ネット検索の注意点
一昨日(おととい)のブログ「ネット検索の達人!」の続きだよ。
調べるってなかなか大変ですよね。
学生とかに、レポートを書くために「調べ学習」しましょう、という授業も多いと思うんです。
ところがね、ネット上で調べるとロクでもない情報とかが出てくることってザラにあるわけですよ。
で、だから研究者向けには、通常の検索エンジンで調べるのではなくて、研究者向けのプラットフォーム *1 があるから、そこで論文検索などをしましょうね、ということを伝えるわけですよ。
でも、今度は、その研究者向けの論文検索サイトでも、いくつかの「紀要論文(きようろんぶん)」*2といって、大学とか、それぞれが独自に発行している「査読」要は誰かのチェックがない論文が載るものもあれば、雑誌なども検索の結果に出てくるんで、
となると、雑誌に載ってるからって、いいものとは限らないじゃないですか。
新聞検索もそうですよね。
同じ、たとえば事実についても歴史認識にしても、新聞によって書いてることが真逆だったりする。
真逆だから、じゃあここは対立してるんだな、と思っちゃうと、そこを「対立している」と思ってる時点で、まんまと何かの「加担」になってしまうということも、あるわけですよね。
じゃあ難しいねって話で終わらせてはいけないわけですよ。
難しいねって思って、考えない段階で、また何かへの加担になるということで、その背景も含めてですね、今日はひとつのキーワードを特集で取りあげたいと思います。
要は「情報に踊らされちゃいけないよ。思考停止しないで考え続けよう」ということなんでしょうね。勉強になります。
ゴジラと川端康成とプロメテの火
伊福部昭とは
川端康成「舞姫」に伊福部昭の名前が出てきたんでビックリしました。
引用させていただきますね。
舞姫 川端康成
波子は二日つづけて、帝劇へ行くことになる。
今日は、江口隆哉、宮操子の公演の第一夜で、舞踊家たちや、舞踊批評家、音楽記者など、招待客のうちには、波子の知り人も、少くないだろう
前に短い踊りがあって、「プロメテの火」は、第三部だった。*1
菊岡久利(きくおかくり)作、伊福部昭(いふくべあきら)作曲で、東宝交響楽団の演奏だった。
ギリシャ神話のプロメテを、四景に描いた、舞踊劇だが、プロロオグの郡舞から、古典バレエとのちがいに、品子は目をひかれた。
「あら。スカアトがつながっているわ。」
と、品子はおどろいて言った。
十人ばかりの女が、プロロオグを踊る。その女たちのスカアトが、つながっているのだった。
一つのスカアトのなかに、幾人もの女がはいって、踊るのだった。
生きた波をひるがえしながら、横にも、ひろがったり、すぼんだりして、暗い色のスカアトは、なにか象徴的な前奏に見えた。
そして、第一景は、火を持たない人間の、暗黒の郡舞、第二景では、プロメテが枯れあしで、太陽の火を盗む踊り、その火を与えられた、人間の歓喜の群舞が、第三景であった。
火を盗んで、人間に与えたプロメテは、終りの第四景で、コオカサスの山上の、岩にしばられている。
第三景の火の踊りが、この舞踊劇の盛りあがる、山であった。
暗い舞台の正面に、プロメテの火が、赤く燃えている。その火が、人間の手から手へうつされてゆく。
火を与えられた人間の群が、やがて舞台にあふれて、火の歓喜を踊る。
五六十人の女に、男も加わって、手に手に、燃える火をかざして踊り、その焔(ほのお)の色で、舞台も明るくなった。
波子も品子も、舞台の火が、自分の胸にも、燃えひろがるように感じた。
