ヤマトその2
7月21日の「宇宙戦艦ヤマトと70年代」の続き。
今回は、ガミラスとイスカンダルについて。
ガミラスのネーミング
ヒス、ドメル、ゲールといったネーミングと制服のデザインから、ガミラスはナチスドイツが発想のもとになったと容易に想像がつく。
だが、実情はもう少し複雑だ。
当初、ヤマトの敵はラジェンドラという名前だったが、松本零士の発案でガミラスに変更された。このガミラスはレ・ファニュ原作の「吸血鬼カーミラ」から取られた。この小説は「血とバラ」というタイトルで1960年に映画化された。
最初ガミラスの総統の名はバンパレラと吸血鬼そのものの名前だったが、デスラーへと落ち着いた。初期デッサンは独裁者というより、松本が挿絵を描いたC.L.ムーアのゴシックホラー的SF小説に出てくる魔人のようなイメージだ。
デスラーの名前は、命名者の松本によると、ヒットラーではなく、デス(死)+ラー(太陽)から来ているという。
頁160
西遊記
SF考証担当の豊田有恒は、「ヤマト」の核となるプロットに隠された秘密をこう語る。
「折から、公害、環境問題が、身近なものとして取り上げられるようになっていた。そこで、究極の環境汚染という設定を考えた。異星人の侵略によって核攻撃にさらされ、地球が放射能に汚染されて、滅亡が迫っているという設定である。
それだけでは、あまりにも救いがないから、ある星まで放射能除去装置を取りにいく道中という舞台を設定した。じつは、この設定には、モデルにした物語がある。
…世の中は乱れに乱れている。このままでは、世の終わりも近い。だが、天竺へ行って、ありがたいお経をとってくればみんなが救われる。…そう、西遊記がモデルなのだ」
目指す目的地イスカンダルは、古代インド語でアレクサンダー大王のことをさす。つまり、インド的なるもの。言ってみれば、天竺への救済の旅に、ヤマトは旅立つのだ。
「西遊記」から「ヤマト」に受け継がれたもの。それは終末的状況を救う手立てを求めて旅立つこと。
「ヤマト」には、三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄ら有名なキャラクターに該当する人物はない。
しかし「西遊記」にはもうひとり、三蔵法師一行を天竺まで導くため、陰日向なく見守り続ける重要なキャラクターがいる。観世音菩薩である。この役回りは、実はイスカンダル星のスターシャと重なる。
「ヤマト」の企画段階では、第三次・ヤマト企画書においてもスターシャは登場しない。松本零士の参加によって生まれたキャラクターである。地球の危機を救える存在は、地球の人智をも超える存在でなければいけない。この物語の要請から、スターシャが誕生したのではないだろうか。
頁169−171
小説「吸血鬼カーミラ」は小学生で「血とバラ」は中学の時に観ています。
美しい女性の吸血鬼が登場する幻想的な作品で大好きなんですが、ガミラスと関係があるとは知りませんでした。
だけど考えてみると松本零士さんが好きそうな作品であることはなんとなく想像できます。
また、西遊記がヤマトの元ネタというのは、他にもいくつかの本で指摘されていますので、ある程度は知っていましたが、ここまで詳しくは知りませんでした。
知らなかったことがわかるようになるのって楽しいね。
【おまけ】
ガミラスの思想と人類の関連性
科学者J.B.S.ホールデンは1928年に発表した「最後の審判」で、四千年後の未来に至る壮大な宇宙絵巻を発表している。そこでは三千年まで寿命の延びた人類が自らの過ちで地球を破壊させ、新しい天地を金星に求める。
自ら生体改造した新人類とそれにふさわしい生態系を作りだす生物とともに金星に大量移動。そこに棲む先住生命は抹殺される。
ホールデンに影響された哲学者、オラフ・スティープルドンもまた、1930年に「最後にして最初の人類」で同じように金星の先住知性体を移住に際し抹殺する未来図を作り上げている。
テラフォーミングという惑星環境の改造技術が「現実的な手段」として検討され始めている。アメリカの宇宙開発を民間から推進する圧力団体NSS(合衆国宇宙協会、旧名/L5協会)は、宇宙開発において生命倫理は不要であると断じている。
ここで、ガミラスのデスラーの思想を思い起こしたい。彼はスターシャに地球侵略の非を責められ、自らの哲学を語った。
「滅ぼして当然だろう。野蛮人だ」
