砂糖が歯磨き粉だった時代が
イギリス女王エリザベス1世
1560年
砂糖菓子やビスケット、砂糖漬けの果物やペーストはエリザベス1世のお気に入りだった。
甘党で知られた女王は、不幸にも糖分が虫歯の原因になることを知らなかった。
彼女に限らず、当時の金持ちは砂糖を歯磨き粉代わりに使っていたほどである。
目次
月面初の食事
1969年7月20日
「宇宙空間初の食事」は数多くある。
人類で初めて宇宙で食事をしたのは旧ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンで、彼は1961年にチューブ入りのおいしい牛肉とレバーペーストを味わった。
翌年、宇宙飛行士のジョン・グレンがアップルソースとキシロース糖の錠剤を食べた。
宇宙初の固形状の料理は、ジョン・ヤングがジェミニ3号にこっそり持ち込んだ、ライ麦パンとコーンビーフのサンドイッチで、賢明な行動とは言い難かった。
というのもパンくずが飛び散り、宇宙船の電気システムを壊しかねなかったのだ。
月面で宇宙飛行士が初めて食べた食事は、これとは正反対だった。
AからCまで3種類のメインディッシュが交代で提供されたのだ。
ジェイムズ・ハンセンによる伝記『ファースト・マン 初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの人生』によると、アームストロングが好んだのは、月着陸船に乗って2日目に出されたメニューⅭのミートソース・スパゲティ、ポークのスカロップト・ポテト添え、パイナップル・ケーキ、そしてブドウジュースという組み合わせだった。
彼に続いて月面を歩いたバズ・オリドリンはシュリンプ・カクテルを好んだという。
有人飛行船による初の月面着陸を目指したアポロ計画以来、ベーコンは定番の食材で、乗組員に好まれた。
現在ではあまり人気がないが、イギリス人宇宙飛行士ティム・ピークが2015年、国際宇宙ステーション内で食べた宇宙初の料理はベーコン・サンドイッチだった。
軍用食、ビールとサンドイッチ
ビールは昔から戦地の兵士たちにとって定番食品のひとつだった。
勇気を奮い起こすカンフル剤とされていただけでなく、(疑わしいが)薬効もあるとされていたのだ。
18世紀のイギリス軍歩兵には、一日に低アルコールのビール5パイント(約3ℓ)が配給された。
アメリカ独立戦争の独立軍総司令官ジョージ・ワシントンは、ビール醸造所の近くを野営地にしていた。
いっぽう、〝ビールとサンドイッチ〟の組み合わせはイギリスで古くから好まれ、近年では、アメリカの科学者たちが軍隊用に、最高で2年まで日持ちがするペパロニとバーベキューチキンのサンドイッチを開発した。
軍用食として最も長い歴史を誇るのは、チーズとビスケットである。
17世紀にイングランド軍がアイルランドとスコットランドとの戦いで勝った理由の一端は、チェシャー・チーズとビスケットを軍用食に取り入れた点だといわれている。
これらは扱いやすくて栄養価が高く、カビが発生しない限りはパンよりずっと長く保存できるできるうえ、安価で簡単に作れる。
アメリカの南北戦争でも兵士たちには毎週チーズとビスケットが配給された。
強制収容所のメニュー
1940年ー1945年
アウシュビッツ強制収容所の食事は一日に3回あったが、それはほとんど食事とは言い難い内容だった。
朝食と称された食事は、穀物が入ったコーヒーの代用品じみたものか、草を煎じたハーブティーまがいの飲み物で、飲まずに体を洗った人もいた。
昼の12時にはほとんど腐りかけたジャガイモとカブと小麦粉のスープが与えられ、運がよければスープの入っていた樽の底に沈んでいたごく小さな肉片にありつけた。
夕食は少量の黒パンと質の悪いソーセージ、そしてわずかな量のジャムかチーズのかけらが出されたようだ。
飲用水はなく、食事をもらうために列に並んでも、列の後方の人々は何ももらえないという事態も珍しくなかった。
言うまでもなく、このような食生活では基本栄養素をほぼ接種できなかった。
囚人たちが課された過酷な肉体労働を思えばなおさらである。
タンパク質もビタミン類も脂肪分もほとんどなく、カロリー摂取量は必要な量の半分だった。
配給食は人間をギリギリ殺さずに生かしておけるよう、必要最低限な量が巧みに計算されていた。
収容所を運営していたナチス親衛隊の将校たちは、囚人がこの扱いに耐えられるのはせいぜい3カ月だろうと予測していて、それ以上生き延びた者は、食べ物を盗んだのではと疑われた。