いしょうはみな地味だから、薄暗い舞台では、裸の手と脚との動きが、なまなましく生きた。
この神話の踊りの、火はなにを意味するのだろうか。プロメテはなにを意味するのだろうか。
終った後で、品子は頭に残る、踊りを追いながら、そう考えてみると、どのような意味にも、考えられそうに思えた。
「人間の火の踊りがあって、もう次の場で、プロメテが、山の岩にしばられているのね。」
と、品子は波子に言った。
「黒わしに、肉や肝を食われて・・・。」
「そうね。四景とした構成も、よかったわね。場面から場面の移りが、はっきりと印象的でしょう。」
二人はゆっくりと出た。
四人の女学生が、品子を待っていた。
「あら。来ていたの?」
と、品子は少女たちを見て、
「さがしてはみたのよ。見つからないから、帰ってくれたんだと思ったのに・・・。」
「三階にいたんです。」
「そう?おもしろかった?」
「ええ。よかったわね?」
と、一人の少女は、つれの少女に問いかけながら、
「でも、気味が悪いようで、こわいところもあったわね?」
「そう?早くお帰りなさい。」
かなり詳細な描写です。
ウィキペディアによると、「プロメテの火」の初演は、1950年12月11日、12日、帝国劇場、江口隆哉・宮操子舞踊団公演。 とあります。
おそらく川端康成は、今日は、江口隆哉、宮操子の公演の第一夜と小説の文章にもあるように、「プロメテの火」の初日を観劇したんでしょうね。
ゴジラマーチ原曲について
「舞姫」は昭和26年に、「ゴジラ」は昭和29年に発表されました。
伊福部昭は、まだこのとき「ゴジラ」を作曲していませんでした。
が、
ゴジラマーチとそっくりな音楽が、昭和23年に伊福部昭の作曲で発表されています。
プロメテの火 と プロメテウスの火
ギリシャ神話は、著作権がフリーで自由に脚色することが可能です。
「プロメテの火」とギリシャ神話「プロメテウスの火」のストーリーは、かなり違っていますが、
どうやら「プロメテの火」には、ヘラの嫉妬で、牝牛の姿に変えられた「イオのエピソード」が盛り込まれているようです。
舞踊劇 プロメテの火 あらすじ
コオカサスの山上の、岩にしばられた、プロメテである。
荒わしに、肉や肝をついばまれ、風に打たれ、雪にさらされている。
山のふもとを、白い女牛(めうし)が通る。
大神の妃(きさき)ジュノオのしっとで、美しい乙女のアイオが、このような姿に変えられた、女牛である。
プロメテは、アイオの女牛に言う。
南に行き、さらに遠い西、ナイル河のほとりに出よ。
そこで、女牛は乙女の姿にかえり、国王の妃となり、その血筋から、勇士ハアキュリイズが生まれて、プロメテの鎖を、たち切るであろう。
女牛のアイオは、宮操子が踊った。
女牛に変えられたアイオとは「イオ」【デジタル大辞泉】より
大神の妃ジュノオとは、ゼウスの妻「ヘラ」【Weblio英和辞書】より
勇士ハアキュリイズは「ヘラクレス」です。【デジタル大辞泉】より
イオとは、どんな女性?
ギリシャ神話で、ゼウスの妻ヘラに仕えた美しい女官です。
ゼウスの愛人でゼウスに愛されますが、ヘラに浮気がばれそうになったゼウスは、イオを牝牛に変えてごまかそうとします。
が、
ヘラはごまかせません。
ヘラのおくった虻(アブ)に追われ、刺されまくった牝牛のイオは、世界中を逃げ回り、最後にエジプトで人間の姿にもどされるのです。
~デジタル大辞泉の解説より~
以前のブログ「パンドラの箱とプロメテウスの火」に新たな見解が加わりました。すごくうれしいです。
いろいろ深掘りすると楽しいです。それでは、また
ネット検索の達人!
