ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

木炭車と拳銃と歴史は繰り返す…

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小説には当時の人びとの暮らしや風景がタイムカプセルのように封印されていたりします。

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学校の教科書には書かれてない歴史ですね。 

舞姫 川端康成

タクシイがいやな音を立ててとまると、うしろから煙をふき出した。

炭の俵とまきの袋とを、うしろにつけた車だ。ゆがんだ古バケツもぶらさげている。

「いやですわ、この車・・・。悪いことがあるわ。こわいわ。」

「ひどい煙を出してますね。」
と、竹原もうしろの窓を見て、
「かまのふたをあけて、火をおこすらしい。」

「地獄の車ですわ。おりて歩いてはいけませんの?」

「とにかく出ましょうか。」

竹原はあけにくいとびらをあけた。

皇居前の広場へ渡る、堀の上であった。

運転手は長い古鉄の棒を、かまの腹につっこんで、がちゃがちゃまわしていた。火を煽(あお)ぐものだろう。

向うの堀の突き当りの正面、マッカアサア司令部の屋上に、つい今までアメリカの国旗と国際連合の旗とが、あったと思うのに、なくなっていた。ちょうど旗をしまう時間なのだろう。

そして、司令部の上の東の空は、夕やけがなくて、薄雲が高く散っていた。

波子は広場の遠くを見た。

「うちの高男や品子も、戦争中、小さい中学生女学生で、ここへ、土運びや草取りに、学校から通ったんですよ。宮城前へ行くというと、矢木は子供たちに、体を冷水で清めさせましたわ。」

「あのころの矢木さんなら、そうでしょうね。その宮城も今は、宮城と言わないで、皇居というようですね。」

皇居の上の夕やけは、おおかた晴れて、灰色がひろがり、かえって逆の東の空に、昼の明りが残っていた。 

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戦後の日本は木炭車が走っていたんですね。

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有吉佐和子の「非色(ひしょく)」にも木炭車が出てきます。

私は軽やかに手をあげてタクシーを止め、新宿へ行くように命じた。女王さまと王女さまを乗せた木炭車は、東京中で一番早く復興した街へ向って踊りながら走り出した。

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ウィキペディアによると

木炭自動車(もくたんじどうしゃ)とは、木炭をエネルギー源として走る自動車である。

日本では燃料用の原油が不足した第二次世界大戦前後の1930年代末期から1940年代後期にかけ、民間の燃料消費を抑え、軍用の燃料を確保するため使用された。

1951年5月に運輸省が「ガソリン事情の好転」「森林資源の保護」の2点を挙げ、木炭自動車の廃止にむけて動き出す事を発表した後は急速に姿を消した。

とあります。

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舞姫」は昭和25年12月から、昭和26年3月にかけて朝日新聞に連載された小説です。小説が書かれた昭和26年(1951年)ごろを境に、木炭車は姿を消していったんですね。

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また、マッカーサー司令部や皇居の名称など、いろいろ興味深いです。  

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「地獄の車ですわ。」

というセリフがおもしろくて気に入ってます。当時は、地獄の車<木炭車>が走っていたのか、と想像すると楽しいです。

さらに・・・川端康成 舞姫より

高男はピストルをねらう、手つきをした。

「これでいきますよ。」

「高男、お前、ピストルなんか持ってるのか。」

「持ってやしないけど、そんなもの、友だちに、いつだって借りられますよ。」

息子はこともなげに答えて、父を冷やっとさせた。

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マジ f:id:seiyukenkyujo:20190822201734g:plain

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この親子は、ふつうの家庭の一般市民という設定です。

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ホントに一般市民が銃を手に入れられたのかな、と思って調べたところ、戦時中の軍用拳銃が一般住宅の蔵の中から相次いで発見されている、という新聞記事を見つけました。

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2020年8月14日の読売新聞・福島県の記事によると、福島県内では今年(2020年)6月末時点で、拳銃4丁、実弾53発が押収されたそうです。

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こうした形で発見される拳銃の多くは、当時は所持が合法だった旧日本軍で使用されていた拳銃で、2015年には拳銃6丁、実弾168発が発見されるなど、毎年のように一般住宅から押収されているそうです。

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21世紀の現代でもそうなのですから、小説の描写もあながちウソとは言えませんね。

福島県会津若松・喜多方は、古くからの蔵が多いんだそうです。

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長いこと蔵の奥に眠っていた拳銃が、蔵カフェの開業に伴い発見されているのかも知れませんね。

引用
その女、ジルバ 小学館

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「風媒花」(武田泰淳)には、こんな記述がありました。

「峯の奴が拳銃をほしがってやがったな」

中井は皮囊の蓋(ふた)をあけにかかる。

「拳銃なんか何だい。いくらでもこうやって手に入るのになあ。あいつ、まぬけな奴・・・」

「風媒花」は昭和27年(1952年)の作品です。

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異説 田中河内介 池田彌三郎

大正の初年、例のスペイン風邪の流行した年の事で、もちろん関東の大震災以前、世の中の景気もよくって、すこぶるのん気だった頃の話だ。 

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大正元年は1912年です。

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関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日。

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1929年には世界大恐慌

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それにより日本経済は、生糸の輸出が急激に落ち込み、株が暴落。都市部では多くの会社が倒産し就職できない者や失業者があふれ、農村では娘を売る身売りや欠食児童が急増しました。

そして

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1937年(昭和12年)には日中戦争が始まり、1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争に拡大しました。

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のん気で景気も良かった大正元年から30年もしないうちに・・・と思うと、いろいろ考えさせられますね。1991年にバブルがはじけてから現在のコロナに苦しむ私たちもそうかな、なんて・・・。

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以上、小説から学ぶ歴史でした。f:id:seiyukenkyujo:20201118232347g:plain

参考
舞姫 新潮社
非色 新潮社
和文学全集15 小学館
文藝怪談実話 筑摩書房参考
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www1.odn.ne.jp

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