演技のヒントと川端文学
察(さっ)してください。
恥ずかしくて口には出せません。だからお願いですから私の気持ちを察してください。
そんな乙女心を、どのように演技で表現するか。いろいろ考えながらお読みください。
夜のさいころ 川端康成
「さいころ頂戴(ちょうだい)。これとおなじの五つ頂戴。」
「五つ?さあ、そこに出てるだけしかありませんよ。二つだね。」
と、店の人がさいころの方へ来た。
「二つ頂戴。」
そこから河岸へ出た。
みち子は早速(さっそく)、岩の上に、さいころを振った。
水田はみち子の手つきを、しばらく見ていてから、
「なにか占ってくれよ。」
「なにを占うの?」
「そうだね。一が出たら、みち子と恋愛しようか。」
「いや、いや、いやよ。」
と、みち子は首を振って笑うと、
「だめ・・・。出そうと思えば、一が出せるんですもの。」
【解説】
いやよ、いやよも好きのうち。ここの「いやよ」は拒絶の意味ではありません。
「いいから、出してくれよ。」
「いやよ。」
みち子ははっきり言ったが、くるっと向き直ってしゃがむと、岩に顔をつけそうにして、岩をふうふう吹いた。砂やほこりを払うのであろう。
そして、生真面目(きまじめ)に岩の肌を撫(な)でまわした。
【解説】
みち子は真剣です。水田のことが好きだから本気で一を出そうとして砂やほこりを払っているんです。
水田のことがきらいなら、てきとうにサイコロを振って「残念。一じゃなかったね」と言えばいいんですからね。
「畳の上でなくちゃ、きっとだめよ。調子がちがうから・・・。」
調子がちがうからという言葉に、水田は笑い出した。
しかし、掌(てのひら)の上にころがす、さいころを見つめるみち子の一心な目つきで、水田も胸がかたくなった。
みち子は呼吸を計って、ぽいと投げた。
「ね!」
と、きらきら光る目で、水田を見上げた。
岩の上のさいころは、二個とも、みごとに一が出ていた。
【解説】
きらきら光る目やったあ。水田さんの彼女になれるぅ。
「ふうん。うまいねえ。」
みち子の全身には、なにか神聖なよろこびがあふれていた。
「うまいねえ。もう一度やってごらん。」
「もう一度・・・?」
みち子はがっかりしたように声を落すと、また指先で、岩の肌をなすりながら、
「もう一度、出るかしら・・・?いやだなあ。」
みち子の薄い耳に、西日が透き通るようだった。
【解説】
からかわれただけ?わたしは本気なのに・・・。
恋するみち子の気持ちは、水田にとどくのでしょうか。
後日談です!
水田はポケットのさいころを投げ出した。
みち子はうつ向きに寝たまま、五つのさいころを、右の掌(てのひら)の上へ、一列に並べた。そして、さいの目をしらべていた。
神聖なものをいただくように、そして、さいころの列の崩(くず)れぬ程度に、掌を水平に動かした。
みち子は掌の動きをだんだん早めたとみるうちに、ぱっと振った。
「ああ!出た!出た!」
と叫んだのは、みち子だった。
みち子は、寝床の上に、飛び起きていた。
五つのさいころは、みんな一が出ていた。
それに気がついて、水田は頭がすっとした。
あの岩の上での水田の言葉を覚えていて、あれからみち子は、どんなに苦心したことだろうか。
一ばかり出たさいころが、美しい花火のように浮かんでいた。
【解説】
みち子の気持ちは、好きな人にとどいたんです。よかったですね。
気持ちを仄(ほの)めかすのが文学の特徴
登場人物の気持ちを、はっきりと示さずに仄(ほの)めかすのが文学の特徴です。
それは日常生活もある意味同じで、「好きだ」とはっきり言葉で言わずに、態度などでそれとなく「好き」という気持ちをにおわせたりしますよね。
読解力は本を読むことでUPするよ。応援しています。
参考文献
ドロドロを予感させる川端文学
母の初恋 川端康成
彼女があっけなくほかの男と結婚してしまったわけは、結局、佐山が民子のからだをうばわなかったからだという原因に突きあたった。
佐山が珠(たま)のように大事にし過ぎていたものを、はたの男が土足で踏み砕いたまでのことである。娘の肉体の盲目の流れを、彼はただ見送るほかはなかった。
佐山は後で悔まれた。
どちらが民子をよけい愛しているとか、どちらが彼女を幸福にするとかは、問題ではない。手荒な方が勝ちなのだった。
しかし民子の結婚生活は幸せではありませんでした。民子は離婚したのち、一人娘の雪子(十六歳)を残して死んでしまうのです。
そんな雪子を佐山は養女として引き取りました。もちろんエッチな気持ちはさらさらありません。佐山には妻子もいたのですが、昔の夫の恋人の娘だと知っていて、妻の時枝も雪子のことをすっかり気に入ったのです。
とってもいい人達です。
そんな清々しい物語が急展開するのは、雪子が十九歳という若さで結婚して新婚旅行から帰ってきて、すぐのことでした。
雪子がほんとうに好きな男性は、佐山だったことを佐山は知ってしまうのです。
雪子のただ一度の愛の告白・・・。
小説のラストは、こうです。
雪子を若杉(雪子の夫)のところへ送りとどけるために、車を走らせているのかどうか、それは佐山自身にも分らなかった。
民子から雪子へと貫いて来た愛の稲妻が、佐山の心にきらめくばかりだった。
この物語はすごい。
1.初恋の人を大切にしすぎたため、他人にうばわれた佐山。
2.その結果、初恋の人は不幸な人生を送ってしまった。
3.その過去を「悔やんで」いるからこそ佐山は雪子を養女として引き取り大切に育てた。
そして雪子は佐山を愛している。作中にもあります通り「手荒な方が勝ち」という経験を佐山はしています。
雪子の幸せを願う佐山は、どのような行動をとるのでしょう?
