ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

伊豆の踊子と処女作の祟りと「ちよ」

処女作の祟り 川端康成

一高の「校友会雑誌」に「ちよ」という小説を出した。これが僕の処女作である。

*1

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川端康成の処女作「ちよ」(1919年6月)に、「伊豆の踊子」(1926年1月-2月)の草稿ともとれる文章があります。

 

「ちよ」川端康成

その金で、丁度一身上の面倒なことで苦しんでいた頭を休めるため、旅に出ることにしました。

 

十日あまり伊豆の温泉場をめぐりました。その旅で、大島育ちの可愛らしい踊り娘と知合いになりました。

——娘一人とでなく、その一行と知合いになったのですけれど、思い出のうちでは、娘一人と、云いたい心持がしますから。一行の者は、その小娘を、

「ちよ」

と呼びました。

「千代」——

松と、

「ちよ」

私はちょっと変な気がしました。で、はじめて見た時の汚い考は、きれいにすてて——その上、その娘は僅か十四でした——一行の者と、子供のように仲よしに、心易い旅をつづけました。*2

その小娘と、私は極(ごく)自然に話し合うようになったのでした。

私が修善寺から湯ヶ島に来る途中、太鼓を叩いて修善寺に踊りに行く娘に出逢ったのが、はじめです。そして痛く旅情を動かしました。

次の晩、湯ヶ島の私の宿に踊りに来ました。

三度目に、はからずも、天城峠頂上の茶屋の雨宿りに、一行と落ち合いました。一しょに湯ヶ野まで、山を下りました。そこで二三日雨が続いたので、一行と下田に発った時分には、まるで友達になっていました。

私の旅の心も、そんな連中の道づれに、ぴったりしていました。

下田についた翌る日は、矢張(やは)り一行中の小娘の実兄と兄嫁との間に産れて、旅に死んだ赤ん坊の四十九日に当っていました。その心ばかりの法事にとどまってくれと云いました。しかし私の頭には

「千代」——

松氏の死のことがあって、法事なんか、よい気持がしませんでしたので、着いた翌る朝、船で東京に発ちました。

小娘は、はしけで船まで送って、船で食うものや、煙草なんか買ってきて、よく気をつけて、名残を惜んでくれました。その小娘を、私は、

「ちよ」

と呼びました。

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伊豆の踊子の“あらすじ”と言ってしまってもいいくらい、そっくりですね。それだけでなく「ちよ」には、前回のブログで紹介した「処女作の祟り」の草稿らしきものもあるのです。

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「映画の第一作には、その監督のすべてが凝縮されている」と映画評論家の町山智浩さんが語っておられますが、それは小説家にもあてはまるのかも知れません。*3

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www1.odn.ne.jp

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*1:

川端康成の処女作には「十六歳の日記」(1925年)があります。

十六歳の時の記述 (「十六歳」とは数え年で、満では十四歳である。) に、わずかな説明的な補注をつけただけで原型のまま、川端康成27歳のときに発表されました。

「ちよ」は、1919年に旧制一高の文芸部の機関誌『校友会雑誌』に発表された作品です。

さらに・・・川端が処女作と呼ぶ作品には、第六次『新思潮』の第二号に発表した「招魂祭一景」(1921年4月)もあります。

この「招魂祭一景」によって、菊池寛久米正雄佐佐木茂索らに賞賛された川端康成は、作家としての地位が確立され文壇に認められました。

またまたさらに・・・川端が処女作と呼ぶ作品には「篝火(かがりび)」(1924年3月)があります。「時代の祝福」の作中に【——私の処女作は「篝火」という小説でしたが、舞台はこの岐阜です。】という一文があるのです。

*2:

伊豆の踊子」では、「踊子は十七くらいに見えた」とありますが、物語が進むにつれ「十四歳」だったことが判明します。

*3:

川端康成には「ちよもの」と呼ばれる作品があります。成就しなかった初恋の人を扱ったものです。

川端22歳、ちよ15歳の時から交渉があり、翌年結婚話がまとまりましたが、少女の心変わりによって婚約は一方的に破棄され、川端の心に傷痕を残しました。

川端はこの少女に対する恋情をもとにした作品を数多く書いており、川端文学のひとつの分野をなしています。

「篝火(かがりび)」
「非常」
「南方の火」
「霰」
「父母への手紙」
「丙午の娘讃」
「伊豆の帰り」
「日向」
「雨傘」
「写真」
など。この他にも多数あります。

参考文献

「山の音」解説より 角川文庫