役がら・立場・根拠を考える
「どうすればいいかって?そんなの自分で考えてよ」
「言いたいことはわかるんだけど、今ひとつ説得力がないんだよね・・・」
「ツメが甘いな。ちゃんと考えたのか?」
これに似たようなことを、皆さんもどこかで言われたことはありませんか。
今回紹介する本は、演劇の本ではありませんが演劇に使えます
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ひとりよがりの見方になっていませんか?
――視点を戦わせることで1つ上の「考え」に進める
世の中には無数の「立場」がありますね。
ビジネスパーソンの立場、社長の立場、主婦の立場、消費者の立場。そして、それぞれの立場には、その立場なりの感じ方や思惑、事情があります。
ひとことポイント
「立場」とは演劇でいう「役がら」です。
感じ方や思惑や事情が違えば、同じものを見ていても見え方やとらえ方が違ってきます。
立場ゆえに、ある物の一部が見えないこともあれば、見えているはずなのに「見えない」と思い込むことだってあります。
つまり、それぞれの立場のとらえ方には、なんらかの特徴というか「偏り」があるのです。
ところが私たちは、無意識のうちに「1つの視点」で物事を考えがちです。そして、この「1つの視点」はあまり柔軟に移動しないという困った習性があります。
だからこそ、意識的に別の視点・立場を持ち出す必要があるのです。
誰かになりきって、「自分と違う視点」で考える授業
先生
「みんなは、『よい社会』ってどんなところだと思う?」
生徒
「戦争や犯罪がないところ」
生徒
「自分のやりたいことができるところ!」
先生
「どうしてそう思うの?」
生徒
「だって宇宙飛行士になりたいって思っても、その夢を叶えさせてくれる社会がなくちゃ、なれないでしょ。やりたいことができるのは、人間の権利だよ」
先生
「なるほど。じゃあ、今度は、自分とは違う人の立場から『よい社会ってどんなところ?』という問題を考えてみようか。
たとえば、お母さんの立場から見ると、よい社会ってどんなところだろう?
宇宙飛行士の立場で考えた『よい社会』は、みんなが考える『よい社会』と一緒かな?
自分とは違う人になりきって、『よい社会とはどんなところか』を考えてみよう・・・」
これは、欧米の学校での授業風景をイメージしたものです。
子供たちはここで、自分とは違う人になりきって「よい社会とは何か」という問題にチャレンジしています。
自分とは違う誰かになりきって考えるということは、自分とはあえて違う視点で考えることです。
考え抜く力を教える欧米などの学校では、自分以外の視点を持ち、自分とは正反対の「言い分」を理解すること、つまり、視点を多く持つことを重視して、色々な形で指導しています。
日本で教育を受けた人が、考え抜くための術(すべ)を知らないのはある意味、当たり前なのではないかと思います。
なぜなら、日本の学校教育はいわゆる「正解主義」に重きを置いていて、1人1人の「答え」や「意見」を尊重するような考え方についてはほとんど教えてくれないのですから・・・。
文章の書き方や計算、理科、社会、そして英語も学校で教えてくれるのに、なぜか、自分の意見の作り方や、正解のない問いに自分なりの答えを出すための考え方は教えてくれない。
ところが、社会に出ると、今までほとんど訓練を受けたことのない、「自分の頭で考える力」を当然のように求められる。ひどい話です。
一方で、グローバルな舞台で活躍する人々に目を向けてみると、彼らは1人1人が明確な意見を持ち、じっくりと考え抜くためのスキルを身につけているようです。
これは1つには、彼らが受けた教育のためだと言えます。
エリートと呼ばれる人たちの多くは、アメリカやヨーロッパなどの良質な学校に学んでおり、そこで彼らが習得するのが「考え抜く力」なのです。
日本では、互いに察し合うことによってコミュニケーションが成り立つ「あ・うん」の呼吸がよしとされますし、自分や相手の発言について、とやかく質問・確認しない傾向があります。
出張から帰ってきたばかりの同僚との会話
日本人同士なら
「ローマ、どうだった?」
「うん、よかったよ」
ところが、英語のネイティブ・スピーカー同士の会話だとこうはいきません。
「ローマ、どうだった?」
「うん、よかったよ」
「よかったって、どういう意味?ご飯がおいしくて美人がたくさんいたとか」
「街そのものもすばらしかったね。歴史と共存しているとでもいうのかな」
「歴史と共存という意味なら京都もそうでしょう。京都とどっちがよかった」
「うーん、どっちもいいなあ」
「じゃあ、もしもどっちか片方しか行けないとしたら、どっちを選ぶ?」
もうほとんど尋問?と思えるほど、根掘り葉掘り聞かれることもめずらしくありません。
この本の著者、狩野みきさんが一番びっくりしたのは「ギョウザを食べる根拠」だそうです。
「夕飯に何を食べたい?」
「餃子」
「なんで?」
「餃子を食べたいことに理由も何もあるもんですか」
気がついてみれば、欧米人、特にアメリカ人は、どんなことにも根拠を聞くし、言ってきます。交渉や会議の場だけでなく、毎日のおしゃべりまで「根拠」です。
