木内監督の訓(おし)えを演技に応用
お前が監督として1点をどうやって取るか。
選手に任せて取るんじゃなくて、お前が考えて最初の1点は取ってやれよ。
そうすっと2点目は勝手に選手が取ってくっから。
僕が社会人野球で監督になってから、木内さんにはチラッとこう言われたことがあります。
中島彰一 日本製鉄鹿島監督
木内監督の訓(おし)えは野球だけでなく日常のあらゆることに、もちろん演技にも応用できますよ。
すごいなと思うのは、何歳になっても常に疑問を抱いているということ。
常に自分の中での理論を書き換えて、アップデートを繰り返している人なんですよね。
自分のスタイルはこうだからって決まっているものがなくて、知的好奇心というか、「なぜなんだろう」っていう欲が常にある。
普通、指導者ってまずはそれまでやってきたバックグラウンドとか伝統みたいなものからなぞろうとするものですが、おそらく〝木内野球〟っていうのは縦横無尽に変わっていくもので、形がないと思うんです。
ずっと現場で生きてきた中で、いいものがあれば全部吸収してきたんでしょうね。
私たちは「人間はいつまでも勉強だ」とよく言うように、「勉強」を「しなきゃいけないもの」だと捉えています。
でも、木内監督のキーワードは「夢中」なんじゃないかと。
夢中になれるというのは最大の才能だ、みたいな言い方もしますが、あの人はまさにそう。
野球が大好きで、ずっと夢中でしたね。
あと、意外にここが根っこなんじゃないかなと思うのは、優しさや思いやりの部分。
木内監督は練習中に雨が降ってきたとき、必ず選手を軒下に入れて、自分はその外に出て雨に濡れながら話をするんですよ。
また晴れているときなんかでも、太陽の位置や日差しの掛かり方などを見て、選手が眩しくならず視線を向けやすい方向に位置を取ってから話をする。
とにかく選手を大事にしていて、話にも集中しやすい環境をつくっているんですよね。
現役時代もコーチ時代も、私はそういう状況を何度も見た。
だから「何を言われてもこの人についていくんだ」と思いましたし、今もその部分は指導者として大切にしています。
私は今のところ監督として甲子園に4回出ていますが、回数を重ねるにつれて木内監督の言葉の意味が分かっていくような感覚があります。
たとえば普段は「余所行きの野球をやっちゃいけない」と言いながらも、「でも甲子園では、甲子園のあのテンションで余所行きの野球をやらなきゃいけないんだよ」とも言っていました。
私も初出場時は「普段通りにやらなきゃ」と思ったんですが、そうやって考えている時点で平常心ではない。
何も無理に普段通りに引き戻すことはなくて、あの特殊な空間の中でのあの球場、あの大会と一緒にならなきゃいけないんだなと。
野球は夢中になって楽しむものなんだ、という想いの部分。あるいは試合の流れの読みや駆け引きなど、野球の細かい部分・・・。
そういうものをもう一度、野球界として見直さなきゃいけない時期が必ず来ると思いますし、次世代にもぜひ伝えていきたいですね。
木内監督は70年以上も野球に関わってきたと思いますが、古いスタイルでそのまま続いていることがなく、情報が日々更新されている。
スポーツ界で「水を飲むな」と言われていた時代から水を飲ませていたり、ピッチャーのワンポイント起用がない時代からそういう起用をしていたり。
アンダーシャツの進化についても僕らの時代、飯島と磯部*3を呼んで「最近はこのピチッとしたシャツが流行りらしいから、着てみろ」なんて言って。応用力もすごくあるなぁ、と思ったものです。
また、あまり教育的な部分を求める人ではありませんでしたが、それは木内監督が答えから言う人だったからだと思います。
普通の人は「挨拶をしろ」「掃除をしろ」「練習は大事だ」って過程から言うんですが、選手がその先の答えに辿り着くまでに疲れてしまうこともある。
でも木内監督は答えから言って、そこから逆算して「じゃあこれが必要だよね」と考えさせるんです。
で、練習をしなくても試合で打てば練習をしたのと同じことになるし、試合で打てなければその練習は自己満足だったということになる。
結果が出ていないときって、やっぱりどこか考え方が足りていないもので、だから世界で活躍しているアスリートたちを見てみると、みな普通の人じゃ考えない部分まで突き詰めているんだと思います。
僕も指導者として、生徒たちにはいろいろな経験を積ませながら、できるだけ自分で考えて学べるような状態にしてあげたいなと思っています。
中島彰一 日本製鉄鹿島監督*4
2020年11月、都市対抗野球大会の開幕直前の練習試合でNTT東日本の上田祐介*5から「木内さん、入院したらしい」と聞いて、「落ち着いたらみんなでお見舞いに行こうか」なんて話していました。
そうしたら数日後の24日にニュースで訃報を知って・・・。
しかも、それがちょうど都市対抗1回戦の前日。取材の電話などがジャンジャンかかってきて、「弔い合戦ですね」「負けられませんね」なんて言われているうちに、「絶対に勝たなきゃいけない」と思って気合いが入りすぎてしまいました。
翌25日、対戦した三菱重工広島は大会後の活動終了が決まっていて、勝っても負けても悔いなくやろうという姿勢で臨んできた。
相手のベンチを見たら監督がピンチの場面でもニコニコしていて、選手たちにも思い切りの良さがあるんですよね。
一方で僕は余裕がなく、ずっと硬い表情で試合をしている。案の定、試合は6対7で敗れてしまいました。
そこで、ふと思ったんですよね。
「そう言えば木内さんって、たしか甲子園のベンチでいつもニコニコしていたよな」と。
そうじゃなきゃ大きな試合には勝てないんだよなと思いましたし、これは本当にすごく反省した部分。
また1つ、木内さんから大切なことを教わった気がします。
木内監督は、昨年11月24日、肺がんのため死去されました。
しかし教え子の方々が、木内さんの野球を受け継いでくださっています。
木内マジックよ、永遠に!
引用
追憶の木内マジック ベースボール・マガジン社