ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

終戦後の戦闘!満蒙開拓団の壊滅

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昨日のブログでカットした、開拓団と匪賊(ひぞく)との壮絶な「終戦後の戦闘場面」を引用させていただきます。

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【山崎団長は、のめり込むように死を求めた】と【みなが口々に、一緒に死のうと申し出た】の、あいだの部分です。

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突然、団長が苦悶し始めた。誰よりも早く、毒をあおったのである。

しかし——死もまた、この律儀で小心な団長を抱きとってはくれなかった。毒薬の量を誤ったのか、彼は昏睡状態のまま人々に囲まれて一夜を明かした。

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十六日朝、思いきって白城子に向かって出発しよう——と、一同の意見がまとまった。

この日から副団長の足立守三が団長にかわって指揮をとり、全員を六班に編成して、なお昏睡状態を続ける団長はじめ病人や食糧を大車十台に積んで、出発した。

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日が傾くころになって闇が濃くなるころから再び山道にかかり、子供の多い隊の進行は困難をきわめた。

水の音だ!

という声に、誰もが蘇生の思いで足を早めた。携帯した飲料水はとっくに飲み尽くし、喉だけでなく全身が乾ききっていた。
人々は重なり合って手にすくった水を飲み、手拭いを浸してほこりまみれの顔を拭いた。大車の上の病人たちさえ、運ばれた水に生気をとり戻して、数日ぶりの微笑を浮かべる者もあった。

突然、二、三発の小銃の音が起こった。

この音を合図に、匪賊(ひぞく)*1が喚声(かんせい)を上げながら四方から襲いかかってきた。

団の男子は素早く婦女子を囲んで円陣をつくり、小銃で応戦しながら、三人、五人が一団となり、かわるがわる斬りこみを慣行して匪賊を追い払った。

大車を中心に身をよせ合った婦女子は、声もない。

果たして匪賊を防ぎ得るものなのか——。恐怖に心も凍り、やがてその圧迫に耐えかねて服毒した者は苦悶の声を放つ。

服毒者の背をなでる者は、共に死にひきこまれようとする自分を押えるのが精いっぱいで、励ましのことばなどとうてい口に出ない。

足立副団長の娘も、乱闘中に服毒、死亡した。二十三歳であった。

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一時間余りで、乱闘は終わった。

匪賊が逃げ去った後の湧き水のほとりは、嗚咽の声に満ちていた。重症者の中には、戦いの終わった後に自決した者もある。

負傷者の手当をし、八人の遺体を埋め終わったのは、十七日未明であった。 

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8月17日

この日から山崎団長は大車を降り、徒歩で隊列に加わった。
死への逃避に失敗した彼は、わずかに恢復(かいふく)した体力のすべてを再び、団員の世話に注いだ。

負傷者までをかかえた隊列は二千メートルにも伸びて心もとない歩行を続けたが、昼近く、ようやく山地をぬけて洮南県双明子という満人部落にたどりついた。

部落民の親切そうな様子に安心して、ここで休憩したいと申し出ると、彼らはこころよく承諾し、食事の支度まで手伝ってくれた。

団を出発して以来初めて炊きたてのごはんを食べて、子供たちまでが元気づいた。

女たちの中には、早くもこの脱出行に明るい見通しを持ち始めた者もあり、声までがはずんでいた。

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午後二時、一同は十分に腹ごしらえを終わり、飲料水も補給して、再び隊列をととのえている時、ソ連機が一機、低空で彼らの頭上をかすめていった。

遠ざかろうとするその爆音を合図のように、部落の高地から一発の小銃弾が飛んできた。

すでに経験のある団員たちである。男たちはただちに襲撃にそなえて婦女子を麻畑に誘導し、その周囲を固めて匪賊(ひぞく)を迎え撃った。

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小銃を撃ちながら、男たちは敵の数の多いのに改めて驚いた。

とうてい昨夜の比ではない。前後左右から湧き出るように匪賊が現われて厚い人の壁を築いていた。

さらに団員たちを絶望的な気持に駆りたてたのは、たった今まで炊事を手伝うなど好意を示してくれていた部落民までが、兇器を手に匪賊の群に加わっていることであった。

だまされた——

ここに至って、初めて部落民の親切の裏が読めた。匪賊に通報する時間をかせぐため、火をたき、水を汲んでくれたのである。

敵の数はますます増していった。その上、いつの間にか東方の山麓には数台のソ連戦車が停止している。

これも匪賊の行動と無縁ではないように思われた。

逃れられない——。

団の男たち一人一人の顔に、この思いが刻まれていた。

関東軍は総退却と聞いても、この時まで彼らの胸の底にはなお軍を頼る気持が残っていた。

——総退却といっても、戦いながらの退却であろう。どこかで軍隊にめぐりあえば、応召者の家族の多いこの団を、まさか見捨ててゆきはすまい——。

だが、今はそれも空頼みに終わった。

これだけの敵に囲まれて、どう逃れる道があろうか——。

男たちにはもはや恐怖心もないらしく、自暴自棄ともみえる勇猛さで斬りこみが続けられた。

彼らの中には、麻畑の家族の間から抜け出した老人までが加わり、壮者をしのぐ勢いで敵に向かっていた。

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戦う男たちのうしろでは、麻畑にひそむ家族の中から、次々に自決者が出た。

