エデュケーション 大学は私の人生を変えた
演技のヒントになりそうな箇所を紹介させていただきます。
母は以前、結婚する前のことをよく話してくれた。
母が仲がよかった兄のリンに、夫になってほしいと思っていた父に会わせたときの話だ。
夏の夕暮れどきで、父のいとこたちは、収穫の後のお決まりの悪ふざけをしていた。
荒くれ者たちがどなりあい、拳(こぶし)を握りしめ、振り回している様子を見て、リンはジョン・ウェインの映画に出てくる乱闘シーンかと思ったらしい。
警察に通報しようとしたそうだ。
「だからね、聞いてみなさいよって言ったの」と母は云った。笑いすぎて目に涙をためていた。そしてこの話は私たちのお気に入りだった。
「だから、あの人たちが何を言っているか、ちゃんと聞いてみなさいよって言ったの。
まるで怒っているみたいなのに、実際にあの人たちが言っていたのは、丁寧(ていねい)な言葉だったのよ。
だから、あの人たちが〝何を〟言っているのかを聞いて、〝どのように〟言っているのかは心配しなくていいの。それがウェストーバー家の話し方なのよって言ってやったわ!」 *1
怒っているみたいなのに、丁寧(ていねい)な言葉
〝何を〟言っているのか〝どのように〟言っているのか
これは演技の表現方法を考える上で、とても重要ですね。
本の感想・・・
この本に出てくる家族はひどすぎます。非科学的で被害妄想に取りつかれた救いようのない家族としか思えません。*2
読み進めていけばいくほど、やりきれない気持ちでいっぱいになりました。
しかも悲しいことにすべて実話なんです。
だけど、現在のコロナ禍という状況のなか、わたしたちも非科学的で信じられないような出来事を目の当たりにしているような気がします。
この家族のことは笑えません…。
そんな絶望的な状況の中で、著者のタラ・ウェストーバーさんは、ケンブリッジ大学で哲学で修士号を、歴史学で博士号を取得しました。すごいとしか言いようがありません。
この本をファンタジー的に読み解く
悪魔に呪(のろ)いをかけられ、その能力を封印されていた主人公が、悪魔の呪いが解かれることで、真の姿を取り戻す・・・
——みたいなファンタジー作品がありますが、「エデュケーション…」を〝かんたんに〟説明するとそういうお話かな・・・と。
「悪魔の呪い」つまり、父親に〝洗脳〟されていた状態から、主人公のタラが解放される場面です。
「離れるときが来たんだよ、タラ」とタイラーは言った。「長くここにいればいるほど、離れられなくなる」
「家を出ろと言うの?」
「ここは君にとって最悪の場所だ。大学に行くんだ」
「合格するわけない」
「できるさ。アメリカン・カレッジ・テストに合格すればいい」
タイラーは立ち上がった。
「君の耳に自分の考えをふきこむ父さんから離れたら、世界は違って見えてくる」
頁189
タラは大学に合格し、少しずつ呪いは解け始めます。
そしてタラの封印されていた能力が開花し、ケンブリッジやハーバードという超難関大学で学び始めるのです。
が、
呪いは、そう簡単にはとけません。
ちょっと考えてみればわかりますが、わたしたちの住んでいる世界は楽しいけれど、イジメ・パワハラなど〝理不尽な日常〟も背中合わせです。
わたしたちの社会は、完全無欠なパラダイスというわけでは決してないんですね。
世の中を知るにつれ、主人公のタラは悩み葛藤するようになります。どうしたらいいのか分からなくなり、勉強も手につかなくなります。
さらにとんでもないことには
父親たちの「スピリチュアルな霊感事業」が大成功して、陰謀論にまみれた貧乏家族は大金持ちに変貌してしまうんです。
もしもこれが小説なら、
で終わりなんですが・・・この本の内容はすべて事実なんです。
事実は小説よりも奇なり
いろんなことを考えさせられた、凄(すさ)まじい本でした。文句なしにおすすめします。
引用
エデュケーション 大学は私の人生を変えた 早川書房www1.odn.ne.jp
*1:
フィルターを通して物事を見る
人は「自分というフィルター」を通して物事を見てしまいます。
「演劇的な視点」で紹介した文章を、本の内容通りに読み解くと
実は母親は間違っていて
警察に通報しようとした、リンの方が正しかった。
だけど母は、夫となる人を心から信じ、愛していたため目が曇(くも)り、夫の本当の姿に気がついていなかった。
になると思います。
そのことを十分に承知したうえで、ブログではこの文章を「演劇的な視点」という別な角度から解釈してみました。
*2:
訳者あとがきより
1986年、アイダホ州クリフトンでモルモン教サバイバリストの両親のもと、七人兄弟の末っ子として生まれ育ったタラは、物心ついたときから父親の思想が強く反映された生活を送っていた。
両親は科学や医療を否定し、民間療法を盲信し、陰謀史観に基づく偏った思想を盾に政府を目の敵にし、子供たちを公立校に通わせなかった。
その独特な生き方を子供たちにも強制し、正しいと信じ込ませた。社会から孤立したようなその暮らしは、質素で、時に荒唐無稽だった。
幼少のころからタラとその兄弟は、父親の廃品回収とスクラップの仕事を手伝い、時には強要され、父親の残酷ともいえる指示のもと、命を落としかねない危険な作業をくり返した。
実際にタラが負ったけがは深刻で、死に至らなかったことが奇跡にも思える。
頁505ー506