「そんなの疲れちゃうよ」と思うかもしれませんが、彼らにしてみれば、それが当たり前のことになっているのですね。
どちらが好みか、という問題はさておき、日本語式コミュニケーション【根拠なし】と英語式コミュニケーション【根拠あり】では、英語式のほうが、より説得力があるのは明らかです。
日本人に、根拠を言う、意識するという習慣があまりないのであれば、根拠を考えるクセをつけてしまえばいいのです。
根拠に限らず、「考える」という行為はクセのようなものです。クセにしておくからこそ、いざというときに考えることができるようになるし、根拠もスルっと口から出てくるようになるのです。
そして、ここがポイント
根拠を考えない文化に生きている日本人にとって、根掘り葉掘り質問すると、相手がカチンときて自分の立場が悪くなることもあります。
だからこそ、ふだんは<根拠を>口には出さないで「意見を求められたときのためにとっておこう」と考えている人も結構いるみたいですよ。
参考文献
世界のエリートが学んできた「自分で考える力」の授業 日本実業出版社
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かっこいいヒーローは時代とともに…
舞台でのぼくの欠点。『粋(いき)さ』がない。オドオドして小さく見える。
せりふひとつにしても、あれこれいらんことを考えすぎる。
芝居は理屈でやるもんやない。おまえらぐらいのときは、役柄を考えても仕方がない。いらんことを考えるより、ただガムシャラでやれ!
とはいうものの、やっぱりせりふの意味だとか、こんな展開は理屈に合わないだとか、そんなことにまず頭がいってしまう。
そういうかたちでしかものごとを考えられない自分が悲しい。
『大衆演劇への旅』(未来社)より
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鵜飼正樹さんの『大衆演劇への旅』(未来社)という本がある。5000円近くもする高い本だ。
題名にあるように、鵜飼さんが、市川ひと丸劇団という大衆演劇に入団し、一年二か月のあいだ、劇団員とともに旅暮らしをした記録である。
日本舞踊の名取である友人の母親から「なんかちょっと恥ずかしそうに踊っているみたい」という自分の踊りの印象を聞いたとき、鵜飼さんはこう語っている。
「恥ずかしそうに踊っているというのは、心にズキンとくる指摘だった。というのはいまだに踊りも芝居も、ぼくは、自信をもって思い切りやってみるということができないのだ。
いつもまちがえるのではないか、まちがえるのではないかという不安が先に立つのだ。
失敗しても平気でシラを切りとおすということができない。
同じようなことだが、クサイ芝居やせりふはいまだにやっぱり照れくさい。大衆演劇の醍醐味はこのクサイ芝居やせりふにこそあるのだとわかっていてもダメなのだ。
芝居の最中でも自分で自分が恥ずかしくなって、心の中でブレーキをかけてしまう。その結果、いつも中途半端な芝居しかできないのだ。
問題はもっと根深いところにあるように思う。それは、教育の問題だ。ぼくは、最高学府の、それも日本で最高といってよい大学で教育を受けてきた。(注:京都大学)そこで一貫して教え込まれてきたのは、ものごとをまず頭で、理屈で理解しようという姿勢である。
けれども、頭で理解することと、体を動かすことはまた別なのだ。むしろ、初歩の段階では『理屈抜き』のガムシャラさこそが重要なのだ。それこそがぼくに欠けている決定的なものである。」
鵜飼さんは、「あとがき」で、自分が「南条まさき」(劇団での鵜飼さんの芸名)になりきることができなかったことを反省しつつ、一年二か月の“旅”の意味を解読している。
「何者かに『なりきる』ことなどできるのだろうか?それこそ錯覚ではないのか?」
この問いは、“旅”の多様な体験から搾り出されたリアルな問いだろう。
おそらく、大衆演劇の世界で役者を生きる人々も、「なりきった」瞬間などないだろう。
そうした瞬間を味わおう、実感してみたいと思い、日々精進し、さまざまに工夫し、生きているのではないだろうか。
「なりきろうとし続ける」営みは、大衆演劇の世界に固有のものではない。私たちが普段あたりまえのように暮らしている日常という舞台こそ、こうした営みが満ちているのである。
私は普段、どのように「父親」を演じているのだろうか。大学の「教員」を演じているのだろうか。世の中を生きている人々の多くは、どのようにして、それぞれの役柄を演じているのだろうか。
私たちは、暮らしの場でさまざまな役柄を演じ続けているが、なんの疑いもなく適切に個々の役柄になりきっているわけではない。むしろ役柄と自分の存在との距離や隙間が常に気になっているのではないだろうか。
この「なりきろうとし続ける」営みこそ、そして役柄と自分の存在の間にある距離や隙間こそ、社会学が世の中を調べるうえで読み解くべき、基本的、かつ核心的な対象なのである。
なにごとにも迷わず、まっすぐつき進むヒーローこそが「かっこいい」とされた時代がありました。
だけど本当に迷わない人なんているの?
