川端康成「たんぽぽ」
「もしその崖で、お父さんの亡霊に呼ばれて、稲子さんがふらふらと崖から海に落ちたら、僕も落ちますよ。それも幸福だと思います。」
「およしになって。久野さん。稲子の父はそんな怨霊にはなっていません、絶対に。」と母は強く打ち消した。
「たとえ、稲子の足もとの崖が崩れたにしても、稲子は父の霊の支えで、宙に浮いていて、助けられますよ。わたしはそういう風に信じているんです。
死んだ人は生きている人を守ってくれています。
稲子の父はお墓にもお仏壇にもいないけれど、稲子のなかにいますわ。はっきりと強く。わたしのなかにもね。」
川端康成「学校の花」
先生が母心のありがたさをお話になってから、「お母さんに口答(くちごたえ)しない者は手をあげてごらん。」
たった三人なの、手をあげたの。私もその一人だったの。
感心な子供だ、皆さんのお手本だって、先生に大変褒(ほ)められたけれど、後でその三人が話し合ってみると、三人ともお母さんがなかったのよ。なくはないけれど、継母(ままはは)だったのよ。
三人で泣いたわ。褒められることなんか、ちっともなかったのだわ。
口答しないのじゃない、出来ないのね。
わがままな口答もゆるされてこそ、ほんとうの親なのよ。
生みの親より育ての親って、私の今のお父さんもお母さんも、ほんとうにいい方だけれど、私だって家ではいい子だけれど、でも、でも・・・。
川端康成「翼の抒情歌」
「歌舞伎の名高い役者に、やっぱり鳩(はと)好きがいたの。毎日鳩を楽屋へ連れて行ってね、夜食の注文を、その鳩で報(しら)せていたんですって、家の奥さんに。北海さんも、いつも研究室へ鳩を持っていらっしゃるといいわ。」
それは美恵子の空想でありました。二人がつくるはずの新しい家庭の。
その日の研究の進み具合や、気分のよし悪しや、帰りの時間や夕飯の好みなど、なにくれとなく———毎日鳩が空を運んでくる。
電話とちがって、鳩は生きている。
生きている鳩を夫の傍(そば)に置くことは、小さい彼女の分身が研究室へ行っているのとおんなじ。
川端康成「純粋の声」
演劇でもそうであるが、文学では特に、処女自らよりも、大人(おとな)となった女性の方が、また女でない男性の方が、かえって処女の純潔を描き得るということは、悲しむべきようなものの、あらゆる芸術が人間完成の道に外(ほか)ならぬを思えば、嘆(なげ)くにあたらぬであろう。
今の日本の世間のいろいろが、女流芸術家の成長を妨(さまた)げていることこそ嘆くべきであろう。
川端康成「片腕」
失神する狂喜に酔わされるよりも、そのひとのそばで安心して眠れるのが女はしあわせだと、女が言うのを私は聞いたことがあるけれども、この娘の片腕のように安らかに私に添い寝した女はなかった。
野坂昭如「ベトナム姐ちゃん」
「ぼくぐらいの年じゃなきゃわからないけど、昔、兵隊婆(ばあ)さんというのがいてね、むやみに兵隊さんが好きで、出征兵士がいるっていうとはるばる出かけて世話をする、行軍する兵士をみればお茶を接待する、弥栄ちゃんきいたことないかい?」
きいたことはないが、兵隊好きというなら、母親がそうだった、
弥栄子がまだ小学生の頃、動員令が下って招集された兵士の、宿舎が足らず、民家に兵士二、三名ずつ割り当てられた時、率先して六人を迎え、
母ははしゃいで、人がちがったように朝早く起き、演習に出かける兵士の飯ごうにちらし寿司(ずし)をつめ、卵焼きを入れ、
兵士の一人は困惑しきって、「下士官殿にしかられますから、塩昆布だけでけっこうです」と申し出たがきき入れず、「途中でこっそり食べりゃよろしいがな」
そればかりではない、何組か泊った兵士のあるものには、帰還してから東京で働きたいという希望をきいてあちこち頼み歩き、嫁の世話までした。
そして五月二十五日の空襲で母は焼け死んだのだが、*1 隣組の人は、「あれだけ兵隊さんにつくした人がねえ、運とはいいながら、殺生(せっしょう)なことをする」といい、母の兵隊好きは、有名だったらしい。