安倍井の妻は、戦って死んだ長男の遺体を麻畑に運び、そのそばで幼い子供と共に喉を突いた。

匪賊の群に斬りこんだ夫が帰らないと知り、幼い子供の首をわが手でしめ、毒を飲んでその上に伏す女がいた。

続々と自決してゆく人々の苦悶の声を聞きながら、男たちにはそれをいたわるすきもなかった。

彼らの中からも死者、重傷者は続出したが、それに数倍する匪賊がなぎ倒されていった。

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午後八時、いくぶん敵勢の衰えが見えた時、辻口、大倉、三木の三団員が強行脱出を決意し、生き残りの婦女子約四百人を集め、引率して夕闇に消えていった。

この一団のあとを追わせまいと、生き残りの男子約二十人は、最後の力をふりしぼって匪賊をくい止めた。多量の小銃弾があることが、せめてもの助けであった。

山崎団長もこの中にいて、団員三人を連れて斜面の暴徒を防いでいた。

肉親との生別、死別、くやしさ、悲しさ、今は何に向けられているともわからない憤怒など、すべての激情をこめた彼らの喚声は疲労にかすれ、無気味に響いた。

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午後九時すぎ、雨が降り出した。

これをきっかけに、匪賊は急に引揚げていった。

今はうめき声も消えた麻畑に、葉を打つ雨の音だけが静かに響いていた。

茂った葉のかげに、あちらにもこちらにも自決者の遺体が固まっていた。山崎団長の妻をとりまいて、団員の家族二十人ほどが円座になって伏し、足立副団長の妻の周囲にも十数人が折り重なっていた。

雨にズブ濡れの山崎団長の周囲に、一人、二人と生き残りの人々が集まった。十三人であった。

安倍井、小松、高橋の三人が「私たちは家族のそばで死にます」と、麻畑の中に消えていった。誰もとめなかった。

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「皆さん」と山崎団長が、意外なほど元気な声でいった。

「死ぬ人は死に、逃げられる人はみな逃げました。もう何も思い残すことはない。山崎はここで死にますから、あとはどうか自由にしてください」

みなが口々に、一緒に死のうと申し出た。

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なんでこんなことになっちゃったんだろう・・・。

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満州各地に散在した開拓団の用地は、どのようにして用意されたのだろうか。

各部落には、土着の満人や移住者である漢民族が、泥で固めた小屋を並べて住みつき、小作、苦力(クーリー)*2として日本人に使われている。

ここはもともと彼らが長年の苦心の末、開墾した土地であったが、日本の開拓団用地に選ばれたため、いや応なしに買い上げられたものである。

日本側はこれを〝合法的〟と称していたが、彼らには〝強制的に二束三文でまき上げられた〟としか思えなかったらしい。

移住者の数も少ない初期には用地についての問題もあまり起こらなかったが、百万戸計画が具体化した昭和十二、三年頃から用地面積も急に拡大され、〝先住民に悪影響を及ぼさざるよう〟考慮してはいられなくなった。

すでに満人が入植し落ち着いて耕作している場所でも、日本側に有利な土地と見れば無理に買収することもたびたびであった。

これが先住の満人、漢民族には非常に侵略的な行為と受けとられた。

また一部の日本人は優越感をあらわに見せて満人を酷使した。

こうして長い年月の間に、満人の胸の底に積っていた日本人への怒りが、敗戦という逆転にあおられて燃え上がり、保護を失った開拓民にぶつけられたのである。

満人の中には、単に相手の弱みにつけこんで利をむさぼろうとする暴民も多かったが、襲われた日本人側に敗戦国民としての経験がなく、十分な警戒心を持たなかったことが被害をいっそう大きくした。

ほとんど全滅した開拓団は十に及び、一部落全滅、十人以上の集団犠牲者を出した開拓団を含めると、その数は百に達する。

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だまされた・・・

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満蒙開拓団の人々は「お国のため軍のため」という言葉にだまされ、親切そうにふるまう満人たちにもだまされてしまったんですね。

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このような悲劇が二度と起きないよう、「こんなことがあったんだ」と知っておくことは大切だと思います。ぜひご一読をおすすめします。

引用
墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅 中公文庫

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www1.odn.ne.jp

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*1:

匪賊(ひぞく)は、「集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。
日本では、特に近代中国における非正規武装集団を指す。

*2:

苦力(クーリー)とは、奴隷制度が廃止された後、低賃金で過酷な労働を強いられた労働者。