マンガは人生にとって必要なもの
哲学者の鶴見俊輔さんが、マンガについて中学生や大人たちと対談した本を紹介させていただきます。
鶴見
日本ではね、マンガの出発点は落書きなんですよ。
1000年以上前は、昔の人は、お経をうつしてたでしょう。お経をうつすのを一日中やってると退屈になってくる。イヤになって、筆をなげて人の顔に墨をつけたり、人にあだ名をつけるように相手の表情を滑稽に描いたりね、そういうことをやってみたくなるんです。
そういうのが、法隆寺の屋根裏に残っていた。それが日本のマンガのはじまりなんです。
みなさんも、学校の授業中に先生の話をききながら、ノートのはじなどにちょろちょろといたずら書きをするでしょう。それが、日本のマンガのはじまりと同じ。
日本のマンガは、1000年の歴史がある。日本の文化の一番いい部分ともいえるんですね。
京都に鳥獣戯画があるので、みなさん、ごぞんじでしょ。猿や蛙などの遊びを、人に見立てて描いている絵巻です。
鳥獣戯画、日本文化のなかでもっとも優れたものです。
そこからはじまった日本のマンガは、いまでは、手塚治虫の作品は世界各国で訳されてるし、宮崎駿もそうでしょう。
マンガが好きだということで、先生や大人から白い目でみられて困っている人もいるでしょ。親や先生とマンガについて意見がくいちがったことがあるでしょ。マサノブさんはどうですか?
マサノブ
やっぱりマンガを読んでいると、勉強がおろそかになるって、親や先生からうるさくいわれるので、「やることをしないでマンガばかり読んで、ムダな時間をすごしている」って感じで思われています。
鶴見
ムダな時間、ですか・・・。ムダな時間とムダでない時間って、よくいわれますね。ムダでない時間って、どういうことなんでしょう。どうですか?
マイコ
わたしは、マンガは自分のためになるっていうか、すごい楽しいことだし、テレビでドラマをみていても、自分で感じることがあったら、それはムダではないと思う。
でも、親の考えでは、勉強は自分のためになるけど、マンガはたださぼっているというか。
わたしは、そのさぼっているというか、休憩の時間もムダではないと思うから、そういうところが親とあわない。
鶴見
楽しいことをしてるのは、ムダな時間だという考えかたが親と先生にあると思うんですが、みなさんは、どう思いますか。人間が生きていくうえで、いい考えかただと思いますか。
楽しくなくても、生きていくために必要だから、それはしなくちゃいけない。このことは、わかりますね。
だけど、楽しいことをしているのは、ムダだという考えかたは、どうなんでしょう。
カナコ
自分がこれをやりたいと思ってやっていることだったら、勉強でなくても、友だちと遊んでいるときでも、それはムダな時間じゃないと思います。
マイコ
わたしも同じですよ。
鶴見
やっぱり、みんな、そう思ってるんだ。
わたしは、76歳まで生きてきたんですが、・・・子どもと大人が一緒にマンガを読むのはむずかしいね。読むスピードがちがうでしょう。
マンガの本を立ち読みするのも、実力の問題ですね。立ち読みするっていうのは、猛烈に早くマンガを読める能力がなければできない。
それは、おそらくコマ割りということなんです。
コマ割りの不規則性。それが、まじめな大人が訓練したものとぜんぜんちがうから、弾圧したくなるんでしょうね(笑い)。
コマ割りを読み取る能力というのは、人間が生きるうえで、とても重大なことなんですね。本を読む能力とちがう。
コマ割りを読みとっていくのと、本を読むのとどちらが重大かってことはいえないですよ。わたしは、そう思います。まじめに教育を考えると、そうだと思う。
マンガについては、たしかに子どものほうが実力があるということを、親も、とくに学校の先生になる人は認めたがらないんですよ。
自分よりも実力のある生徒はいるんです。
でも、先生は自分のほうが実力があるとみせかけたい。
そこに問題がおこる。マンガでも同じ。
ここにいる大人はマンガを読む。珍しいサンプルばかり集めてしまったね。三室さん、どうですか?
三室
ぼくの中学校時代は、貸しマンガの全盛でした。アウトローを主人公にしたマンガが多く、兄とマンガを描いて投稿したこともありました。ところが、いま、マンガが読めなくなってしまいました。そんな自分におどろいています。
鶴見
マンガで悪人というのは、たしかにマンガ特有のものですね。悪人が主人公であるということは、ほかではあまりないし、マンガで悪人に対面するきっかけにもなると思う。
学校の教科書で出会うのは善人ばかりでしょ。
こういうのは、とてもいい体験と思う。わたしは、これはマンガ特有の教育効果だと思いますけどね。
いいことばかりやっているような、そんないい人は、たいてい偽善者なんだけどね。そういうことばかりにかこまれて子どもを育てたら、いい子になると思っているのは教育そのものの欠陥なんではないでしょうか。
このなかで、ただひとりの現役の先生がいますが、福島さん、いかがですか?
福島
学校に生徒がマンガ本もってくると、とりあげます。
ただ、パリに行ったら、日本の本はあまりないのにマンガがどっさりあるんですよ。アニメもテレビでたくさんやっていました。『もののけ姫』はすごかった。
それ以来、図書館にマンガを置くようにしました。『源氏物語』もマンガなら読むんですね。
鶴見
『ピンポン』という漫画を書いた松本大洋はフランスで賞をとっているんですね。日本で賞をとるより、フランスで先に賞をとっている。
なんていうのかなあ、マンガは非常にはやく国境の壁を突破しているんですね。
こういう状況、先生にはわからないでしょうね、先生は文部省 (いまは文部科学省) のほうをむいているから。
高橋さん、何かありますか?
高橋
子どものころを思い浮かべると、戦争で疎開して、母の実家で生まれたんですが、まわりにはマンガなんかなくて。
鶴見
高橋さんが話しましたが、マンガのない社会って想像できますか。マンガのない時代があったんです。それは戦争中なんです。1945年に戦争が終わったのは知ってるでしょう。
その1943年、44年、45年、マンガがないんです。存在できなかった。恐ろしい時代ですよ。
戦争中ですから、そういう時代、人を撃ったり叩いたり殺したり。そればっかり。
マンガのなかった時代があった。そのことが、日本の先生たちによく理解されていないような気がしますね。
マンガは人生にとって必要なもののようですね。
だから、みなさんも、親の批判にめげずにマンガ愛好を進めていただくといいと思います。
著者について
鶴見俊輔(つるみ しゅんすけ)
1922年東京生まれ。哲学者。46年、雑誌『思想の科学』を創刊。65年、アメリカのベトナム戦争に反対する市民運動「ベ平連」に参加。
著書に『鶴見俊輔集』、『鶴見俊輔集続、『鶴見俊輔座談』、『期待と回想』、『隣人記』など。
参考文献