小説そのものは清純で純粋です。清いままで終わりを迎えます。だけど小説が終わったとたんにドロドロの展開に突入するのではないか、と暗示させる結末になっているのが「母の初恋」です。
小説が終った瞬間、本当の物語がはじまる。そしてその展開は、あなたの想像におまかせします。
さすが川端文学。知れば知るほど、あなどれません
参考文献
「小説は終わったのに、新たな物語を想像してしまう…」それって私の大好きな「古都」(川端康成・著) のラストとおなじです・・・。
川端康成は「未完」の作品が多い作家としても知られています。
Dr.HOUSE と 演技のヒント と デマ
ドクター・ハウスとは
「患者は必ずウソをつく」が口癖の、メチャクチャ偏屈(へんくつ)で口が悪く、おまけに薬物依存症(バイコディン依存)という、一癖(ひとくせ)も二癖(ふたくせ)もある天才医師ハウスが主人公の、コメディ要素も混じったシリアスな海外ドラマです。
「患者はウソをつく」がコンセプト
人は成長するにつれて羞恥心(しゅうちしん)が芽生え、他人には話せない秘密がふえます。
それは病気の原因についてもある意味同じで、「たとえお医者さんといえども、ふだんの生活のみっともない部分は、ちょっと恥ずかしくて話せない…」といった気持ちはふつうに起こります。それが「ドクター・ハウス」の基本コンセプトです。
患者がゴマかすことで病気はどんどん悪化するのですが、そこは何といってもTVドラマ。ハウス先生の天才的な頭脳と診断によって、ほとんどの場合、治療は成功し患者は救われます。(不治の病などで患者が亡くなるエピソードも存在します。)
演技のヒント
「人はウソをつく」これって病院の患者だけではないと思います。
最近、テレビのワイドショーとかツイッターを観ていると、デマ情報があふれて収拾(しゅうしゅう)がつかない状態になっている気がするのは私だけでしょうか。
そんな良心に背くことをして恥ずかしくないのかという意見があります。
その意見は間違ってないと思います。恥ずかしいと感じている人はいるでしょう。
でも、恥ずかしいと思ってない人もいるのかもしれません。
エイプリルフールの心理と同じです。
エイプリルフールで他人をだましても罪の意識は感じません。むしろ快感を覚えます。
デマ情報を流す人たちにとって、自分の嘘で他人がだまされるのを見るのは、エイプリルフールのウソと同じように、楽しくて仕方がないのかもしれません。だけどそれでは「ドクター・ハウス」のように【症状が悪化】してしまう世の中になるのでは、とも思うのです。
まとめ
お芝居で嘘つきの役を演じる場合、おなじウソでも「申し訳ない」と罪の意識を感じながらウソをつく役と、「おおかみがきたぞー」のような快感を覚えながらウソをつく役があるよ。覚えておこうね。
今ちょっと、世の中がめちゃくちゃになっているような気がしませんかだからこそ、Dr.HOUSEのように症状が悪化しない、いい世の中になってほしいですね。それでは、また。
美しさと哀しみと 川端康成
あの家庭を破壊してやりたいんです。先生の復讐のためですわ。
川端康成の小説では「古都」が最高だと思ってましたが・・・ぐいぐい作品世界にひき込まれていく自分を感じてとまどいました。
川端文学は「眠れる美女」がいちばん妖(あや)しいと思ってたけど、それをさらにうわまわる妖艶(ようえん)な美しさに、ただおどろくばかりでした。
妖しい美女 けい子
大木の唇は けい子の唇に重なっていた。
長いせっぷんであった。
大木は息がつまって来て、少し顔をはなした。
「いや、もっと長く・・・。」とけい子が引きよせた。
大木は内心おどろきながら
「海女(あま)だって、そうはもぐっていられないよ。気を失うよ。」
「気を失わせて・・・。」
「わたしのところにいる板見けい子です。顔に似合わない、少し気ちがいさんですわ。」
「あら、先生、ひどいわ。」
「ときどきアブストラクト風な絵も自分流にかきますの。それがこわいほど情熱的で、狂気を帯びているように見えたりするんですけれど、わたしはそんな絵にひきこまれて、うらやましいですわ。描きながら、この人はふるえていたりするんです。」
けい子の美しさは人目をひいた。今がけい子の一生のうちでもっとも美しい時ではないのかと思った。
「けい子さん、わたしのところへはじめて来た時のこと、おぼえてる?」
「いややわ、先生。」
「妖精(ようせい)がはいって来たように思ったわ。」