囚人たちは栄養不足と度重なる下痢によって、壊血病などの様々な病気に見舞われ、最後には臓器不全となった。
研究により、収容所から生還した人々についても、過去の栄養不足がその後の生活に深刻な影響をもたらしたことが明らかになった。
骨粗しょう症や癌、そして様々な摂食障害に苦しむ人が増えていったという。
ネアンデルタール人の食生活
紀元前4万6千年—紀元前3万年頃
ネアンデルタールが洞窟に住み、こん棒をかついで狩猟にいそしみ、マンモスを食べていたことは、誰でも漫画などで目にして知っていることだろう。
ベルギーのネアンデルタール人は主にマンモスや野生の羊といった肉を食べていたが、
スペインではキノコ、松の実、樹皮やコケなど、ほぼ菜食生活を送っていたと推定される。
イラクで採取されたサンプルからも豆類とナツメヤシのDNA証拠が見つかった。
こうしたことから、北ヨーロッパの冷涼で開けた土地に暮らしたネアンデルタール人は狩猟生活をしていたと思われる。
そして温暖な南欧の森の住民たちは食料を求めて辺りを探し回っていたようだ。
しかし遠い昔のベジタリアンに共感を抱く前に、エル・シドロンで人肉食が行われていたことを示す研究結果が明らかになったことも、心に刻んでおくべきだろう。
この発見によって初めて、ネアンデルタール人は単純な狩猟や採集だけでなく、食料を調理するという技術を身につけていたという説が浮上した。
彼らはデンプンを含むスイレンの塊茎と大麦を食べて、できる限り栄養分を取ろうとしたようである。
ネアンデルタール人に関してわれわれの想像よりも洗練されていたことが判明したのは、食生活だけではない。
ウェイリッチ教授がネアンデルタール人の若い男性の歯垢のDNAの塩基配列を解読したところ、彼がウイルス性の腹痛に苦しんでいたことが分かった。
さらには、彼が薬草を食べていたことも明らかになった。というのも彼の歯垢にぺニシリウム属のアオカビが含まれていたのだ。
この男性の歯垢からはポプラの樹皮も発見された。ポプラは、現代の鎮痛薬アスピリンの有効成分であるサリチル酸を豊富に含んでいる。
古代エジプト死後のメニュー
紀元前1944年頃
エジプト人は愛する故人をミイラにした手法を用いて、本物の食べ物までミイラにした。
有名なツタンカーメンの墓にはミイラ化された数多くの品物が入った箱が埋葬され、いくつもの塊肉、蜂蜜の入った壺、さらにワインには産地まで表示されていた。
こうした食べ物は、その形に彫刻された木製の箱に入れられて発見され、例えばガチョウの形の箱もある。
長い旅立ちに備えて心のこもった供物が数多く用意されたいっぽうで、気軽に食べられるスナック類もしっかり用意されていた。
2018年、メンフィスのサッカラ遺跡を発掘していた考古学者たちが、プタメスと呼ばれる高位の廷臣の墓を調査したところ、これまで発見された中でも最古のチーズのかけらが見つかったのだ。
これは約3200年前のものと推定され、牛乳および羊か山羊の乳から作られていた。
食べてみようという勇者はいなかったが、専門家によれば、このチーズは恐らく塗り広げるタイプで、非常に酸っぱいだろうということだ。
今回紹介した他にも「第1回アカデミー賞の公式晩餐会」「タイタニック号最後の食事メニュー」「チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚披露宴の食事」など、興味深いエピソードでいっぱいです。それでは、また。
引用
料理メニューからひもとく歴史的瞬間 ガイアブックス
おまけ
食物を描いた芸術作品は現実を反映しない
紀元前3年初期
( 古代ローマの晩餐会の絵などに描かれた食事は )、その作品の所有者の文化的および政治的な憧れや野心を表現した例が多い。
ちなみに同研究者たちは、イエス・キリストの『最後の晩餐』の絵画に描かれた料理の量や大きさが過去数百年の間にかなり増えたことも指摘している。
こうした芸術作品が家の所有者の高い地位を自慢する宣伝行為であるという意見には、『ビュッフェ料理の家』に描かれた他の場面からもうなづける。
ギリシャ神話で神々の給仕として酒の酌をする美少年ガニュメデスが描かれ、ワインが並々と注がれた杯の周りに多くの鳥が群がっている様子には、作者の辛辣な意図が感じられる。
つまり〝現実よりもオーバーに描かれている可能性がある〟ということですね。なかなか興味深いです。