心の中にいる悪魔と演劇
人間はふだん「悪い心」を自分の心の奥底に封じ込めている。
その自分の中にある「魔」に気づき、解放するのが演劇であり、役に近づく第一歩である。
これは、わたしがまだ若いころ、先輩の声優から教えられた言葉です。
この小説を読んでいて、それを思い出しました。
人間のなか 川端康成
「あたし、心もからだも、よごれているのよ。」
志村は手をゆるめてためらったが、「よごれているって言えば、人間はみんなよごれている。だけど、そんなの、うそだ。人間はだれもよごれていやしない。どんなことしたって、よごれやしない、人間は・・・。」
「人間のなかには、いろいろなものがいるわ。いっぱいいるのよ。」
「人間のなかにって、桃代さんのなかに・・・?」
「そう。あたしのなかに・・・。こわいわ。」
「桃代さんのなかには、桃代さんがいるだけだろう。」
「そうじゃないの。桃代のなかに、桃代はいないの。」
「これはだれなの。」と志村は腕で桃代を抱きゆさぶった。
「桃代だわ。」
「このなかになにがいるのか、僕は見たいね。見せてほしいね。」
「志村さんの目には見えないわ。見えないから、いいのよ。」と桃代は少し落ちついて、目ぶたを閉じた。
志村は桃代をむきだして、「こんなきれいなからだが、どうして、よごれていると思うんだろう。」
「志村さんには見えないのよ。」
「見えているよ。」
「見ないでちょうだい。あたしのなかにいる、なにが出て来るかわからないから・・・。」
「いいよ、なにが出ても・・・。なかにいるやつを、みんな追い出そうよ。鬼でも魔でも、みみずでも、とかげでもね。」
桃代は志村の顔の下で首を振った。「だめよ。海だっているし、雪だっているのよ。お化けがあたしを出たりはいったりしているの。」