行動の観察と読解とスパイ小説
台本を読み解くには行動を観察しよう
2020年8月6日のブログより
台本に書かれた登場人物は、いろんな言葉(セリフ)をしゃべります。その言葉は本当のことだったり、あるいは完全なウソだったりと、さまざまです。
その言葉がウソか本当か見抜くには、登場人物の行動を観察しましょう。
と、以前のブログでお話しましたが
うってつけの小説があったので、紹介させていただきます。
寒い国から帰ってきたスパイ
「食べたらいいじゃないか」女看守はくりかえしいった。
「みんなもう、おわったんだから」
同情からではない。せっかく食事を出してやったのに、なぜ手をつけようとしないのだろう?この女、ばかなのかしら、と思っているようだ。
「おなかがすいていないのです」
女看守は肩をすくめて、
「これから、ながい旅行をすることになるんだよ。行きついたところで、思いどおり食べられるわけでなし」
「どういう意味?」
「イギリスの労働者は飢えている」女は、自分ひとり満足しながら、しゃべっている。「資本家がかれらを飢えさせている」
リズはいいかえしてやりたかったが、なにを、どういってよいのかわからなかった。
「イギリス人か!金のあるやつらがおまえさんたちの将来を食いものにしている。おまえさんたち、そいつらに食べものを提供しているんだ——それがイギリス人の現状だよ」
「じゃ、ここはスパイの監獄なのね?」
「社会主義世界のリアリティを認識するのに失敗した連中を入れとく刑務所だよ。———要するに、叛逆者の牢獄さ」
「あのひとたち、どんなわるいことをしまして?」
「コミュニズム社会の建設は、個人主義を絶滅しないことには実現できないんだ。敷地に豚小屋があったんじゃ、大きなビルが建たないからね」
リズはびっくりして、彼女をみつめた。
「それ、みんな、だれの言葉?」
「あたしはこれでも地区委員だよ」女看守は誇らしげにいった。「この刑務所が受持ち地区でね」
「えらいかたなのね」
とリズが、そばによっていうと、
「あたしは労働者さ」彼女はきつい顔になってこたえた。
「ただし、頭脳労働者の考えることが高級なカテゴリーだと見るような誤謬(ごびゅう)は抹殺してもらいたいね。そんなカテゴリーなんて、あるわけじゃない。労働者はひとつさ。肉体労働者と頭脳労働者はアンティテーゼじゃないんだよ。おまえさん、レーニンを読んだことがある?」
「じゃ、この刑務所に入れられてるのは、知識人ばかりなのね?」
女は笑って、
「そういうことになるね。自分では進歩主義者と称している反動主義者。個人のために国家と闘おうと考えている連中さ。フルシチョフがハンガリーの反革命について、なんといったか知ってるかい?」
リズは首をふった。
「こういったんだよ————〝もっとはやく、著述家たちを射殺しておいたら、こんなことは起こらないですんだ〟って」
「まだ、食べたくないのかい?」
そして彼女はデスクの上の皿を指した。リズは首をふった。
「じゃ、あたしが食べておこうか」彼女はいって、気がすすまないのに、代って食べてやるといった格好を、グロテスクなほど誇張して、「ポテトまでつけてあるじゃないの。調理場に、おまえさんの恋人がいるらしいね」
その冗談で、自分から愉快になったようすで、その笑顔を、リズの皿を食べおえるまでつづけていた。
「寒い国から帰ってきたスパイ」は、1960年代の初め、東西冷戦の真っただ中で繰り広げられる、スパイの工作活動を描いたミステリー小説です。
東側の女看守は、イギリス(西側)の資本主義を蔑(さげす)み、自分たちの社会主義政策を誇らしげに語っています。
女看守の言葉にウソはないでしょう。本気でそう信じているんだと思います。
ただ女看守の行動をみていると
リズに出された食事を最初から最後まで気にしてるんです。
そしてリズが食べないと知るや、気が進まないふりをしながら「ポテトまでつけてあるじゃないの」と大喜びで食べ始めます。
お腹がすいているのかな、ふだんお腹いっぱい食べられていないのかな・・・。
「ポテトまでつけてある」というセリフからは、ジャガイモも満足に食べることができない食生活なのかな・・・。
女看守の信じている政策を続けた結果、こうなってしまったのかな。
だけど女看守は、その理想と現実が乖離(かいり)していることにまったく気がついていないんだな、ということがみえてきますね。
——とは言っても
女看守のセリフ
「おまえさんたち、そいつらに食べものを提供しているんだ——それがイギリス人の現状だよ」
女看守の語る西側の資本主義と、川端康成の「時代の祝福」には共通する点がありますね。
時代の祝福 川端康成
けなげに早瀬へ潜って鮎(あゆ)を捕える鵜(う)は、自分の獲物が咽(のど)を通らないように首を絞められている。そして飼主に口の中の魚を搾(しぼ)り出される。だから何十匹の鮎を捕えても彼は飢えている。
これは今日の多くの生産者の姿そっくりである。
これは今日流行の鵜飼の見方である。
人間はすべて鵜である。
「時代の祝福」は、1927年ごろの執筆と推定されています。世界大恐慌がはじまる2年前です。
戦後の日本人の常識の一つに、世界恐慌はルーズベルト大統領によるケインズ型の財政政策によって回復した、というものがあります。
ニューディール政策とは、1930年代にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが「このままではいけない」と世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策です。その結果、経済状況は回復していきました。
「寒い国から帰ってきたスパイ」は、1963年に出版されました。日本でいえば「昭和恐慌 (世界恐慌のこと)」「戦後の混乱期」を脱して「一億総中流」に向かっていた時代です。
女看守の頭の中にある資本主義社会の情報は、「時代の祝福」あたりの状態で止まっていて、ニューディール政策や日本の一億総中流という新しい情報【時代の変化】がインプットされていなかったのではとも推測できます。
しかし現在の日本は「一億総中流」ではなくなりました。貧富の格差が拡大しています。女看守を反面教師として、いろいろ考えていきたいですね。
「資本主義、社会主義どちらが優れている」と対立するんじゃなく、お互いの主義の【いいとこ取り】をして、大きく発展していく道はないのかな、なんて私は考えています。
いつのまにか、理想と現実がかけ離れてしまうことって往々にしてあると思います。だからこそ、いろんな視点からいろいろ考えて、いい世の中になってほしいです。それでは、また。
参考文献
寒い国から帰ってきたスパイ 早川書房
文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕 ちくま文庫
P.S. 女看守のセリフ
「おまえさん、レーニンを読んだことがある?」
レーニン主義とは
スターリンは、レーニンによって、マルクスの思想の唯一、真正な継承発展がなされたと主張し、マルクス・レーニン主義と呼んだ。
世界恐慌の真っ只中でも目覚ましい経済発展を遂げたと伝えられたこと、第二次世界大戦において強大なナチス・ドイツとの戦争に勝ち抜いたことなどで、ソビエト連邦及びスターリンの政治的威信は増大し、アジア・東欧・アフリカ・カリブ海域において、多くの「社会主義国」が生まれて世界を二分した。
しかし、1970年代に入り経済発展の面で西側先進国からの立ち遅れが顕著になったこと、政治的な抑圧体制も広く知られることとなり次第にその権威は失墜、1991年のソビエト連邦の崩壊に前後して、そのほとんどは姿を消した。
ウイキペディアより