がんばれ!ベアーズとドジャースの共通点
がんばれ!ベアーズを深読みする
「がんばれ!ベアーズ」とは、「超エリート少年野球、最強チーム・ヤンキース」と、「はぐれ者・のけ者たちを集めた庶民派、弱小チーム・ベアーズ」との戦いをコメディタッチで描いたアメリカ映画です。
チーム構成・比較
最強・少年野球チーム・ヤンキースに所属している子供たちは「白人」のみです。映画を観る限り、白人以外の選手は見当たりませんでした。【※】ヤンキース以外のチームには黒人選手がいました。
対するベアーズは、白人・ユダヤ人・黒人・メキシコ人・それに
ベアーズや、ヤンキースの所属する少年野球リーグで唯一の「女性選手」もいるんです。
しかも・・・
監督はアルコール依存症で飲んだくれの酔っ払い。
主砲の四番バッターは、札付きの不良少年。
エースの女の子は、ハリウッドの【映画スター自宅ガイド地図】を、おのぼりさん相手に〝高値で〟売りさばいてボロ儲けをしているという、あまり感心できない小遣い稼ぎをしています。*1
そんな、愛すべき人間臭さたっぷりの〝のらくら者集団〟弱小チーム・ベアーズが、最強チーム・ヤンキースをぎりぎりまで追い詰め、惜しくも力及ばず負けるものの「来年まで待ってろよ。来年は僕たちが勝つんだ!」というセリフが痛快な、知る人ぞ知る、映画史上に燦然と輝く名作であり傑作です。
この「マジョリティとマイノリティとの対立構造」という「どうかしてるよ、その読み解き…」とツッコミも予想される理論の参考となり根拠になった小説が
ドジャースが西海岸へ移って30年、大リーグに異変が起きた。
ドジャースを古巣ブルックリンへ連れ戻そうというのだ!
その中心となったのは50年代の熱狂的ドジャース・ファンの二人。球団を買いとり、計画は滑りだした。
ただし戦力は最低のお荷物チーム。
それでもブルックリンを、エベッツ・フィールドを目ざして、二人の男の夢の旅はつづく。
ブックカバーの解説より
「彼らはファシストだ」
父はよく言い言いした。「血も涙もないファシスト以外の何者でもない」
彼の言ってるのはヤンキースのことだった。
それが——ファシストという言い方が——彼らを名ざしするときの父の決まり文句だったが、以来、生涯にわたり、私たちにとってヤンキースはファシストということになった。
たいがいのことについては父はものわかりがよかったが、ことファシストに関してはそうでなかった。
やつらは敵だ。
やつらは庶民を毛嫌いしている。
金めあてに野球をしているにすぎない。
それに引き換え、ドジャースの選手はわれわれと似た者同士だ。
彼らは野球が好きでやっている。
彼らは、黒人選手にプレーに許しているが、ファシストどもはそうじゃない。
あのチームには人の心を打つものがある。負けたときでさえ感動させる。
だからこそブルックリンの人間は彼らをこんなに愛しているんだ。
頁36-37
「われわれが何とかしなければならん。早急に手を打つ必要がある」
私たちはともに二十五年近く彼らのことを無視した。
彼らがロサンジェルスくんだりへ出ていったことを憎み、連中はもはやドジャースですらないのだというふりをした。
なぜなら連中があそこへ移って以来、だれも彼らをバムズ(のらくら者)とは呼ばなくなったし、
彼らはもはやバムズではなく、べつのチームであり、
とりわけ生粋(きっすい)のブルックリンの出だったコーファックスが引退してからはいっそうその感を深めているのだから、と。
彼が最後のきずなだったのだ。
頁96-98
そういうことも相まって、
という「実業家として成功した主人公たちが、ファンの代表としてドジャースをブルックリンに買い戻す!」ストーリーが展開されるのです。
それだけではありません。
ブルックリンにもどって来たドジャースは「大リーグ史上初の〝女性投手〟」を入団させ、並みいる大リーグの強打者たちを持ち前の快速球できりきり舞いさせるのです。
「がんばれ!ベアーズ」と同じです。
そして物語を締めくくるラストのセリフこそが、
WAIT TILL NEXT YEAR!