もしもそんな人が実際にいたら、逆にコワイひとなんじゃない?
失敗しても平気でシラを切りとおす人がいたとしたら、どうなのかな?
「リアルって何だろう」そう問い続けることで、アニメや映画のヒーローも、時代とともに変化してきました。
「あたりまえをうたがう」大切なことだと思います。
参考文献
「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス 光文社新書
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うまいへたと、伝えるは、別の能力
ヘタでも伝わる。
大切なのは「伝える」こと。
うまいへたの【技術】と、伝える【能力】は、実は別次元の話。
伝える能力のある人は、技術的に下手でも、相手に伝わるんですよ。
相手に伝わる能力があるから「いいな」と周りから感じてもらえる。
上手ヘタは、あまり重要じゃない。「心」が伝わるかどうかが大切。
ラジオを聴いていたら音楽家の方が、そのように語っておられました。
考えてみれば、「うまいヘタを超えたなにか」を持っている人は、けっこういるような気もします。
他には、【挫折する、あきらめてしまう】問題にもふれていて
音楽を始めたばかりで、自分がどうしてうまくいかないのか見極める能力がまだないのに、
「自分は○○だからうまくいかないんだ」と原因を1つに特定してあきらめてしまう。
「うまくなる人は、自由にのびのびやって、いつのまにかうまくなっているケースが多い」んだそうですよ。
たしかに、まったく欠点のない人はいませんね。
のびのびで思い出したんですが
「大阪に行くには、電車、飛行機、車などいろんな方法がある」と、ドラえもんの第一話にもありましたね。
「飛行機がダメなら電車にしよう」と自由に発想できる人が長続きする人で、ひとつの方法に、こだわりすぎてしまうとうまくいかないかも。
いくらでも方法はあります。ひとつじゃありません。いろんな角度から物を考えられる、広い視野を持つことが大切なんでしょうね。
今日は、そんな話を交えながら朗読のレッスンを行いました。
雨のなか、どうもありがとう。それではまた来週。
参考
久米宏ラジオなんですけど
雨だけど、雲の上は満天の星空♪
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人類はスケベだから繁栄した?
うすうす気づいていたけど、なんで人類がここまで繁栄したのか。
最初にことわっときますが
この本は、大学の自然人類学のテキスト【東京大学出版会】としてまとめられた本で、決してヘンな本ではありません。
今年になって発行された人類進化700万年の歴史をたどる、最新の学説が載っています。
ホモ・サピエンスは交配することによって繁栄した。
わたしたちホモ・サピエンスのDNAには、ネアンデルタール人のものも交じっているんだけど、ネアンデルタール由来のものは、ヒトの生殖能力を低下させたと考えられるんだって。
そして交雑の結果、ネアンデルタールのDNAはホモ・サピエンスにのみ込まれて絶滅した。
一部の専門家は、小規模のネアンデルタール集団とホモ・サピエンスの大集団の混血が進み、遺伝子プール(集団中の遺伝子全体)がのみ込まれたことでネアンデルタールは絶滅に至ったと考えている。
ネアンデルタールの数は多くなかったので、他地域から来たホモサピエンスと混ざり合い、次第に姿を消していったと推測される。
ホモ・サピエンスとの戦争でということはないの?
