ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

この本がすごい!

「昔話からのメッセージ ろばの子」 
  小澤 俊夫 著 小澤昔ばなし研究所 発行


小澤 俊夫さんの考え方は素晴らしいです。
声優演技研究所で今後、生徒たちを教えていく指針にしていきたいと思いました。


小澤 俊夫さんの本の特徴

子どもを見つめる目が、やさしくて温かいです。
小澤 俊夫さんは、超一流の大学で教えていた先生です。こんな素敵な先生から教わった生徒たちは幸せですね。

小澤 俊夫さんとは?

小澤 俊夫(おざわ としお、1930年4月16日 - )は、日本のドイツ文学者、筑波大学名誉教授。

東北薬科大学講師を経て、日本女子大学教授、独マールブルグ大学客員教授筑波大学副学長、白百合女子大学教授を歴任。現在、小澤昔ばなし研究所所長。国際口承文芸学会副会長及び日本口承文芸学会会長も務める。

弟は世界的に有名な指揮者、小澤 征爾氏。

俳協落語研究会「落狂寄席」四天王のひとり小澤 幹雄氏(俳優)は末弟。
すごい兄弟たちですね。

本の内容は、こんな感じです。

わらしべ長者」…子どもの成長には段階がある

子どもには、それぞれ成長のときがあります。その「とき」は、みんなそれぞれ違うのです。昔の人たちは、たくさんの子どもの成長を見てきたので、この「とき」についても、わかりやすい話を遺(のこ)してくれています。

ひとりの子どもが、わらしべだけを持って、旅に出るところからこの話は始まります。この話は全国的に分布していますが、私が福島で聞いたのは、こんな話でした。

わらしべ長者

昔、ある村に裕福な百姓がいた。百姓には息子が三人いた。百姓は年をとると、三人を呼んで財産分けをした。長男には、

「おまえはあたまがいいから」といって、お金の財産をすべてゆずった。次男には、
「おまえは働き者だから」といって、田畑をすべてゆずった。末っ子には、
「おまえはちっとも役に立たない子だから、これしかやるものはない」といって、わらしべ一本しか与えなかった。

末っ子はわらしべ一本を持って旅にでた。歩いていくと、はすの葉っぱを収穫しているおじさんがいて、
「とてもいいはすの葉っぱがとれたんだけど、これをくくるわらしべがあるといいんだが」と、ひとり言をいっていた。末っ子は、
「おじさん、このわらしべあげるよ」といってわらしべをあげた。おじさんは、
「これはありがたい」といってわらしべを受け取ると、それではすの葉っぱをくくり、お礼にはすの葉っぱを一枚くれた。

末っ子ははすの葉っぱを持って歩いていった。すると味噌をつくっているおじさんがいて、
「いい味噌ができたんだが、この味噌を包むはすの葉っぱがあるといいんだが」とひとり言をいっていた。末っ子は、
「おじさん、この葉っぱあげるよ」といって、はすの葉っぱをあげた。おじさんは、
「これはありがたい」といって、はすの葉っぱを受け取ると、それで味噌を包み、お礼に味噌を分けてくれた。

末っ子は味噌を持って、また歩いていった。すると刀鍛冶がいて、
「とてもいい刀がうてたんだが、この刀を最後に味噌で冷やすと名刀が仕上がるんだがな」とひとり言をいっていた。末っ子は、
「おじさん、この味噌あげるよ」といって、味噌をあげた。刀鍛冶は、
「これはありがたい」といって、味噌を受け取ると、刀を味噌で冷やして名刀を仕上げた。そして、お礼にその名刀をくれた。

末っ子は刀を持って、また歩いていった。やがて川の土手に出た。くたびれたので、刀を脇に置いて昼寝をした。そこへ山犬があらわれて、若者にとびかかろうとして、まわりを回り始めた。
その光景を、村の長者が川向うから見ていた。あっ、危ないと思ったその瞬間に、刀はひとりでに鞘から飛び出し、山犬に斬りかかった。

