大いなる助走
はらわたが煮えくり返っている。
またもやブンガクのことで朝からとび出したきりの主人が夕方になってもまだ帰ってこないのである。
中学三年になる長女はさっき学校から帰ってきたが、すぐ自分の部屋に閉じこもってしまった。
店番をしてくれるでもなければ夕食の支度(したく)をしてくれるでもない。頭はいいのだがそれだけに最近では母親を馬鹿にして滅多(めった)に話しかけてもこないし、何か言っても返事をしない。
部屋で何をしているのか、と、加津江は思う。
勉強しているのであればいいが、父親を真似てブンガクでも始めていたら大変、すでに滅茶苦茶の家庭がさらに滅茶苦茶である。
こんなことでわが家は先ざきどうなるのかと考えているうち、知らず知らず老婆の姿勢になっていたらしく、さっきは小学生に「おばあちゃん」と呼びかけられ、冷や汗がにじんだほどの衝撃を受けた。
これというのも主人のせいだ。
あの男のせいだと、そう思って加津江は憎悪をさらにつのらせるのである。
わたしがこんなに老けてしまったのもあのブンガク男のせいだ。
爆笑喜劇「大いなる助走」
筒井康隆先生、原作「大いなる助走」は文壇予備軍・小説家志望の同人誌作家たちを描いた爆笑喜劇です。
彼らの同人誌仲間から、プロデビューをはたし、その処女作が直升賞候補(直木賞のパロディ)となってしまう人物が出てきました。
同人誌仲間たちの心境はフクザツです。
スナック・バー「チャンス」には同人のほとんどが集まっていた。
直升賞が決まり次第すぐこの店へ電話を入れてくれるよう頼んでおいたのである。
「あのひと、受賞したとしたら」山中道子が低い声でつぶやいた。「きっとあなたの悪口を書くわね」
大垣は山中道子を睨みつけた。その通りだ、と大垣は思った。
いえ、あいつはこのひとのことだけじゃなく、わたしたちのことまで書くわ。山中道子はそう思った。
畜生。それにしてもあんな文章のへたくそなやつが候補になるなんて。ああ癪(しゃく)。ああ癪。あああ癪。ああ。あいつが落ちたらわたし、どんなに嬉しいでしょう。
「そろそろ始まるね」土井が腕時計を見てそう言った。六時二分前だった。当然のことながら戸外はまだ明るい。だが店内は暗い。
土井は高校しか出ていない自分が何年も苦労して小説の勉強をしてきたのに対し、一流大学を出た市谷がほとんど何の苦労もなくすらすらと書いたように見えるその第一作目であっさり直升賞候補になったため、大きな衝撃を受けていた。
やはり学歴がものを言うのだろうか。
あいつが一流大学出であるが為に候補になったのではないことの証明に、落ちてくれ。頼む。どうか落ちてくれ。
市谷が直升賞候補になったことを理不尽だと感じる気持の強さでは鍋島も他の同人たちに劣らなかった。
十数年も書き続け、おそらくは百篇近い短編を書いているであろう自分にはなんの報(むく)いもなく、小説をはじめて書いたという人間に照明が当っているこの現実は、どうしても認める気になれなかった。
おれが書き続ける意欲を失くさずにすむ為には、市谷京二が今回受賞してくれたら困るのだ。頼む。落ちてくれ。
スナック・バー「チャンス」のカウンターで電話が鳴った。
「もしもし。君か。どうだった。何。落ちた。落ちたのか。本当か」
大垣義朗と山中道子が同時に立ちあがって両手を高くさしあげ、声をかぎりに叫んだ。
「ばんざあい」
つられて鍋島智秀、土井正人が立ちあがり、声をあわせた。
「ばんざあい」
「ばんざあい、ばんざあい。ばんざあい」気ちがいじみた万歳が際限なく続いた。
さすがは筒井先生。人間の妬み・嫉みの気持ちをものの見事に活写しています。読んでて大爆笑させられます。
教訓
もちろん人間にあるのは妬みだけではありません。応援してくれる人たちもいっぱいいます。そういう人の期待に応えるためにも頑張りましょう。
とはいっても、妬む人もやっぱりいると思います。そういう人たちを悔しがらせるためにも頑張りましょう。応援してます。
本音をかくす
リアルかコメディなのかといった【演劇のジャンルによって表現方法も変わる】ことを覚えておこう。
「チェーホフの人物は、感じていることをいつも隠していませんか。彼らは感じているけど、隠そうとしています。」
「ああ、チェーホフか!大きな問題だ。」
サンフォード・マイズナー・オン・アクティング 而立書房より
「大いなる助走」はコメディだから、「ばんざあい」と表現してもまったく問題ない。ただしチェーホフ的なリアルな演劇で考えると、ここで「ばんざあい」とはならない。
つまり【腹のなかでは】「ばんざあい」と思っている。が、その気持ちは表には出さないんだ。
「残念です。応援してたのに…」などとコメントしながら心の中ではそれが、マイズナーと生徒たちがチェーホフについて議論していたリアルな表現方法だ、覚えておこう。
参考文献
大いなる助走 文春文庫