ホモ・サピエンスがアフリカから出てすぐにネアンデルタールが絶滅したわけではない。
ホモ・サピエンスとネアンデルタールは2,600−5,400年間ヨーロッパ大陸で共存していたことが明らかになった。共存期間がこれだけ長ければ、2つの集団が交配する時間は十分にあっただろう。
事実、現代人の中にネアンデルタールのDNAはあるんだし。
2,600から、5,400年といったら西暦より長い。小さなイザコザくらいはあっただろうけど、これだけ共存した期間が長いとなると、仲良しだったんじゃないかな。
ネアンデルタールは、おろかで野蛮だから絶滅したと考えられてたけど
洞窟の壁画や仲間を埋葬した痕跡、石器など文化的遺物からネアンデルタールが知的な行動をしていたことが明らかになったの。
脳の大きさも、ホモ・サピエンスと比べるとほぼ同じで、むしろ大きいものが多く、知性の差はそう大きくなく、言語も存在したと推察でき
これらの発見から最近では、ネアンデルタールが絶滅し、ホモ・サピエンスが繁栄したのは、知性とは別の原因によると考えられ
生物間の優劣はどれだけ子孫を残せるかにかかっていて、ホモ・サピエンスのほうが生殖能力で優勢だったことが繁栄をもたらした、ということになるんだって。
最近の研究によると、ホモ・サピエンスはアフリカの各地で誕生し、他の人種と交配し、それがホモ・サピエンスが生き残る成功の一因になったことが示唆されている。
さまざまな系統が交わった結果、現生人類になったのである。ホモ・サピエンスはさまざまな系統の複雑な相互作用の産物である。
サルに発情期はあるけど、ヒト【ホモ・サピエンス】にはない。つまり一年中、繁殖できる。【これは事実】
じゃあ、ホモ・サピエンス以外の絶滅したヒト属はどうだったんだろうね。もしも発情期があったのなら子孫の数は限定されるね。【これは推測であり仮説】
結論としては、エロは勝つってこと?
大学のテキストとはいっても、そんなに難しくありません。あたしでも読めました。興味のある人は、ぜひ。
参考文献
人類進化概論 地球環境の変化とエコ人類学 東京大学出版会
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【おまけ】
「人類進化概論」(東京大学出版会)の一部を抜粋させていただきます。
2017年に、デニソワ人とネアンデルタール、ホモ・サピエンスの交雑の状況を詳しく解析した研究が発表された。
ホモ・サピエンスが旧人類から受け継いだDNAの一部は、ホモ・サピエンスが地球全体に進出していく過程で、新たな環境への適応に有利にはたらく遺伝子であった可能性が高い。
アフリカで誕生したホモ・サピエンスは、太陽光に含まれる有害な紫外線から身を守るためにメラニン色素の多い皮膚だったと推測される。
高緯度地域に進出すると、太陽光を浴びてビタミンⅮを産生するには、黒い皮膚は不利になり、くる病などを発症しやすくなる。
十分なビタミンⅮを得るためには、色の薄い皮膚になる必要があり、ネアンデルタール由来の皮膚関連遺伝子が、高緯度地域に適応する進化を助けた可能性がある。
残りの約半分のゲノム配列は免疫に影響を及ぼすもので、新しい環境に拡散したとき、未知の病原菌やウイルスに対する抵抗力を得たと考えられる。
異種交配を通じて、現生人類はネアンデルタール人由来の適応力を獲得していたので、未知の病原体をよりうまく撃退できた。
ネアンデルタールだけではなく、現代のチベット人は標高の高いチベット高原の低酸素環境に対処するのを助ける遺伝子変異をデニソワ人から受け継いだ。
ホモ・サピエンスが他の人類と交配した事実は驚きではなく、異種交配が進化において重要な役割を果たしてきたことは多くの動物が示している。
異種交配によって交雑個体群だけでなく新種が生まれることもあり、それらは新しい環境や環境変化に対して親よりもうまく適応できる。
ヒトの祖先にも類似のパターンが見られ、さまざまな系統が交わった結果、適応力があって変化できる種、つまり現生人類になったのである。
ホモ・サピエンスは相互作用で生じた変化のおかげで繁栄してきたし、相互作用なしではこれほどの成功を収めてはいなかっただろう。
石ノ森章太郎の「幻魔大戦」にも、「すべての人類が混血になれば平和になるのでは」という台詞があります。いい世の中になってほしいですね。
当たり前をうたがう。
なににつけても、あたりまえだと思っていることを、まずは、あらためて考えてみることです。
それがつまりは、うたがうというふるまいですね。たとえば、「人が演技する」ことも、よくよく考えれば、どこかおかしい。
たとえば、まったく演技経験のない人や、演劇のトレーニングを受けたことがない人でも、台本をわたせば、それなりに、「演技らしきもの」をするのが、そもそもおかしいでしょう。
