エロティック川端康成
エッチな表現を、下品になる一歩手前で抑えるのが川端文学の特徴だといわれます。
舞姫 川端康成
やはり、ゆうべ、旅帰りの夫を迎えた、つかれであろうか。
このごろでは、波子は自分をおさえるのだが、矢木はそれを知らぬふりで、こころえていた。
波子は夫になにかしらべられるような、しかし罪の思いはゆるめられるような、そして突きはなされたような、そういううつろにしばらくいるところを、またゆりかえされて、こんどは、閉じた目のうちに、金の輪がくるめき、赤い色が燃えるのだった。
昔のこと、波子は夫の胸に顔をすりよせて、
「ねえ、金の輪が、くるくる見えるのよ。目のなかが、ぱっと真赤な色になったわ。死ぬのかと思ったわ。これでいいの?」
と、言ったことがあった。
あのう、つまりこのことを言ってるんですね。
「私、気ちがいじゃないの?」
「気ちがいじゃない。」
「そう?こわいわ。あなたはどうなの?私とおなじなの?」
と、取りすがるように、
「ねえ、教えて・・・。」
矢木が落ちついて答えると、
「ほんとう?それならいいけれど・・・。うれしいわ。」
波子は泣いていた。
「しかし、男は女ほどじゃないらしいね。」
「そうなの・・・? 悪いわ。すみません。」
そのような問答を、今思い出すと波子は若い自分がいじらしくて、涙がこぼれる。
今も金の輪と赤い色の見えることはあるが、いつもではない。また、素直にではない。
今はもう、幸福の金の輪ではなくなってしまっている。すぐ後に、悔恨(かいこん)と屈辱とが胸をかむ。
「これが最後だわ、絶対に・・・。」
波子は自分に言い聞かせ、自分にいいわけする。
しかし、考えてみると、二十幾年ものあいだ、波子は夫を、あらわにこばんだことが、一度もなかったようだ。無論、こちらからあらわにもとめたことは、一度だってない。なんという奇怪なことだろうか。
男と女のちがい、夫と妻とのちがい、おそろしいほどのちがいではないのか。
女のつつしみ、女のはみかみ、女のおとなしさ、どうしようもない、日本の因習にとざされた、女のしるしなのであろうか。
エロティックな表現だけでなく、川端文学はなんとなくまわりくどいのも特徴です。
でも、だからこそ文章の読み解きの訓練になるにゃと思っている今日この頃です。