心に残った言葉たち 川端康成
大好きな川端康成の小説から、印象に残った言葉たちを紹介します。
母国語の祈祷(きとう) 川端康成
言葉とは何か。符牒(ふちょう)に過ぎない。
母国語とは何か。
「言葉の相違というものは、実は野蛮人の間で他の種族に対して自分達の種族の秘密を隠すために発生したものだ。」
そんなことが書いてある本さえあるそうだ。
一人の幸福 川端康成
一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。
再会 川端康成
東京駅のホームには赤十字の看護婦が六人、荷物を中に置いて立っていた。祐三は前後を見たが、復員の兵隊は降りて来なかった。
品川からの往復に時々横須賀線を利用する祐三は、このホームでしばしば復員兵の群を見た。
この戦争のように多くの兵員を遠隔の外地に置き去りにして後退し、そのまま見捨てて降伏した敗戦は、歴史に例があるまい。
南方の島々からの復員は栄養失調から餓死に近い姿で、東京駅にも着いた。
夕焼け 川端康成
ロバアトは武官であるが、
「どうして政治や軍事は、國と國とのなかを悪くするんでしょうね。」と、くりかえして言っていた。
【注】國⇒国の旧字体
海の火祭 川端康成
墓に埋めた棺桶の中の死骸からでも子供は生れる。そして母は幽霊になってまでもその子を育てなければならん。
ほんとだとすると、生命がこの世に産れて来るって物凄いもんですね。僕は却って生命というものを憎みたくなります。
焼け死んだ母親の腹から生きた赤子が産れて来るところは、現に僕が見たんですからね。
その時もこんなにすさまじい力で僕等も産れて来たんだと思うと、なんだか厭んなりましたよ。子供なんかこしらえるもんかと思ったですね。*1
イタリアの歌 川端康成
老人は目をつぶった。
「今日お昼御飯の時にねえ、外来の方へ見物に行って来て、びっくりしたねえ。まだ可愛いお嬢さんとしか見えない方が、もうみんな大きいお腹をこんな風に突き出してね、婦人科から帰りなさるのさ。ちっとも恥かしそうな顔をなさらない、世の中も変ったねえ。」
「ちっとも恥かしそうな顔を・・・」視点を変えてみることで2つの解釈が出来ますね。
老人の視点
「懐妊を恥じらうほうが世間体がいい」といった風潮が昔の日本にはあったのかな・・・と推測すると、「最近の娘さんは恥じらいがなくなった、なげかわしい」みたいな。
娘さんの視点
「産めよ増やせよ」「富国強兵」です。「私はお国のために貢献してるんです。偉いでしょ、ほめて、ほめて💗」みたいな。
「イタリアの歌」は昭和11年に発表されました。日中戦争が始まったのは昭和12年で、昭和16年12月には太平洋戦争に拡大しました。どちらの解釈にしても時代が記録されていると感じますね。*2