TBSラジオ『荻上チキ・Session』で「ネット検索の方法」について語られていました。
勉強になります。
みんな調べものをしてると思うんです。
どんなもので何を調べるかには、それぞれ特徴があると思うんですけど
僕はわりと論文とか資料を調べることが多いので
「国会図書館のサイト」に行く、それで調べる。
ウェブの検索だと「Google Scholarグーグルスカラー」という論文検索サイトがあるので、それを使ったり、
日本語だと「Ciniiサイニィ」とか「J-STAGE ジェイ・ステージ」など論文を検索できるサイトがあるので、そうしたもので検索して
適切な用語が論文の中でどう説明されているか、とか、
あるいは特定の実態がどこまでわかっているのか、ということを調べるんですよ。
あと、人々がどう反応してるのかな、というときには
SNSとかブックマークサイトなどを検索して、みんながどういうクリッピング、どういうふうに情報を報道したり反応してるのかな、ということを見たりしています。
いままでの私は「図書館で本を借りまくる。(自分では買わない)」「ひたすらググる」などの方法で知識を増やしてきました。
そんな私に新たな方法が加わったことをうれしく思います。
ただ、未(いま)だにスマホも満足に使えないおっさんに、新たなネット検索を使いこなせるのか、検索して得た貴重な論文や情報を果たして理解できるのか、という不安はぬぐえません。
まぁ、あんまり難しく考えずに、「こんな方法もあるんだ」と知った、そのことを素直に喜んで、ゆる~く頑張っていこうと思っている次第です。
ストーカーのお話
前回のブログでちょっとだけ触れた「人間のなか」についての考察です。
人間のなか 川端康成
「人間のなか」はストーカーの話であり不倫の話です。
しかもストーカー行為を働くのは、女性である桃代です。
川端文学には、「みずうみ」(←完全なストーカー小説)や「伊豆の踊子」「処女作の祟り」のように、現代の感覚ではストーカーだと思われても仕方ないよね、という作品群がありますが、
「人間のなか」は、女性目線のストーカー行為を描いた男女の視点を逆転させたお話なんです。
あらすじ
「志村さん、あたしを轢(ひ)き殺せばよかったのに・・・。」
「あぶなかったね、ほんとに・・・。あんなあぶないことをする人もいるなんてね。」と志村は桃代の髪をやさしくなでた。
「命がけだもの。」と桃代は言った。「轢き殺されるか、抱いてもらえるか、あたしはどちらでもよかったの。」
——冬の夜霧の河岸道を走る志村の車の前に、女の姿が不意に浮き出た。あっと志村は目をつぶった。どうして車をとめ、どうして車を河の方へ避けたか、志村はわからなかった。
轢いた手ごたえはなかったが、女をはねたと思った。
志村は車をおりた。
女が道に倒れていた。女は失神しているようだった。
「あっ。三崎さんの奥さんじゃありませんか。」
車の前の明りで顔が見えた。志村はおどろいて、桃代をゆさぶった。
「ああっ。」と目をひらいて、桃代は志村を見つめた。
「志村さんね。志村さん・・・。」
「あぶなかった。ぶっつけませんでしたか。」
志村は桃代を車にかかえ入れながら、
「奥さん、どうしてこんなところに・・・?」
「志村さんの車を待っていたの。」
「なんですって?」
「この河岸を通ってお帰りになるの、わかっていますから。」
「医者へ行きましょう。」と志村は言った。
「医者はいやよ。医者はいや。あたし、どこもなんともないのよ。」
「それじゃ、お宅へお送りします。」
「いや、いや、うちはいやよ。志村さんの車を待ってたんじゃないの。」
「落ちついてください。」
「落ちつかせて・・・。どこかで少し休ませて・・・。」
志村は河岸から町にはいると、小さい旅館を見つけて、車をとめた。
「ああっ、志村さんをつかまえたわ。」
「僕を誘惑するのに、あんな危険をおかしたんですね?」
待ち伏せて車の前に飛び出すなんて
センセーショナルです、劇的です。
愛する男を盲目的に追いかけて来る女の映像が目に浮かびます。
霧のたちこめる夜の道で、ヘッドライトの光の陰で見えにくくなっているであろうナンバープレートを瞬時に読みとり、「志村の車だ」と判断して飛び出すのは現実的に不可能・・・というツッコミは厳禁です。
「あたし、心もからだも、よごれているのよ。」
「このなかになにがいるのか、僕は見たいね。見せてほしいね。」
志村は桃代をむきだして、「こんなきれいなからだが、どうして、よごれていると思うんだろう。」
桃代をむきだして、とは「桃代を裸にして」という意味です。
「見ないでちょうだい。あたしのなかにいる、なにが出て来るかわからないから・・・。」
「いいよ、なにが出ても・・・。なかにいるやつを、みんな追い出そうよ。鬼でも魔でも、みみずでも、とかげでもね。」
思いっきり乱れても大丈夫だよ、という意味かニャ・・・。
志村はやさしく静かに言った。
「どうしてこんなものつけてるの。」
「女だから・・・。」
「ふしぎだねえ。」
おっぱいのことです。
川端康成は、とてもきれいな文章を書くので、さらっと読むだけならなんともありません。
が、
よく読むと、とんでもない内容が隠されている小説家ですね。
追加
おっぱいってふしぎです・・・。
行動する女性と川端文学
「美しさと哀しみと」(板見けい子)「女であること」(さかえ)のように、川端文学には「行動する女性」が描かれています。
それは、美しくて、勝気で、強情で、喧嘩好きで、利口で、浮気で、移り気で、敏感で、鋭利で、活発で、自由で、新鮮な、「丙午(ひのえうま)の娘」に川端康成が心を惹(ひ)かれていたことと無縁ではないでしょう。
行動する女性が登場する作品は、現代でこそめずらしくなくなりましたが、ちょっと前まではそうではありませんでした。
小説は時代によって見え方が変わる?
