半藤一利さん
半藤一利さんがお亡くなりになったそうです。ご冥福をお祈りいたします。
映画にもなった「日本のいちばん長い日」の原作者、半藤一利さんの著書を紹介します。
【内容】
教育者で〇〇〇〇という人が「ある小学校長の回想」という本を書いている。それを読んで、吹き出してしまいました。
戦争中はそれいけ、やれいけで子供たちに特攻に行けということを教えた。戦争が終わった後、自分は何ということをしたんだと、反省した。これからは子供たちに民主主義を教えるんだと、書いている。
実にいい加減。
戦後はこういう人たちを良心的だと言ったんですね。
「おまえは、いい加減だ。本当に悩んだ人は、ころっと一日で変われるはずがない」、そう言いたいですよ。でも、戦後の主役となったのは、戦争が終わったとたんに「俺は何ということをしたんだ、これからは民主主義だ」と言った人ばかりです。
実に恥知らずな変わり身の早さです。*1
頁147-148
ここは、伊丹万作さんの「戦争責任者の問題 」と通じますね。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。
だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
「だまされた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今度も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけがない。
「戦争責任者の問題」より
「歴史に if (もしも)はないというけれど、実は歴史には if があるんだ。
そのときどきにどんな選択肢があり、それが選ばれたことが何を意味するか――。そうやって「過去」を知り、それを引き延ばして「現在」や「未来」を反省できる。
この前提で何を選ぶべきか。
過去に似たような前提A1があったとき、ほかの選択肢(A2,A3,A4…)を捨ててA1を選んだけど、それがベストだったのか、別の選択をしていたら、どうなった?と考えられる」と語っています。
「(戦時中の新聞は)沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走った」と半藤一利さんはその著書「そしてメディアは日本を戦争に導いた」で語っています。
「戦時下のジャーナリズムは悪い方向に行ってしまった。だからこそ同じ轍(てつ)を踏んじゃいけないよ」ということですね。
いい世の中になってほしいです。いろいろ考え続けたいです。
参考文献
そしてメディアは日本を戦争に導いた 東洋経済新報社
伊丹万作エッセイ集 ちくま学芸文庫
14歳からの社会学 世界文化社
毎日新聞のコラム「余録」が読みごたえがありました。リンクを貼っときます。
「余録」に記された半藤一利さんの体験を知ると、「なぜ厳しい意見を半藤さんが持つようになったのか」がわかる気がしますね。いい世の中になってほしいです。
半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓
1.国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版の自由こそが生命である。
2.最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せよ。すなわちリアリズムに徹せよ。
3.日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例・旧日本陸軍参謀本部作戦課)の弊害を常に心せよ。
4.国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
5.すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの見方を心がけよ。
半藤さんは17歳の時、東京裁判を傍聴した。旧制高校の同級生だった元駐イタリア大使、白鳥敏夫の子息に誘われ関係者席に座った。A級戦犯に問われた軍人らを見て思ったという。
「戦争のリーダーはこんなくたびれた老人ばかりかと驚いた。これじゃ勝てるわけない」
九死に一生を得た東京大空襲の体験。そして、編集者として数多くの旧軍人らに直接取材した経験が原点だった。失敗の記録を残さず、教訓を次代に継承しなかった陸海軍に厳しく視線を向けてきた。
コロナ禍に苦しむ現在の社会でも、心にとどめたい教訓である。
東京新聞より