幼年期の終り~巣立ち・旅立ち・ひとり立ち~
ある意味、昨日のブログの続きだよ。
幼年期の終り
幼年期の終りを、SFではなく〝現実のお話〟として解釈すると
子供が親を乗り越えていく、巣立ち・旅立ちのお話 だと思っています。
「パパってすごい。何でも知ってる」
と無条件に親を信じていた子供のとき——幼年期の時代——から、だんだん成長するにつれ
「親だって間違ったり知らないこともあるよね・・・」
と少しずつ考えが変わっていくことで、人類は新たなものを発見し進歩してきたと思うのです。
そういった〝親の元から子供が雄々しく成長し巣立っていく現実を〟SFに置きかえた話が「幼年期の終り」だと、わたしは思います。
オーバーロードとは「教師」ですね。
オーバーロードは〝悪魔の姿〟をしています。
それは優秀な教師が、子どもたちに「社会の矛盾点」など〝現実の世の中〟を教えてくれるのと似ています。
親は子どもに、世の中のきれいなところしか教えたがりません。それが親心というもので、ある意味仕方がないことです。
ですがそれでは、いざ子供たちが社会に巣立つとき、現実の社会におどろき、おびえ、ひとり立ちが困難になる可能性があります。
優秀な教師とは、子どもが立派にひとり立ちできるよう、見方によっては「悪魔のようにも見える世の中のイヤな面」を教えてくれる側面も併せ持っていることが必要だと私は思うのです。
だからこそオーバーロードは、悪魔の姿をしているんですね。
子どもたちは、優秀な教師の下で学び、やがて〝教師をも乗り越えて行く存在に〟なっていくんです。
それが「幼年期の終り」全編に通づる〝巣立ち〟のテーマです。
「2001年宇宙の旅」の著者でSF界の巨匠、アーサー・C・クラークの傑作「幼年期の終り」文句なしにおすすめします。