時代の祝福
時代の祝福 川端康成
そう、そう、私は地震の時に (関東大震災のこと) ずいぶん沢山の惨死体(ざんしたい)を見ましたが、同じように腸(はらわた)を飛び出して隅田川に浮んでいるのでも、私は人間よりも馬の死骸(しがい)に涙を流してやりました。
だって、人間は自分自身が作り出した都会だとか家だとかいう生活形式のために焼け死んだのだ。
いわば自業自得(じごうじとく)だ。
ところが馬は、馬自身の生活形式を人間の手に奪われていたからこそ死んだのじゃないでしょうか。
諸君は馬を笑うか。
人間の生活形式だって何かに強(し)いられてこうなっているのではなかろうかと、疑えば立派に疑えるのです。
———こんなことを云ったって、私は原始に憧(あこが)れているわけではありません。
自然に還(かえ)れなんて、そんなお月さまと結婚するようなことを考えているのでもない。
わたしの云っているのはただものの譬(たと)えです。
新型コロナ、気候危機・・・視点を変えて読んでみると川端康成の言葉は現代でも十分に通用します。
それを悲しいと感じるか、いやいや人類は何度となく立ちはだかる困難という壁を乗り越えてきたのだ、と解釈するか。
いい世の中になってほしいです。それでは、また。
私の答えは「両方」です。
つまり、悲しいと感じるからこそ、乗り越えようと思います。
いい世の中になってほしいですね。