東京五輪と井伊直弼と役作りのヒント
鎖国をやめて開国する
答えは一つしかないと分かっているのに、汚名を着るのを恐れて誰も決断を下そうとしない。
結局泥をかぶる決意をしたのは、大老井伊直弼(いい なおすけ)ただひとりでした。
幕末の大老、井伊直弼
彼について、悪人というイメージを持つ人は多いのではないでしょうか。しかし、近年は井伊直弼という人物を見直す動きがあります。
井伊を悪人とする見方は、明治維新以降、つまり徳川幕府側が「逆賊」となったのちに勝者側の視点で描かれたストーリーであり、当時の井伊がそうした行動するに至った経緯、心理を正確に伝えるものではないのではないかというのです。
井伊直弼が大老に抜擢されたのは、ペリーの黒船来航から5年後の1858年、アメリカの総領事ハリスが日米修好通商条約を締結すべく日本にやって来た超混乱期でした。
大抜擢の理由は、今まで直弼の人柄を見てきた将軍の家定が「家柄からも人物からも大老は掃部頭(直弼)しかいない」と言ったためでした。
正直、弱小国だった日本がアメリカを突っぱねて鎖国なんて現実的に続けられるわけもなく、もうどう考えても開国するしかありませんでした。
ただ、幕府が天皇の許可を得てから条約調印しようと考えて孝明天皇に相談してしまったため、事態がややこしくなってしまったのです。
なぜなら、孝明天皇の立場からしてみれば、自分の代で外国の勢力に屈して開国するなんてことは末代までの恥。
代々の天皇に顔向けできない。だからどんなに幕府が説得しても、決して許可できるわけがないのです。
かといって日本にアメリカをはねつけるだけの力はありません。もうどうにも八方塞がりになってしまった幕府を救ったのが、大老、井伊直弼でした。
「天皇を無視してでも、日米修好通商条約を締結して開国する」。答えは一つしかないと分かっているのに、汚名を着るのを恐れて誰も決断を下そうとしない。
結局泥をかぶる決意をしたのは、大老井伊直弼ただひとりでした。
「重罪は甘んじて我等一人に受候決意(日米修好通商条約を締結するという重罪は、私一人が受けよう)。」
という直弼の言葉が残っています。
直弼だってできるものなら本当は条約調印なんかしたくない。
そんな中、責任を自分一人で負う強い覚悟で、日米修好通商条約を締結したのです。彼の迅速な決断によってひとまず日本は救われたと言っていいでしょう。
情報元
なんとなく現在の日本の東京オリンピックをめぐる状況と似てますね。
ここからは演劇的な視点で
ここまでは、井伊直弼なかなかいい人です。しかし、その後を知ると「う~ん・・・」と考えてしまいます。
案の定、孝明天皇は激怒。
天皇は、幕府よりも水戸や長州藩を信頼しているという事実を認める事になります。
攘夷を唱えていた多くの日本人も井伊直弼に対して反感を持ちます。
そこで苦肉の策として井伊直弼が行ったのが、「安政の大獄」でした。天皇に近づく反乱分子を徹底的に処罰したのです。
処罰対象となったのは強固な尊王攘夷論を唱えて幕府に反発する大名・公卿・志士(活動家)らで、その人数は100人にものぼりました。
謹慎から死刑まで、直弼は幕府を揺るがしうる者を徹底的に弾圧しました。
処刑した人物の中には学識のある人物も多くいましたが、その人たちの意見を聞くことなく処罰した彼の行為は、「誰にも頼らない」という開き直りにも近いほどの覚悟の表れでした。
この事で多くの恨みを買い、自分が殺害される覚悟をした彼は、
「咲きかけし猛き心の一房は散りての後ぞ世に匂いける(咲きかけて散る私の本心は、死んだ後の世こそが理解してくれるだろう)」
という句を詠み、そしてその直後に有名な桜田門外の変で暗殺されたのでした。
享年45歳。
川端康成は小説「人間のなか」で、人間の心の中には、いろんなものが潜んでいる、と述べました。
劇作家ブレヒトの作品には、最初はいい人だったのに、ストーリーが進むにつれ性格が変わって行き、ラストは最初と正反対の行動をとっている「都会のジャングル」「イングランドのエドワード二世の生涯」「セチュアンの善人」などがあります。
歴史をあつかったアニメや映画・演劇はたくさんあります。みなさまの役作りのヒントに、ぜひ、ご活用ください。
ブレヒト戯曲全集1巻 解説より
「都会のジャングル」1923年
私のコンセプトはこの闘争で非常の男シュリンクが自分のプリンシプルに反して次第に人間的になっていくのに、ガルガは次第に非情さを身につけていき、最後にはタヒチ島ではなく、大都会ニューヨークというジャングルに旅立てるほどのハードボイルドに成長するという反教養小説的な方向だった。
「イングランドのエドワード二世の生涯」1924年の演出も同じ線であるが、特に強調したのは重要な人物がすべて途中から正反対の性格に変身することである。
人間の性格など環境によってどうにでも変わる、『ジャングル』1923年のセリフで言えば「ひとりの人間のなかにはあらゆる可能性がある」という部分は、性格を決めて人物造形をする今までの(今日でも)芝居の作り方とは違うひとつの手がかりになるだろう。
ということは、キャラクターの性格は固定しないで演じたほうがいいということですか
いいえ。
それは作品によって変わります。
大きく分けて、はじめから終わりまでキャラの性格が変わらない作品と、そうでない作品があります。
また同じ作品であっても、シェイクスピア劇「ヴェニスの商人」シャイロック役のように、時代によってキャラの解釈が変わる場合もあります。
固定観念にとらわれず、臨機応変に役を演じられる声優を目指してくださいね。