ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽
聴覚は最期まで残る感覚である
最期まで耳は聞こえているんですね。
今回は、ホスピスで働く音楽療法士さんの心温まる「実話」を紹介します。
残された時間をどれだけ有意義に過ごせるか
みなさんは、「ホスピス」という言葉をご存じでしょうか。
末期がんなどにより、死期が近づいた患者さんの苦痛をやわらげるためのケアを行う施設————これが、多くの人がイメージするホスピスかもしれません。
私もよく「ホスピスで働くのはつらくないのですか?」と聞かれるのですが、きっと、多くの人にとってホスピス=「死を意味する場所」という感覚なのでしょう。
しかし、ホスピスは単なる場所ではありません。
ホスピスとは末期の患者さんやそのご家族のために行われるケアそのものを指すのです。その目的は、患者さんがやすらかに、尊厳を持って最期のときを過ごせるよう、医療だけでなく心のケアを提供することにあります。
ホスピスの焦点は、あくまで「死ぬこと」ではなく「生きること」です。なぜなら、死は誰もがいつか必ず経験する過程なのですから。
「残された時間をどれだけ有意義に過ごせるか」
ホスピスの患者さん、そしてご家族にとってそれがいちばん大切なことでしょう。でも、考えてみればこれは、私たちが生きているかぎり、すべての人にとって重要なことなのではないでしょうか。
最期まで残る感覚 “きよしこの夜”
2002年、音楽療法のインターンとしてホスピスで働きはじめたころ、「聴覚は最期まで残る感覚である」と教官から教わった。
死期が近い人はたいていの場合、話すのはもちろんのこと、目を開けるエネルギーすら残っていないし、手を握っても握り返す力はない。
しかし、それでも最期まで耳は聞こえているというのだ。
これは、ホスピスで働いている人間であれば誰もが経験からわかることだ。だからホスピスのスタッフは、死がせまり、反応を示さなくなった患者さんのご家族に、「まだ聞こえていますから、声をかけてあげてください」とか、「音楽を聴かせてあげましょう」とか言ったりする。
しかし、当時の私は半信半疑だった。
今にも消えいりそうなこの患者さんたちは、本当に最期まで私たちの声や音が聞こえているのだろうか?なぜ、そのようなことを断言できるのだろうか?
実習中のある日、私は女性患者さんの部屋を訪ねた。喉からはゴロゴロと音がしていたし、呼吸もお腹を使った不自然なものに変わっていた。まもなく最期のときを迎える————彼女の死は、時間の問題のように思われた。
お見舞いにきていた旦那さんに音楽療法を勧めると、もう妻には意識がなく、なにもわからない状態だから、音楽など聴こえるはずがないと断られてしまった。
私はそのとき、教官からの受け売りではあったが、聴覚は最期まで残る感覚なんですよ、と説明を試みた。すると、旦那さんは顔をしかめてこう言った。
「あなたに、なんでそんなことがわかるのですか?」
私は言葉につまってしまった。
旦那さんは、納得がいかないという目で私を見ていた。今思えばそれも当然だろう。私自身、確信が持てなかったのだから・・・。
☆ ☆ ☆
七ヶ月にわたるインターンシップを終え、私はオハイオ州シンシナティ市のホスピスで正規の音楽療法士として働き始めた。
テレサと出会ったのは、一年目の冬のことだった。クリスマスの一週間前、シンシナティの町は一面の雪におおわれていた。
ベテラン看護師のキャロルにひきとめられ、音楽療法が必要な患者さんがいるからきてくれないかと頼まれた。テレサという80歳の末期の肺がん患者が、数日前に病棟に移ってきたらしい。
「テレサの死は時間の問題よ。ご家族はテレサの入院以来ずっと、つきっきりで看病をしているの。きっと疲れていると思うわ・・・。音楽療法がご家族のためになると思うのよ。訪問してみてくれない?」