「科学の力は劣っていても、同じ人間です。生きる権利があります」
「ガミラス人にも生き抜く権利はある」
「他人を滅ぼしてまでも?」
「そうだ」
このデスラーの思想は、ホールデンやNSSと非常に近しい。そう、彼は地球人のもうひとつの姿なのだ。
ガミラスの「生き残りたい」という願望は、コスモクリーナーDを求めてはるばるイスカンダルまで旅をしたヤマト、そして地球人の思いと共通するものがある。決してガミラスは悪だけの存在ではない。
イスカンダルの思想
「すべてのものには運命があり、定められた寿命というものがあります。
このイスカンダル星とあのガミラス星は二重惑星。双子の星として誕生したのですが、星としての寿命が終わりに近づいているのです。
そこでガミラス星の人たちは地球を第二のガミラス星として乗っ取ろうとして自滅したのでした。
私たちイスカンダル星のものはよその星に迷惑をかけたくはありません。運命を黙って受け入れるだけです」
他者を犠牲にして繁栄を得ようとするガミラスとは対照的な哲学である。
ガミラスの価値観がホールデンやスティープルドンの思想と共通するのなら、その反対のイスカンダルの価値観と共通する思想もまた存在する。
「ナルニア国物語」で知られるC.S.ルイスである。彼は科学に対し、倫理の重要性を訴えた。その主張は別世界シリーズと呼ばれる三部作の小説「マラカンドラ」「ペレランドラ」「サルカンドラ」のなかで展開された。
ちなみに、ルイスの思想は科学主義からの反論を招いた。
先に紹介したホールデンはルイスの非科学性を批判したが、ルイスの方は科学のもつ管理主義的側面をナチズムを例にあげ反論した。これは両者の立場がそれだけ根源的に対立する故であるが、イスカンダルとガミラスの違いとも通底する。
イスカンダルかガミラスか。両者の間で揺れるヤマト…
続編「宇宙戦艦ヤマトⅢ」では太陽の核融合異常増進で、地球は再び壊滅の危機に瀕する。ヤマトは第二の地球探索に出るが、それは無為に終わる。
ふとした偶然で、ヤマトは地球そっくりの、だが無抵抗主義者が住む平和なシャルバート星にたどり着く。
土門竜介は、古代進にこう詰め寄る。
「この星を占領しましょう。訳はないですよ。シャルバートを第二の地球に」
「恥ずかしいが、俺もいまそう考えていた。しかし、それでは俺たちもボラー連邦やガルマン・ガミラスと同じになってしまう」
「ヤマト」は続編において、イスカンダルの道とガミラスの道を振り子のように揺れ、答えようのない問いかけを何度も繰り返すこととなる。
頁175−183
古代進の成長
「我々がしなければならなかったのは戦うことじゃない。愛し合うことだった」
このセリフに対し、反戦メッセージ、いや偽善的だとさまざまな意見が交わされてきた。しかし、この言葉の前段がむしろ重要である。
「俺たちは小さいときから人と争って、勝つことを教えられて育ってきた。学校に入るときも、社会に出てからも、人と競争し、勝つことを要求される。
しかし勝つものがいれば、負けるものもいるんだ。負けたものはどうなる。負けたものは幸せになる権利はないというのか。今日まで、俺はそれを考えたことはなかった。俺は悲しい。それが悔しい。
ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星はいずれにせよ、おしまいだったんだ。
地球の人も、ガミラスの人も幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった…」
古代進は「宇宙戦艦ヤマト・パート1」でのガミラス星までの旅程のなかで、閉ざした心から他者への共感を徐々に育んでいった。その到達点として、先のセリフがある。
うわべの反戦うんぬんではなく、自分に他者の視点が欠落していたという彼の痛切な悔いこそ注目すべきだろう。
そして、彼のセリフは「落ちこぼれ」という現象が生まれ始めた当時の時代を背景に考えると、その言わんとするところは明瞭となる。
頁224
「宇宙戦艦ヤマト」は、古代くんが他者への眼差しを持ち、思いやりの心を育んでいくことが重要なテーマだったんですね。
正義と悪を単純に区別するのではなく、両方の立場を理解することで、奥の深い演技に結びつけていきましょう。
参考文献
宇宙戦艦ヤマトと70年代ニッポン 社会評論社
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