「待ってろよ。来年をな!」
実はこのセリフは、50年代のヤンキース黄金時代に、ワールドシリーズでヤンキースと毎年のように対戦し、惜しくも負け続けたブルックリン・ドジャースファンが、ヤンキースのファンに言った、お決まりのセリフです。
「がんばれ!ベアーズ」と同じセリフというだけじゃなかったんですね。
ひらたくいえば「ドジャース、ブルックリンへ還る」は〝男の夢〟を描いた、愛すべき作品です。
そしてあくまで推測ですが「がんばれ!ベアーズ」を書いた脚本家は、ブルックリン・ドジャースの (もしかするとロサンゼルス・ドジャースも含めた) ファンだったと、わたしは思うのです。
どちらの作品も文句なしにおすすめします。
参考
がんばれ!ベアーズ DVD
ドジャース、ブルックリンに還る 角川文庫
こぼれ話
とはいうものの・・・
実は私はヤンキースファンです。
メジャーリーグは、毎年のように選手が変わるので、いつのヤンキースが好きかとなると、1977年と1978年の、チームの中でケンカばかりしていて、チームワークは最低・最悪なのに、なぜか最後は世界一になってしまうという不思議でメチャクチャなヤンキースが大好きです。
そういう意味で、その当時のヤンキースは「がんばれ!ベアーズ」にとてもよく似ているんですね。
だからでしょうか、私はその時以来ずっとヤンキースのファンで居続けています。
「野球にチームワークは必要ない」ゴセージが来るまでヤンキースのリリーフ・エースでサイヤング賞投手、スパーキー・ライルの名言。
ただ、そのとき、ワールドシリーズでヤンキースと戦ったのは、2年ともドジャースでした。なんか複雑というか、おもしろいですね。
4勝2敗でヤンキースが世界一。
最終戦で「ミスターオクトーバー」レジ―・ジャクソン (ヤンキース) が、3打席連続ホームランを放つ。*7
因(ちな)みに、アニメ「侍ジャイアンツ」で番場蛮(ばんば ばん)の〝分身魔球・タテ分身〟をホームランした〝世界最強の打者〟ロジー・ジャックスは、当時はアスレチックスの主砲だったレジ―ジャクソンがモデルだと思われます。
アニメのジャックスと実在の人物ジャクソンは外見がよく似ていますし「背番号がどちらも9番で同じ」ですからね。
(ヤンキース時代のジャクソンの背番号は44です)
前年と同じく、4勝2敗でヤンキースが勝利。
*1:
エースの女の子「アマンダ」が【映画スター自宅ガイド地図】を売っているのは、ハリウッドのある、カリフォルニア・ロサンゼルス、サンセット大通りの近くです。
サンセット通りは、ウエストハリウッドを東西に走っている通りです。
ハリウッド大通りの南に位置し、ビバリーヒルズからクレセントハイツの3キロ程の通りのことです。
参考
がんばれ!ベアーズ 二見書房より
*2:
ファシズム【fascism】極右の国家主義的、全体主義的政治形態。
初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。
*3:
主人公の父親が語っているのは、1947年から50年代前半にかけてのヤンキースです。
1947年、ブルックリン・ドジャースは、ジャッキー・ロビンソンをメジャーに昇格させました。
MLBのオーナー会議ではドジャースを除く全15球団がロビンソンがメジャーでプレイすることに反対しており
メジャー全球団に黒人選手が入団したのは、ロビンソンの入団から12年後の1959年のことです。
ウィキペディアより
ヤンキースと黒人選手
ヤンキース初の黒人選手は、エルストン・ハワードです。
ヤンキースはGMのウェイスの方針で、黒人選手をメジャーに昇格させていなかった。
パワー一塁手(アスレティックスで活躍)のように、マイナーで実績をあげて大リーグ昇格直前でトレードされる例もあった。
また外野手としてマイナー契約したハワードが、捕手にコンバートされたのは、ベラ【後に野球殿堂入りをした名捕手】がいるから捕手としては昇格させなくてすむからとまで、疑われたほどだった。
47年にジャッキー・ロビンソンがドジャースで大リーグデビューしてから8年後の55年、ようやくヤンキースから黒人選手が、デビューしたのである。
引用
1955年よりあとに黒人プレーヤーを採用したのはボストン(レッドソックス)だけだ。
引用
不死身のヤンキー〝戦う男〟ビリー・マーチン ベースボール・マガジン社
*4:
『ドジャース、ブルックリンに還る』は、ドジャースが、1958年に西海岸のロサンゼルスへ移転した、だいたい30年後が舞台です。
アメリカではサイモン&シュスター社から、1981年4月30日に、初版本が発行されました。日本で初版本が発行されたのは、1986年です。
つまり『ドジャース、ブルックリンに還る』は、当時における〝近未来小説〟なんですね。
因(ちな)みに「がんばれ!ベアーズ」は、1976年に公開されました。「ドジャース、ブルックリンに還る」より5年早いですね。
*5:
のらくら‐もの【のらくら者】
〘名〙 することもなくぶらぶらとなまけている者。のらもの。
怠けて遊んでいること。また、そのさまや、その人。「のらくら者」
*6:
実際の大リーグと女性選手
1952年、MLBは女性選手との契約締結を禁止した。その禁止条項は1992年に解除されたが、その後も女性選手との契約は現在まで存在しない。
ウィキペディアより
*7:
ジャクソン氏が大谷翔平へメッセージ「記録を更新することを願っている」
[2021年8月19日8時51分]
エンゼルスの左打者最多となる39本塁打に並んだ大谷翔平投手(27)に、1982年にエンゼルスで39本塁打をマークしたレジー・ジャクソン氏(75)がメッセージを送ったと、USAトゥデー紙のボブ・ナイチンゲール氏が18日、伝えた。
「39本塁打、おめでとう。記録を更新することを願っている。私はいつも、50本塁打をマークすることを夢見ていた。君がそれを達成することを願っている。応援しながら見守っている」のメッセージを送ったという。
ジャクソン氏はアスレチックス、ヤンキースなど4球団で21年間プレーし、1982年から5年間、エンゼルスでプレー。通算563本塁打、1702打点、打率2割6分2厘をマーク、2度のワールドシリーズMVPに輝き「ミスター・オクトーバー」と呼ばれた。1993年に殿堂入りし、昨季までヤンキースの特別アドバイザー、今季はアストロズのオーナー付アドバイザーを務めている。
日刊スポーツより