飛ぶ教室
飛ぶ教室【ケストナー作】
私がお話するクリスマス物語には、ヨナタン・トロッツという、なかまの少年たちからヨーニーと呼ばれている少年が現れます。
この話の主人公ではありませんが、その身のうえは、少年の涙が小さいものではないことを示すにふさわしいと思います。
ヨーニーはニューヨーク生まれで、おとうさんはドイツ人、おかあさんはアメリカ人でした。
おとうさんとおかあさんはたいへん仲がわるく、とうとうおかあさんは家出をしてしまいました。
ヨーニーが四つになった時、おとうさんは彼をニューヨークの港につれていき、ドイツ行きの汽船に乗せました。
おとうさんは船のきっぷを買い、十ドル紙幣を子どもの財布(さいふ)に入れ、ヨーニーの名まえを書いた厚紙の札(ふだ)をヨーニーの首につるしてやったのでした。
それからふたりは船長のところにいきました。
「どうか、この子をドイツにつれていってやってください。ハンブルクには、おじいさんとおばあさんが迎えにでていますから。」と、おとうさんはいいました。
「よろしい、ひきうけました。」と、船長は答えました。それっきり、おとうさんはもう姿を消してしまいました。
それで小さい男の子はひとりぼっちで大西洋を渡りました。
船客たちはたいへん親切にしてくれ、チョコレートをくれたり、厚紙に書いてある名を呼んで「こんな小さい時から大西洋を渡るなんて、おまえはしあわせものだよ。」といったりしました。
一週間の船旅ののちハンブルクに着きました。
船長はヨーニーのおじいさんとおばあさんを待ちうけていました。
だが、ヨーニーのおじいさんとおばあさんはきませんでした。いや、こられなかったのです。ふたりはもう何年もまえに死んでしまっていたのですから!
おとうさんはただ子どもを捨てようと思って、ドイツへ送ったのであって、その先のことは考えようとはしなかったのです。
その当時ヨーニーは、じぶんがどんな目にあわされたかがまだよくわかりませんでしたが、大きくなってから、夜、まんじりともしないで泣きあかすことが、いくどもありました。
この悲しみを、彼は一生のあいだ忘れることができないでしょう。彼は気の強い少年ではあるのですけれど。
船長には、およめにいっている妹さんがありましたので、そこへヨーニーをつれていきました。
ヨーニーが十歳になると、船長は彼をヨハン・ギジスムント高等中学の寄宿舎にいれました。この寄宿舎がクリスマス物語の舞台です。
正義先生のエピソード
ベク先生のあだ名は、ユスツス【正義先生】。べク先生は、正しい人でした。だからこそ生徒たちはべク先生を尊敬したのです。
「かれこれ二十年もまえのことだ。そのころもここにはきみたちのような少年がいた。」
少年たちは長いすにならんで無言のままこしかけ、熱心に耳をかたむけました。べク先生はつづけました。
「ある日、この少年のおかあさんがひどい病気になった。おかあさんは生まれた小さい村からキルヒベルクの病院に運ばれてきた。そうしないと、死んでしまっただろうから。
小さい少年はひどくこうふんしていた。一分間も心の休まるひまがなかった。
ある日、おかあさんのぐあいがひどく悪かったので、ことわりもせずに学校からぬけだし、町を横ぎって病院に行き、病人のベッドのそばにこしかけ、おかあさんの熱い手をにぎっていた。
そして、あすは外出日だから、またくると、おかあさんにいい、遠い道を走って帰った。
学校の門のところにひとりの最上級生が彼を待ちうけていた。それは、彼らにゆだねられた権力を、よく考えて寛大(かんだい)に使うだけの分別がまだできていない少年のひとりだった。
彼は小さい少年に、どこにいっていたと、たずねた。
少年は病気のおかあさんのところから帰ってきたと、この上級生にいうくらいなら、じぶんの舌をかみきっただろう。最上級生は罰として翌日の外出許可を取り消してしまった。
それでも翌日、少年は飛びだした。おかあさんが彼を待っていたから!
彼は町を横ぎって走った。
そして一時間おかあさんのまくらもとにいた。おかあさんのぐあいは、まえの日よりいっそう悪かった。
おかあさんは少年に、あすまたきておくれ、と頼んだ。彼は、そう約束して、学校へ走って帰った。
最上級生はもう舎監(しゃかん)に、少年が外出を禁止されていたにもかかわらず、また逃げだした、と報告していた。
舎監(しゃかん)はきびしい人だった。
少年が何もかもうちあけることのできるような先生ではなかった!
少年はだまっていた。それで、彼は一か月間、学校をはなれてはならない、といいわたされた。
しかし彼は翌日もまた出かけた。帰ってくると、彼は校長のところへつれていかれた。校長は彼に監禁の罰をくわえた。
校長が翌日少年をお祈りにつれていこうと思って、学校の番人(ばんにん)に監禁室をあけさせたら、中には別な少年がはいっていた!
それは脱走した少年の友だちで、小さい少年がおかあさんのところへいけるように、身がわりに監禁されたのだった。」
「校長は、」と、ベク先生は話をつづけました。
「監禁室にはいって、替え玉のことを知ると、かんかんに怒った。そこで少年は友だちがなぜたびたび逃げて出たのか説明した。
その結果はやはりよかった。
そのとき母を病院に見まった少年は、心から信頼できる先生がいなかったばかりに苦しんだので、大きくなったら同じ学校で舎監(しゃかん)になろうと決心した。
少年たちが心のなやみとすることをなんでもいえるような人になってやるために。」
正義先生は立ちあがりました。その顔はやさしくて同時に厳粛(げんしゅく)でした。彼は五人の少年の顔を長いあいだ見つめました。
「この少年の名まえをきみたちは知っているかい?」
「はい。」と、マルチンが低い声で答えました。「ヨハン・ベクという名まえです。」
正義先生はケストナーだった!
少年は、正義先生のことだったんですね。
そしてこのエピソードは、ケストナーの実体験に基づいています。
ケストナーは1913年、十三歳でドレスデーンの師範学校にはいり、寄宿舎で暮らしていましたが、病気のおかあさんを看病するため、こっそり逃げ出したので、監禁の罰を受けました。
べク先生の気持ちは、ケストナー自身の気持ちを反映しているんです。
参考文献