テレサの部屋は、廊下のいちばん奥にあった。ドアが開いていたので軽くノックしてからはいると、部屋には異様な静けさが漂っていた。
ベッドの右側には、60代後半のメガネをかけた大柄な男性が無言でうつむいて座っており、左側には細身の金髪の女性が腰かけていた。彼女も同じくらいの年ごろで、物憂げな顔をしていた。
テレサは、ベッドの上で静かに横たわっていた。80歳とは思えないツヤのある巻き毛の黒髪が印象的な、小柄の女性だった。
白いシーツがかかった体はとても細く、しわしわの小さい手がベッドの端からちらりと見えていた。呼吸は不規則だったが、おおむね落ちついた様子だった。
私が音楽療法士(ミュージックセラピスト)としてここに来たことを告げると、ビルはけだるそうに顔をあげた。
「ミュージック・・・なに?」
「ミュージックセラピストです」
「・・・今? 今、そのミュージックセラピーっていうのをやるの?」
彼は、口には出さないものの「なぜ?」と言いたげだった。母親がもう長くはないことを、ビルとジョイスも知っていた。そんなときに音楽療法という聞いたこともないようなものを提案されて、戸惑いを隠せなかったのだろう。ジョイスも同様に、困惑した顔で私を見ていた。
テレサのように死がすぐそこまでせまっていて、容態も安定している患者さんの場合、セッションの焦点はその場にいるご家族や友人に移る。
彼らが大切な人と残された時間を有意義に過ごすためのお手伝いをし、心のケアを提供するのが、このような場合における私の役割だ。
音楽によって患者さんやそのご家族がリラックスし、言えないでいた思いを表現するきっかけになることもある。音楽自体が、ご家族から患者さんへの最後の贈り物になることだってあるのだ。
意を決して口を開きかけたとき、幸運にもビルがこう言ってくれた。
「まあ、母さんは昔からミュージカルが好きだったし、音楽を聴くっていうのも悪くないかもしれないな」
ジョイスを見ると、彼女もうなずいてくれている。私は、内心ほっとした。
テレサはミュージカルであればなんでも好きだということなので、『サウンド・オブ・ミュージック』の挿入歌“エーデルワイス”を唄うことにした。
私がギターの伴奏で唄っている間、ビルはテレサの手をとり、彼女の顔をじっと見つめていた。ジョイスはそれを見守りながら、となりで涙ぐんでいた。
歌が終わると、ふたりはどちらからともなくテレサとの思い出を語りはじめた。新しいミュージカルの公演があるたびに足を運んでいたこと。ときには子どもたちを連れていくこともあったそうで、いつの間にかビルとジョイスもミュージカル好きになってしまったこと。家事をするとき、ラジオをかけながらよく歌を口ずさんでいたこと————。
「子どものころの思い出っていうと、歌を唄いながら家事をしている母さんのことだな。母さんは、特に歌がうまいってわけじゃなかったけどさ」と、ビルは苦笑した。ジョイスもうなずき、「だから私も音痴なのよ。母さんに似たのね」と、頬をゆるめた。
テレサがいかに素敵な母親であったかは、彼らの話から容易に想像できた。いつもまわりに気を配っていたテレサは、近所の人からの信頼も厚く、旦那さんに先立たれてからは、一家の大黒柱として子どもたちを支えてきたそうだ。
私は、こわばっていたふたりの心がほぐれていくのを感じていた。
————この間、テレサは相変わらず静かに眠っているだけだった。呼吸も、多少不自然ではあったが、これは末期の患者さんにはよくある症状なので、私はビルとジョイスのセラピーに集中することにした。
みんなの緊張がとけたところで、私は“Heirloom”を唄うことにした。「私の宝もの」という意味の曲であり、この歌が、今のビルとジョイスの心境にぴったりなのではないかと思ったのだ。
歌の間も、ビルはテレサの手を握り続け、必死に涙をこらえているようだった。一方のジョイスは嗚咽(おえつ)をもらしながら、ハンカチで目頭を押さえていた。
