皇太后 人彘(人豚)事件
彼女(呂后)は戚(せき)夫人をつかまえて、その両手両足を斬りおとした。
その美しい眼をとり去った。
耳をつんぼにさせ、薬で口もきけなくした。
それを厠(かわや)の中に置いて、「人彘(ひとぶた)」と名をつけた。
「中国三大悪女」として唐代の武則天(則天武后)、清代の西太后と共に名前が挙げられる呂后(りょこう) *1 の、歴史に残る残虐な「人彘(ひとぶた)事件」のお話です。
司馬遷 武田泰淳
呂后(りょこう)は偉大なる殺人者である。殺人の智慧ゆたかに、殺人精神に徹している。
高祖が死んで孝恵帝が即位すると、世界の中心は彼女の手にうつった。
彼女は、自分の憎いと思う人間を、殺しつくす決心をかためていた。
彼女が一番憎んでいたのは、いうまでもなく戚(せき)夫人である。高祖の愛をうけた美しい女である。
この女のおかげで、呂后(りょこう)はもう少しで勢力を失うところであった。
彼女は戚(せき)夫人をつかまえて、その両手両足を斬りおとした。
その美しい眼をとり去った。
耳をつんぼにさせ、薬で口もきけなくした。
それを厠(かわや)の中に置いて、「人彘(ひとぶた)」と名をつけた。
かつては自分の夫の心を蕩然(とうぜん)たらしめた女の美しい肉体が、豚のように汚れて横たわるのを眺め、呂后(りょこう)は快哉(かいさい)を叫んだのであろう。
彼女は面白半分に、わが子の孝恵帝をよびよせ、人彘(ひとぶた)を見せてやった。
いぶかしげにしている帝に、これが戚(せき)夫人だよ、と教えてやると、気の弱い帝は、声をあげて泣き、そのために病気となり、一年も床に入っていた。
「これは人間のすることではありませぬ」
孝恵帝は弱々しげにつぶやくだけで、殺人者たる母を如何(いかん)ともすることができず、酒色にふけるばかりであった。
「これは人間のすることではありませぬ」。
しかし、事実、それをしたのである。
いよいよ女の自分が、世界を動かす中心であると感じて、得意になったにちがいない。
戦国の中心は恐怖の中心である。
戦国の人間は恐怖がなければ動くものではない。
豪傑も英雄も、恐怖にかられて動くのである。殺されたくないから、戦うのである。おそろしいから、殺すのである。
そのおそろしさの中心になったぞと、呂太后はひそかにほくそえんだことであろう。
彼女はついに皇帝を幽殺した。
それから趙王友(ゆう)をとらえて、これを餓死させた。
また趙王恢(かい)おびやかして、これを自殺させた。
殺人自在であったから、呂太后は今や単なる女ではなく、天そのものになったともいえる。
己丑(きちゅう)の日、日食があり、白昼たちまち暗黒と化した時、呂太后は左右をかえりみて、「これはわたしのためだよ」と語った。
自ら非業悪業をさとっていたとしても、自分の行動が天の異変をもたらしたのだと、語った呂太后の胸の中には、人間最大の自信がこもっていたにちがいない。
人彘(ひとぶた)事件は、歴史上すっごく知られたエピソードですから、皆さんも一度や二度は耳にしたことがあると思います。
まさに、とんでもない事件ですね。
女性がトップに立てば、いい世の中になるわけではありません。
「男か女か」ではなく〝リーダーの資質〟がある人になってもらいたいものですね。