してしまう。
ぼくらはこの判断【点数】のほうを憶えこみ、しかもこの判断【点数】を映画の価値と思い違えている。
とはいえ、この判断は信用のおけるものではない。
映画をDVDなどで保持して、そこからつねに新しい判断を汲みだせるようにしてみよう。
最上の認識はそのつど、生きた経験から、新しくつくりだされる。
「とってもいい」と思っていた映画を、何年か経(た)って見直したら「なにこれ」って愕然(がくぜん)としたり…その逆もありますね。
それを映画だけじゃなく、日常のすべてに拡(ひろ)げて「むかし経験したのと同じことが、今、おこったら、まったく違うことを考えるかも」というのが文章の意味です。
ブレヒトさんは、「人間が成長するとは、つまりそういうことだよ」といっているんですね。
ちなみに・・・
こんな解釈があってもいいかな。
恋人にフラれるという「経験」をした。
そのときは、サイテーサイアクという「判断」をした。
だけど、その後いろいろあって、今の彼と知り合った。
今の彼はサイコー。あのときフラれて引っ越したり仕事を変えなければ、この人とは知り合えなかった。
あのときフラれてよかったニャと今では思っている。
解釈の是非はさておき・・・ま、あんたが幸せなら手をたたこう。
参考文献