「この歌、今の私の気持ちそのもの・・・」歌が終わるとすぐにジョイスが言った。
テレサは愛にかこまれ、充実した人生を送った人だったのだろう。もしかすると、だから彼女はとてもおだやかで、幸せそうな顔をしていたのかもしれない。
最後に、クリスマスソングを唄おうと思った。テレサが好きだったクリスマスソングはなんですか?と尋ねると、“きよしこの夜”をリクエストされた。この季節になると必ず、いちばんお気に入りだったこの曲を口ずさんでいたそうだ。
私は、ゆったりとしたテンポでギターをつま弾き、ささやくように唄いはじめた。
ごくごく普通のセッションの光景————そのはずだった。
私が異変に気づいたのは、一番の歌詞を唄い終わったあと。歌の途中にもかかわらず、思わず「あっ」と声をあげてしまいそうになった。自分の目を疑った。
テレサの呼吸が、急に規則的になったのである。まるで、ギターのテンポにあわせるかのように、彼女の呼吸はゆっくりと自然さをとりもどしていった。
そして三番目の歌詞にさしかかったとき、それまでずっと閉じていたテレサの目が、かすかに開いたのだ。
驚きを隠せなかった。
ビルとジョイスもテレサの変化に気づいたようで、私のほうをちらちらと見ていた。軽くうなずき、「私も気づいていますよ」と合図をし、そのまま歌を続けた。
なにかが起こっているのは明らかだったが、それがなにかはわからなかった。このような反応を見るのは、私にとっても初めてのことだった。
テレサの目は少しずつ開いていき、最終的には完全に開いた。そして、彼女はにっこりと、やさしく微笑んだのである。
信じられない出来事の連続に歌詞が飛びそうになったが、なんとか演奏を続けた。
歌も終わりにさしかかり、最後のフレーズを唄いあげるのと同時に、テレサはゆっくりと深く息を吸いこんだ。
そして、彼女がその息を吐きだすことは、二度となかった。
「ああ、母さんはたった今死んだよ・・・」
ビルは、テレサの手を握りながら脈をとっていた。彼女の脈は、歌が終わるのと同時にとまったそうだ。
嘘みたいな光景だった。彼女は、相変わらずおだやかな微笑みをたたえたままだった。その死はあまりにも静かなものだったので、ビルに言われなければ私は気づかなかっただろう。
それは、私が生まれて初めて間近で見た人の「死」だった。テレビや映画で観て想像していたのとはまったく違う、とても自然で、信じられないほどおだやかな死だった。
「こんなかたちで母さんが最期を迎えられてよかったよ。今まで生きてきた中で、最も美しい瞬間だった。母さんはすばらしい女性だったから、母さんにふさわしい死に方だったと思う。ありがとう」
そう言うと、ビルは私の手を力強く握った。
私にとっても、彼女の死は一生忘れられないものになるだろう、と思った。これ以上幸せな死があるだろうかと思うほど、テレサの死は美しかった。大切な人の愛情につつまれ、大好きな歌を聴きながら亡くなったテレサ。
ビルの言うように、彼女にふさわしい最期だった。
☆ ☆ ☆
テレサは、「聴覚が最期まで残る感覚である」ということを、私に教えてくれた最初の患者さんだ。
テレサとそのご家族の最後のやりとりに立ち会ったことが、その後、音楽療法士として活動していく自信にもなった。最期まで聴覚が残るということは、ホスピスにおける音楽療法にも大きな意義があるはずだ。
インターンの実習中、「あなたに、なんでそんなことがわかるのですか?」と言われ、言葉につまってしまった私。でも、今なら確信を持って言える。
「あなたの言葉はしっかり届いています。だから、話しかけてあげてください。きっと、患者さんもあなたの言葉を待っているはずです」————と。
ラスト・ソング人生の最期に聴く音楽 ポプラ社
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