「河童」を風刺と演劇的な視点で
これは或精神病院の患者、——第二十三號が誰にでもしゃべる話である。
河童 芥川龍之介
職工の解雇されるのも四五万匹を下らないそうです。
その癖(くせ)まだこの国では毎朝新聞を読んでいても、一度も罷業(ひぎょう)という字に出会いません。
僕はこれを妙に思いましたから、ペップやチャックとゲエル家の晩餐に招かれた機会にこのことをなぜかと尋ねて見ました。
「それはみんな食ってしまうのですよ。」
食後の葉巻を咥(くわ)えたゲエルは如何(いか)にも無造作にこう言いました。しかし「食ってしまう」と云うのは何のことだかわかりません。
「その職工をみんな殺してしまって、肉を食料に使うのです。」
「職工は黙って殺されるのですか?」
「それは騒いでも仕かたはありません。」
僕は勿論(もちろん)不快を感じました。
しかし主人公のゲエルは勿論(もちろん)、ペップやチャックもそんなことは当然と思っているらしいのです。
現にチャックは笑いながら、嘲(あざけ)るように僕に話しかけました。
「つまり餓死したり自殺したりする手数を国家的に省略してやるのですね。」
「けれどもその肉を食うと云うのは、・・・」
「冗談を言ってはいけません。あなたの国でも第四階級(だいしかいきゅう)の娘たちは売春婦になっているではありませんか?職工の肉を食うことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。」
「どうです?一つとりませんか?これも職工の肉ですがね。」
僕は勿論辟易(へきえき)しました。
ペップやチャックの笑い声を後にゲエル家の客間を飛び出しました。
それは丁度家々の空に星明りも見えない荒れ模様の夜です。僕はその闇の中を僕の住居へ帰りながら、のべつ幕なしに嘔吐(へど)を吐きました。
夜目にも白じらと流れる嘔吐を。
風刺小説という視点
日本文学全集22芥川龍之介集の解説にもあるように、「河童」は〝風刺小説〟です。*1
つまり、「こんな世の中ってイヤだよね」「だけど自分たちの住んでる世界も、こうなっていないか考えてみよう」というジャンルの小説です。
さすがに河童の世界のように、肉こそ食ってはいませんが、コロナ禍の現在、自殺者は増えています。特に若い女性の自殺が目立ちます。
自殺が増えた原因のひとつとして考えられる「コロナ失業者」は四月に十万人を突破しました。河童の世界では五万人ですから2倍です。
あなたの国でも第四階級(だいしかいきゅう)の娘たちは売春婦になっているではありませんか?
川端康成の小説にも、貧しい家の娘が娼家に売られていく姿を描いた「有難う」があります。
そんな世の中、いやです。嘔吐(へど)が出ますね。
河童を演劇的に読み解く
空に星明りも見えない荒れ模様の夜です。僕はその闇の中を
これは風景描写であると同時に、キャラクターの心理をあらわしている文章です。
つまりこのときの登場人物は「気持ちが真っ暗闇になり、心は荒れ狂っている」んですね。
映画の「雨」は、わざと降らせていることはよく知られています。つまり「雨」が役の心理を表現しているんです。
アニメや映画には、自然現象を使って、役の心理を表現する技法があるんですね。
役の感情表現や台本を読み解くヒントとして覚えておこうね。
今回ブログで紹介したのは、「河童」の第八章です。
このあとの「第九章」にも、
「けれどもロッペの演説は・・・」
「あの演説は勿論悉(もちろんことごと)く嘘(うそ)です。
が、嘘ということは誰でも知っていますから、畢竟(ひっきょう)正直と変わらないでしょう、それを一概に嘘と云うのはあなたがただけの偏見ですよ。」
なぁんて、けっこうすごいことが書かれてますよ。
芥川龍之介「河童」ぜひ、ご一読をおすすめします。
引用
日本文学全集22芥川龍之介集 新潮社