ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

小松左京「くだんのはは」

戦時中、僕の家は阪神間の芦屋(あしや)で焼けた。昭和20年の6月、暑い日の正午頃の空襲だった。

 

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「くだんのはは」は、そのタイトルから靖国神社を連想させますが、人と牛と書いて「件(くだん)」と読む【もののけ、妖怪f:id:seiyukenkyujo:20190801201605g:plain】の母の意味です。 

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先月10日のブログで紹介した、内田百閒の「件」と同じですね。

 

「くだんのはは」の件

  • 体つきは十三、四の女の子、顔だけが牛。
  • 歴史上の大凶事が始まる前兆として生まれ、凶事が終わると死ぬ。
  • そしてその間、異変についての一切を予言する。

内田百閒の「件」

  • からだが牛で、顔が人間。
  • 生まれて3日で死に、その間に人間の言葉で未来の凶福(きょうふく)を予言する。

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「くだんのはは」は主に、昭和20年の6月から8月の間、中学三年生の主人公が体験した出来事が語られる小説です。空襲や原爆の話も出てきます。

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推測ですが「件」や「九段」ではなく、あえて平仮名の「くだん」にしたのは、暗に両方をイメージしてほしかった作者の願いが込められたタイトルなのかもしれませんね。

 

「くだんのはは」抜粋

—―動員先の工場での、友人たちとの生活は、日ましに苛烈(かれつ)なものになって行った。

 

空襲はいっそう激しくなり、B29の編隊は午前中一度、午後一度、そして夜中と、一日三回現れる事も珍しくなかった。三日に一度ぐらいは大編隊が現れて神戸、大阪、そして衛星都市を、丹念に焼き払って行った。その合間に艦載機の低空射撃がまじり出した。

 

工場のつけっぱなしになっているラジオから流れる軍歌やニュースの合間をぬって、苛(いら)だたしいブザーがひっきりなしに鳴り、「中部軍情報・・・」と言う機械的な声が敵機の侵入を告げる。

 

遠くでサイレンが鳴り、非常待避の半鐘がなり、空がどんどんと鳴り出すと、あちらこちらの高射砲が散発的に咳(せ)きこむような音をたて始める。

 

まもなくおなじみの、ザァッと言う砂をぶちまけるような音だ。するとパンパンポンポンはじける音が四方で起り、僕らは火の海の中を、煙にむせながら山の方へ逃げなければならない。*1

 

—―毎日暑い日だった。

やたらと暑い上に、空気はいがらっぽく焦(こ)げた臭いがし、焼跡の熱気は夜の間も冷える事なくこの暑さを下からあぶりつづけた。

 

いらだった教師や軍人は、僕らをやたらに殴りつけた。

 

腹の中は、熱い湯のような下痢でもって、みぞおちから下半身まで、いつでも一本の焼け火箸(ひばし)をさしこまれているような感じだった。

 

騒音と爆音と怒声、それと暑さの中で、僕たちは自分たちが炎天の蛙(かえる)の死骸(しがい)のように、黒くひからびて行くのを感ずるのだった。

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西宮大空襲の夜、僕は起き出して行って、東の空の赤黒い火炎と、パチパチとマグネシウムのようにはじける中空の火の玉を見つめた。

 

僕はいつもの習慣でゲートルをまいたまま寝ていたが、その夜ばかりは阪神間も終りかと思って、いつでも逃げられる用意をした。

 

「逃げませんか?」と僕は言った。「山手へ行った方が安全ですよ」

「いいえ、大丈夫」とおばさんは静かな声で答えた。「もう一回来て、それでおしまいです。ここは焼けません」

 

僕はその声をきくと、なんだかうろたえた。おばさんは頭が変なのじゃないかと思ったからだ。だがおばさんの顔は能面の様に静かだった。ふち無し眼鏡の上には、赤い遠い炎がチラチラ映っていた。

 

「この空襲よりも、もっとひどい事になるわ」とおばさんは呟いた。

「とてもひどい・・・」

「どこが?」と僕はききかえした。

「西の方です」

「神戸ですか?」

「いいえ、もっと西・・・」

そう言うとおばさんは、突然顔をおおって家の中へはいってしまった——

 

ある日、おばさんが僕を廊下でよびとめた。

「良夫さん、あなたの御家族、どちらに疎開(そかい)なさったかしら?」

「父の郷里です」と僕は言った。「広島です」

「広島?」と言っておばさんは眉をひそめた。「広島市内?」

「いいえ郡部の、山奥の方です」

「そう、それじゃよかったわ」とおばさんはほっとしたように言った。

 

——いつかの空襲の夜に、おばさんの言った、もっとひどい事、八月六日の原爆投下の起ったのは、その翌日の事である。 

 

主人公の行動について

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主人公の中学生は物語が進むにつれて、自分たち親子を助けてくれた恩人である「くだんのはは」に対して、卑劣で底意地の悪い憤懣(ふんまん)を爆発させてしまいます。

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主人公の行為は決して褒(ほ)められたものではありませんが、教師や軍人から殴られる毎日、そして「アメリカが上陸してきたら竹槍を持って特攻する」と主人公も覚悟していた、本土決戦、一億玉砕が話題にのぼる日常…。

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戦時下という状況は、人からやさしさや慈(いつく)しみの心を奪いとり、人間を根底から変えてしまうのかも知れませんね。  

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小松左京 原作「くだんのはは」文句なしにおすすめします。

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十五夜は昨夜だったけど、本当に満月になるのは今夜なんだって。f:id:seiyukenkyujo:20190827231633g:plain
www1.odn.ne.jp

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*1:

これは、B29爆撃機による焼夷弾攻撃の描写です。戦争体験者がまだまだ多かった、小説が発表された当時(1968年)と違って、現在は解説が必要な時代になっていますね。