誤解と演劇
「なじみなきものに対する拒否反応」という現象は、慣習の異なる生活様式や非正統的な考え方と衝突するたびに現れる。
なじみのない慣習は厄介なものだ。仕草のもつ社会的な意味合いは、地域によって大きく異なる。
チベット人は友人にあいさつするときに舌を突き出してシーッという音を発するが、このようなあいさつは西洋人にとっては侮辱である。
アメリカの聴衆にとっては、曲が終わると盛大に口笛を吹くのが称賛の表現だ。だが、これはヨーロッパではブーイングに相当する行為であり、
アメリカ兵たちは、1945年にパリのバレエ公演を観て称賛の気持ちを示そうとしたときにそのことを知って愕然とした。
バレリーナたちは、アメリカ兵が無作法に不快の念を表しているのだと思って泣いてしまったのである。
引用
クラシック名曲「酷評」事典 (株)YAMAHA
西洋とは違う文化圏の社会で考え方や習慣が違うのは解りますが、おなじ西洋文化の国でもこんなことがあるんですね・・・。
つぐないの行動を誤解される、ごん・・・
誤解が誤解を生んで登場人物が葛藤して・・・これ演劇や物語の基本です。
映画・演劇・小説などの物語は、人間同士の〝誤解〟があるからおもしろいストーリーが生まれるといっても過言ではないでしょう。
現実の世界では、誤解なんかされない方がいいけどね…。
あ、でも、いい方向に誤解されたらうれしいかな。まぁあんまり、なさそうだけど。
それでは、また。