たとえば、飛行機に乗ったことがある人でも、いきなり操縦桿をにぎらされたらどうでしょう。とても飛行機は動かせません。
けれど、演技では、それとよく似たことが出現する。しかも、どうやらそれが、可能らしい。
ほんとうに奇妙な話です。
そしてさらに重要なのは、たとえば、とても小さな声で演じる演劇や、まったく声を出さない演劇もあることです。
それは「うたがい」のなかから生まれた演劇たちです。
演技することをもっと根本的なところから考えた結果として生まれました。
あなたは、いま、お芝居をしています。
たとえば、シェイクスピアの「ハムレット」でもいいです。
しかし、ハムレットを演じているとちゅうで、ふと、「俺、なんでハムレットなんだ?だって俺、デンマーク人でもないのに、なんでこんなことしてるんだ?」と考えだしたら、うまくせりふが出てこなくなるでしょう。
うたがわないほうが無難です。うたがいはじめたら、なにもできなくなります。うたがわずにいれば、楽に生きることができそうです。
どのように演劇とかかわるかは、あなたの自由です。それは、どんな生きかたをするのも自由なのとおなじです。
ただ、少しでもうたがうことで、演劇にしろ、生きることにしろ、ゆたかになるのだとわたしは思います。
「うたがう」
私の大好きなブレヒト演劇にもつながるテーマですね。
これまでの人生で、演劇にふれたことがある人もない人も、どちらも楽しめる内容の本だと思いますよ。おススメします。
参考文献
演劇は道具だ 理論社
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ゴーイング・マイ・ウエイ
6月22日のブログの続きだよ。
二刀流で知られる大谷翔平くん【野球選手】は、評論家の張本さんになにを言われても気にしません。
「他人の気持ちはコントロールできないから気にしないほうがいいよ」というのが6月22日の結論でした。
ところで大谷くんは、最初からそんな前向きな考えの持ち主だったのでしょうか
どうやらそうではなさそうなのです。
「アメリカ・メジャーリーグでプレーしたいので、日本のプロ球団はドラフトで指名しないでください」
高校生のときの大谷くんはそう話してました。
それを強引に指名したのが日本ハムというプロ野球チームです。
日本ハムは、無名のまま渡米するのと、日本で実績を残してからアメリカに渡るのではどのくらい違うか、実例を交えた詳細なレポートを大谷くんに提出しました。
それで大谷くんは日本ハムに入団したんです。
そしてここがポイント
当時の大谷くんは、「日本の球団には入らないと宣言したのに、それを破ったら世間からのバッシングが怖い…」と漏らしていたんです。
つまり高校生のときの大谷くんは、みんなと同じようにバッシングを気にしていたんです。
生まれつき前向きな性格じゃなかったんですね。
ここからは推測なんですが…
おそらく日本ハムは、そんな大谷くんを守り、いろんなアドバイスをしたんでしょう。
誰もなしえなかった投打の二刀流に挑戦するからには、今後も批判の声は当然あがると予想されます。
だからこそ、ゴーイング・マイ・ウエイ【going my way】
誰に何と言われても気にするな、我が道を行け、そんなアドバイスもあったのではないでしょうか。
生まれつきポジティブじゃなくても大丈夫。
いろんなことを知ることで、前向きになれるよ、大谷くんを見習おう。
そんなことを話しながら、今日は「オンディーヌ」のレッスンを行いました。
あいにくの雨でしたが、楽しいレッスンでした。集まってくれた生徒の皆さま、ありがとうございました。
それでは、また来週
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ブレヒト俳優の練習台本全文掲載!
シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」
ロミオはジュリエットと知り合う前に、ロザラインという娘に恋をしていました。
ブレヒトの「ロミオとジュリエット」では、ロザラインと別れるために手切れ金が必要になったロミオが、使用人を追い出して、その土地を売り払い、カネにかえてしまおうとする場面が挿入されます。
ひどい・・・。
ブレヒト作【俳優のための練習用台本】「ハムレット」「ロミオとジュリエット」全文掲載!無料です。
http://www1.odn.ne.jp/seiyukenkyujo/b.h.r.a.j.htm
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