「京都から板見さんとかいう若い女の方が見えましたよ。」「こわいようにきれいなひとでしたわ。」「こんどは太一郎が誘惑されているんじゃありませんか。妖気(ようき)のあるように、きれいなひとでしたから。」
「先生、あたしは先生の復讐(ふくしゅう)をしてやりたいんです。」
と言うけい子は冷たく落ちついていた。
「けい子さんの復讐というのは、その太一郎さんを誘惑することなの?」
「ねえ、先生、あたしは悪い娘にも、悪魔にもなれる女なんですよ。太一郎さんだって、誘惑することはやさしいですわ、あたし・・・。」
「太一郎さん、けい子に会ってうれしい?」
「うれしいですよ。」
「あたしがうれしいほどうれしいのかしら・・・? あたしがうれしいほどにはうれしくないんでしょうね。」
けい子の言葉につれて、若い女の匂う息がうなじに触れるようであった。
けい子の胸がこころもち太一郎の背に合わさって来るようであった。押しつけて来るのではないが、背と胸のあいだに、すきまのない、やわらかいあたたかさが伝わった。
もうけい子が自分のものという感じが、太一郎のうちにひろがった。異常な娘でもなくなった。美しいだけである。
「あたしがどんなに太一郎さんにお会いしたかったか。」
太一郎はけい子の髪を手のひらいっぱいにやや強くつかんで接吻した。けい子の額や首はにわかに汗ばんで来た。
けい子は素直に長椅子へ来ると、寄りそって腰をおろした。
「飲ませて。」とささやいた。
太一郎は湯呑みを取りあげて、けい子の顔に近づけた。
「お口で・・・。」
太一郎は一息ためらったが、温かい茶を口にふくむと、けい子の唇のあいだに少しずつ流しこんだ。
「もっと・・・。」
太一郎はまた茶をふくんで口移しにした。
「今死んでもいいわ。お茶が毒だったらよかったのに・・・。」
もはやこれは18禁です
「美しさと哀しみと」川端康成の最高傑作だと思います*1が、よいこのみなさんにはおすすめいたしません
美しさと哀しみと あらすじ
あの家庭を破壊してやりたいんです。先生の復讐のためですわ。
上野音子の女弟子、坂見けい子は、その美貌を武器に復讐をはじめます。
官能的な描写のウラには「復讐」の二文字が隠れているんです。
読んでるこっちはハラハラドキドキです。
ところが先生である上野音子は、復讐をのぞんではいませんでした。復讐をやめなければ、もうわたしのところにもどらなくていい、つまり「破門します」とけい子に宣言するのです。
けい子と先生の上野音子はレズビアンの間柄(あいだがら)でした。けい子は先生を心の底から愛していたのです。
そんな先生の制止の言葉も聞かず、けい子は出て行きます。
けい子は太一郎にすべてを話します。復讐のこと、あたしの復讐はもう終わったこと、もう帰ってこなくていいと上野先生に言われたことを。
けい子は復讐から純愛に転じたのか、それともこれも復讐をとげるための けい子の罠(ワナ)なのか?
そしてついに・・・
背徳の匂い満載です。グイグイひき込まれます。さすが川端文学です。18歳以上のみなさまに、文句なしにおすすめします。
美魔女は、あたしよ!
読書の秋
おすすめの本
「古都」 川端康成
「破戒」 島崎藤村
「1984年」 ジョージ・オーウェル
「件」 内田百閒
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」 フィリップ・K・ディック
「蟻の自由」 古山高麗雄
「裸の王様」その後は?
裸の王様
「なんにも着てやしない」一人の子供が言いました。
「なんにも着ていらっしゃらない!」とうとうしまいに、ひとり残らずこう叫びました。
これには皇帝もお困りになりました。
けれども、「いまさら行列をやめるわけにはいかんわい。」とお考えになりました。
そこで、なおさらもったいぶってお歩きになりました。
そして、侍従たちは、ありもしない裳裾(もすそ)をささげて進みましたとさ。
完訳アンデルセン童話集(一)「皇帝の新しい着物」より 岩波文庫
裸の王様は、この後どうなったのかな。ずっと王様でいたのかな。
裸で歩いたくらい、ゆるしてあげなよ。かわいい王様だと思うよ。
サギ師のウソにころっとダマされて、しかも自分がまちがっていたことを認めようとしない人が国のトップでいいのかな。
もしかすると次は、敵のスパイや 心無い人の口車に乗せられて国が大変なことになっちゃうかもしれないね。