メソッド演技で大魔神を考える
大魔神に出てきてほしいな、なんて
最近つくづく思っちゃう。
気持ちはわからなくもないけど「魔神」だよ。いい神様じゃないんだよ。
大魔神の第一作でも描かれているように、大魔神が現出すると、悪い奴らだけじゃなく、なにも悪いことをしていない〝善良な人びとも〟巻き添えを食らって、ひどい目に遭うんだよ。
まぁ大魔神の第二作目以降は、魔神じゃなく、善神になっちゃったけどね。
それは十分理解してる。理解したうえで、それでも大魔神に出てきてほしいと願ったであろう、映画の登場人物たちの苦しみが最近はわかるような気がする。
それって、やけくそ・・・。
現実的に考えてみて‼ 映画みたいに悪い奴らだけを殺してハッピーエンド、罪にはまったく問われません、なんて絶対にありえないよ。
ちがいますよぉ。そういう意味でいってるんじゃ全然なくて
わたしは役者として登場人物の気持ちを読み解いて共感しただけで、
現実に大魔神のような行動を起こす人物が出てきたら、すっげー迷惑以外のなにものでもないと思ってますよ。
虚構と現実は分けて考えようね。そうすれば、メソッド演技のダークサイドに陥(おちい)ることは防(ふせ)げると思うよ。
因(ちな)みに、役者を一歩離れた視点で考えているときの私は、キング牧師の「非暴力主義」をリスペクトしています。
そしてお気づきの方もいらっしゃると思いますが、今回の日記は、ステラ・アドラーの推奨する、自分とは違う〝役〟を演じる方法 の再現です。
それでは、また。
引用
ななこSOS 光文社