毒をもって毒を制す
戦国大名は、多数の忍びを雇用し、これを自らの直参としたうえで、重臣に預けたり、各地の城砦に配置した。
そして、敵地の諜報活動、偵察はもちろん、草、伏、かまりなどの待ち伏せ戦法、敵城や陣所への潜入、夜討、放火などを担った。
戦国大名は、悪党と呼ばれていたアウトローたちを、なぜ「忍び」として雇用し、重用したのでしょうか。
忍びとなった悪党たちは、罪一等を減じられて、配下になった者、扶持(ふち)を目当てに雇われた者などがいました。
忍びは、遊撃戦や夜間の戦闘にその能力を存分に発揮します。
しかし、戦国大名が彼らを雇用したのは、それだけではありませんでした。
大名に雇用された忍びたちは、領国内で悪事を働く悪党たちを、摘発する任務を負っていたのです。
毒をもって毒を制す
北条氏の配下であった風魔一党は、自分の傘下に入らず(北条氏に帰属せず)、窃盗、強盗、殺害、放火などを行う盗賊(悪党)を、その情報力と配下の連中を駆使したネットワークなどで摘発し、これを処刑していたらしい。
また、大名の家臣らの不正を調査、摘発することも、忍びの任務であった可能性がある。
つまり、忍びとして大名に雇用された悪党は、領内の悪党を摘発、処理するだけでなく、家臣らの動静監視をも担う、領国の治安維持の中核の一つでもあったわけだ。
戦国大名にとって、領国内を荒らしまわる盗賊対策は、頭の痛い問題であった。そのため、盗賊を摘発したり、それを成敗することは、恩賞の対象となっていた。
個々の領主や、土豪たちは、自らの支配領域や本領、知行所の治安維持を目指して、日々努力をしていたが、神出鬼没の盗賊たちに対応することは、なかなか困難であった。そこで頼りにされたのは、悪事の道に精通していた、悪党たちの忍びたちだったと考えられる。
また、忍びたちは、領国の出入口の番所などに配置され、国内に入ろうとする人々を監視し、他国の忍びや盗賊たちが入り込もうとするのを、水際で摘発することも、大切な任務であった。悪党出身であるがゆえに、いかに相手が変装をしていたとしても、同類に対して働く勘が物をいって、摘発ができたのであろう。
忍びは、悪党出身であるがゆえに、その道に精通しており、領国の村や町を荒らしまわる悪党の探索と摘発、さらには、他国からの潜入者摘発が、大名から期待されていた。まさに、「毒をもって毒を制す」というところであろうか。
いっぽう、悪党としての忍びは、自らの主君の支配する領国で、殺害、放火、盗みなどは許されません。それは当たり前です。
だが、敵国であれば大いに奨励され、それが恩賞加増の規定基準にもなっていました。かくして彼らの矛先は、敵国の村町や城砦、敵兵などに向けられたわけです。
悪党を忍びとして戦国大名が召し抱えたのは、軍事的要請という他に、領国の治安維持と安定という意味合いもあったのでしょうね。
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参考
戦国の忍び 角川新書