長者は、
(あの刀はただものではない。あんな刀を授かった若者には、ただものではない運が授かっているに違いない)と思い、若者のところへ行った。そして、若者を起こして、自分がいま見たことを話して聞かせた。そして、
「おまえにはただものではない運が授かっているに違いないから、ぜひうちのひとり娘の婿になってくれ」といった。
こうして末っ子は、長者のひとり娘の婿になったというはなし。


この話を聞いたとき、私は、「これって子どもの成長のことを語っているんだな」と思いました。すこし抽象化していいなおしてみたらよくわかると思います。

「子どもは、自分が持っているものと合致するものと出会ったとき、次の段階へ有効に進むことができる」。わらしべを持って歩いていったとき、はすの葉のおじさんと出会い、そこでわらしべが役に立って、次の段階に有効に進めたのです。いきなり味噌のおじさんと出会ってもなんにもなりませんでした。

子どもが二歳とか三歳になったとき、三輪車を買い与えたとします。ところが、早すぎると、子どもは自分にはまだハンドルを握る力がないとか、腰のバランスを保つ力がないとか、本能的にわかっているので、興味を示さない。あるいは泣いて拒否します。

しかし、何週間か何ヶ月か経って、自分にそういう力がついてくると、いつの間にか三輪車に乗り出します。何の無理もなくマスターしていくのです。そのときの自分とぴったり合うもの・出来事と出会ったとき、つまり、獲得して持っているものと合致するものと出会ったとき、次の段階に有効に進んでいく。わらしべ長者」の話は、まさにこのことを語っているのだと思うのです。

ひとことでいえば、「子どもの成長にはときがあるよ」ということでしょう。

これは、われわれの先祖が、たくさんの子育てをするあいだに体得した、子どもについての認識だと思います。そしてこの話は、「そのときがくるまで待ってやれよ」という子育てへのアドバイスを発信していると思うのです。

現在の日本ではどうでしょうか。

私のみるところでは、とにかく早期に、速く、たくさんのことを教え込むことが重要だという風潮が強いように思います。早い時期に始めることと、速く進むことへの信仰がとても強いようです。

早い時期に始めるということと、速く進むことを求めるとき、その基準となるものは何でしょうか。

ほとんどの場合、隣ではありませんか。あるいは隣に代表される世間です。隣と比べて早いか、速度はどうか。つまり他との比較に基づいて考えているようです。成長のときを待ってやろうという考えは忘れられたようです。

しかし、子どもを育てるとき、他の子との比較は一番してはいけないことだと思うのです。
その子の幸せをほんとうに考えるならば、親や先生など、おとながするべきことは他との比較ではなくて、その子が今、わらしべの段階にいるのか、はすの葉っぱの段階にいるのか、味噌の段階にいるのかを見極めることだと思うのです。

「でも、日本には三つ子の魂、百までということわざがある。三つ子のうちに教えないと手遅れになるんじゃないか」という反論があるかもしれません。そうでしょうか。

ことわざは「三つ子の魂」といっています。「三つ子の知識」とはいっていないのです。

「三つ子の知識」と誤解して、わらしべの子に無理に味噌を持たせたら、子どもの魂はゆがんだり、壊れたりします。すると、このことわざによれば、「三つ子のゆがんだ魂は百まで治らないよ」ということになります。子どもの成長のときを大事にしてやりましょう。


小澤 俊夫さんの本は、この「昔話からのメッセージ ろばの子」のほかに、

グリム童話考 「白雪姫」をめぐって』講談社学術文庫

グリム童話の誕生 聞くメルヒェンから読むメルヒェンへ』朝日選書

『働くお父さんの昔話入門 生きることの真実を語る』日本経済新聞社 の三冊を読ませていただきましたが、

すべての本が、やさしさと愛情にあふれていました。

素晴らしい本です。自信をもってお勧めいたします。


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