ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

みんなが許しても俺は許さないよ

美しい言葉で若者を釣った奴。美しい言葉で若者を誘惑することで金を儲(もう)けた奴、それで生活していた奴。

これは許さないよ。

みんなが許しても俺は許さないよ

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大正の末はハイカラである。

イカラは昭和10年代の初めまで続く。

それが、次第にハイカラでなくなってくる。

全体に貧しくなってくる。やせてくる。

イカラは敵だ、というふうになってくる。

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昭和8年という年がどういう年かというと、国語の教科書が「ハナハトマメマスミノカサカラカサカラスガヰマス」から「サイタサイタサクラガサイタ」に変った年である。

サイタ教科書は灰色の表紙のハナ教科書にくらべると陽気だった。

うす赤い健康そうな表紙は、国力の上昇と侵略の匂いを発散していた。

ハナを大正とすれば、サイタは、戦前までの昭和を象徴しているように思われる。

担任の教師は、君達はこの点恵まれていると説き、江分利はハナ組に対して優越感を抱(いだ)いていたような記憶がある。

ハナとは人種が異なるように感じた。

江分利の担任は関西の師範学校を出たばかりの青年で、下宿の壁には「神ハ自ラ助クルモノヲ助ク」と墨書してあった。

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昭和16年大東亜戦争がはじまって、朝、校庭で大日本帝国万歳を3唱した。

江分利の前には、いよいよ「死」しかなかった。

江分利は、平静な気持で死ねるようになりたいと真剣に考えた。

「青春の晩年」という言葉が流行した。

18歳で入営だから、15歳はすでに晩年だという意味である。

「最も美しく生きることは、最も美しく死ぬことである」などという評論家もあらわれた。

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昭和19年11月から空襲がはじまった。

江分利は待避せずに銀色の編隊と飛行雲を見た。

空中戦になると物干場に上がった。

B29に体当たりする飛行機があり、型のように米機の落下傘(らっかさん)が開いた。

高射砲の音が快(こころよ)かった。

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20年5月25日に家と工場が焼け、鎌倉に移った。

7月3日に入営の通知がきた。

翌日は曇天で、江分利は青い顔で行列の先頭に立った。

 

逃げだしたかった。

 

数日後、江分利の隊のある甲府市が空襲された。

甚(はなは)だ痛快だった。第一、家財道具を持ち出す必要がなかった。将校や下士官たちは馴(な)れていないから震えていた。

その翌朝、使役で営庭に出ていた江分利は、裏門から悲鳴のかたまりが入ってくるのを見た。

老婆とその子供らしい7、8人が互いに罵(ののし)りあいながら入ってくる。

子供が不発の焼夷弾(しょういだん)をいたずらして、皆がのぞきこんだときに爆発したのだという。

このような事件は戦後も昭和22年頃まで頻発(ひんぱつ)したように思う。

これは戦争や空襲よりもずっと怖(こわ)い。

江分利はガソリンとか火薬とかガスとかの爆発物を極端におそれるようになった。

道を歩いていて、ひょいと煙草(たばこ)を捨てるというような動作が出来なくなった。

なにか爆発物がそこにありはしないか、といつも考えた。

臆病(おくびょう)は歳(とし)とともに募(つの)るようである。 

 

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ちょうどうまいときに終戦になった。

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江分利の前に昭和12年神宮球場が彷彿(ほうふつ)としてあらわれてくる。

応援団長が立ち上がる。

「右ッ手にぃ、帽子を高ぁくう!校歌ぁ!時間がないからぁッ 1番だけぇ!そらぁッ(前奏)みいやっこのせいほおく、わせだぁのもりにぃ・・・こらぁ、そこの学生ぇ、声が小さい。すらぁッ!」

巨漢の呉明捷(ごめいしょう)が出てくる。

「かっせぇ、かっせぇ、ゴォゴォゴォ!そらぁッ!」

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昭和12年の大学生は、昭和12年の日本について何を知っていたのだろうか、君たちの力で戦争を止めることはできなかったか。

 

そりゃあ無理だよ。

 

そんなこと出来るワケがない。昭和の日本では戦争は避け難い。

それじゃ学生は浮かれていたのだろうか。絶望していたのだろうか。それもわからない。

あの学生達はどこへ行っちまったのだろう。

半数は戦死したのだろうか。

「右手に帽子を高く」はどうしたろう。

呉明捷はどうしたろう。

あのエネルギーはどこへいったんだろう。

神宮球場のエネルギーは何もできなかったのだろうか。

それは、まあ、当り前だ。

しかし、江分利にとって神宮球場は恥ずかしい。なさけない。悲しい。ひどく恥ずかしい。

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江分利の前に白髪(しらが)の老人の像が浮びあがってくる。

温顔。

どうしてもこれは白髪でなくてはいけない。禿頭(はげあたま)ではダメだ。禿頭はお人よし。

神宮球場の若者たちは、まあ、いい。戦争も仕方がない。すんでしまったことだ。避けられなかった運命のように思う。

しかし、白髪の老人は許さんぞ。

美しい言葉で、若者たちを誘惑した彼奴(あいつ)は許さないぞ。

神宮球場の若者の半数は死んでしまった。テレビジョンもステレオも知らないでしんでしまった。

「かっせ、かっせ、ゴォゴォゴォ」なんてやっているうちに戦争にかりだされてしまった。

「右手に帽子を高くゥ」とやっているうちはまだよかったが「歩調ォとれェ、軍歌はじめェ、戦陣訓の歌ァ、一、二、三、やまァとォおのことうまれェてはァ」となるといけない。

野球ばかりやってた奴。ダメな奴。応援ばかりしてた奴。なまけ者。これは仕方がない。

 

しかし、ずるい奴、スマートな奴、スマート・ガイ、抜け目のない奴、美しい言葉で若者を釣った奴。美しい言葉で若者を誘惑することで金を儲(もう)けた奴、それで生活していた奴。すばしこい奴。クレバー・ボーイ。heart のない奴。heart ということがわからない奴。

これは許さないよ。

みんなが許しても俺は許さないよ、俺の心のなかで許さないよ。

引用
江分利満氏の優雅な生活 ちくま文庫

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