団員たちを絶望的な気持に駆りたてたのは、たった今まで炊事を手伝うなど好意を示してくれていた部落民までが、兇器を手に匪賊(ひぞく)*1の群に加わっていることであった。
だまされた——
ここに至って、初めて部落民の親切の裏が読めた。匪賊に通報する時間をかせぐため、火をたき、水を汲んでくれたのである。
昨日のブログで紹介した、山崎団長ひきいる東京荏原開拓団は、親切そうな満人にだまされて大変なことになります。
だけど、こんなこともあったようです。
丘へかかろうとすると、また高地から弾を浴びせられた。
匪賊(ひぞく)らしい。
方向を変えて、部落のある方向へ逃げた。
道が二またに分れている所で、先頭が右へ進もうとすると、ボロをまとった陰気な顔の満人にさえぎられた。
「こっちの道には匪賊がいるから、あちらへ行け」と彼は告げる。
だますなッ
——と、先頭の男がいきなり日本刀をぬいて、この満人を斬った。この気の立った男の妻は、明け方、夫にも告げず子供と共に服毒して死んでいた。
一行は先頭に続いて、右の道へ進んだ。
たちまち匪賊らしい多数の男が現われ、逃げようとした時は退路も断たれていた。
抵抗するひまもなく、男たちだけが前へひき出され、女子供は銃を持った匪賊に囲まれて、無理やりに歩かされた。
夫と息子を奪われた女が、ひきたてられながら毒を口に入れようとした。
それに気づいた匪賊の一人がとっさに彼女の腕をつかみ、白い粉は口から胸へ散った。殺せ、殺せッ——と絶叫する女は道になぐり倒された。
女子供だけが、古びた倉庫に入れられた。これ以上の危害は加えないらしい。
男たちの消息はわからない。殺されてしまった——と、女たちは決めていた。また何人かの自決者が出た。
これは昨日のブログで紹介した、山崎団長の東京荏原開拓団とは違う、黒台信濃村の一団の記録です。
黒台信濃村開拓団は、「だまされてたまるか」と、本当のことを教えてくれた満人の忠告を聞かなかったために匪賊に捕まってしまったのです。
親切な満人もいたんです。
もう何を信じたらいいのかまったくわかりません。それが戦争だ、と言ってしまえばそれまでですが・・・。戦争反対。
引用
墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅 中公文庫