そう考えると「女はおとなしくしているのが当たり前」だった川端康成が生きていた時代と、現代の感覚では、川端文学から見えてくる世界は違って見えるのかもしれないね。
とはいっても
川端文学に登場する「行動する女性」は、けっこうとんでもない行動を起こすケースが多い印象があります。
「美しさと哀しみと」の板見けい子は、復讐と殺人。
「女であること」のさかえは、尊敬する市子の旦那さんを誘惑しようとするし、「人間のなか」の三崎桃代は、ストーカーと浮気。
「出世人形」の美佐子に至っては、売れっ子女優となった現在、ゴシップを警戒し、策略をめぐらして男をホテルに誘う狡猾な女です。
もちろん川端文学には「古都」の佐田千重子のように、しっかりとした貞淑な女性も多く登場します。「性格のふり幅」が大きいんですね。
昔はめずらしかった「行動する女性」を描いた川端文学。川端康成は時代を先取りした作家だったともいえるかもしれませんね。
クイズ・リーダーを選べ
映画評論家の町山智浩さんが、たまむすびで出題した「歴史クイズ」がメッチャおもしろかったので、皆さんにも紹介します。
あなたは、誰に国のリーダーになってほしいですか?
あなたは1940年代の有権者だと思って下さい。
あなたはこれから国のリーダーを選ぶのですが、どの人に投票したいですか。(※)3人とも歴史上の有名な実在した政治家です。
1.お酒(マティーニ)が好きで、いつも酔っぱらっていて、女好きで、浮気していて、非常にハイテンションな男。
2.完全にアルコール中毒で、夜寝るときは、シャンパンやウォッカなど何から何まで飲むのですが、それでも眠れなくて、睡眠薬を飲んでいる。しかもヘビースモーカーで、体を壊してもいい、という感じで葉巻ばかり吸っている男。
3.酒もタバコもやらない。女性関係もきれい。しかも子どもや動物を愛している、とても礼儀正しい男。
さあ、この3人のうち誰を国のリーダーとして選びますか。
因(ちな)みに、このクイズには「正解」はありません。あなただったら誰を選ぶのか、そして1940年代の人びとは実際に誰を選んだのかが分かるというクイズです。
1番目の人物は
フランクリン・ローズヴェルト
その当時の、第二次世界大戦でアメリカを勝利に導いた大統領です。
2番目の人物は
第二次世界大戦でイギリスを勝利に導いた首相です。
3番目の人物は
ナチスドイツの総統ですね。
ヒトラーが健康オタクだったのは有名です。
ヒトラーは生涯独身で、心を許した女性はエヴァ・ブラウンのみだったと云われています。
またヒトラーは子供好きであることを宣伝などで大々的にアピールし、ヒトラーユーゲント (入隊資格は14歳から18歳までの男子。女子グループは「ドイツ少女団」と呼ばれ10歳〜21歳の女子が入隊した) も作りました。
子どものころからナチスに忠誠を誓わせて
「いい人だよ」と国民にアピールして権力を握る・・・いろいろ考えさせるものがありますね。
平和ないい世の中になってほしいです。それでは、また。