チェーホフは恐ろしい?
きのうのブログ「三人姉妹」の続きだよ。
チェーホフの「三人姉妹」について、マイズナーが語っている。「チェーホフは恐ろしい!彼はすばらしい。だけど、とても難しい」
チェーホフは難しい
「チェーホフの人物は、感じていることをいつも隠していませんか。彼らは感じているけど、隠そうとしています。」
「ああ、チェーホフか!大きな問題だ。
『三人姉妹』はマーシャの場面から始まる。三人姉妹の二女、死ぬほど退屈している。彼女のせりふが始まる。『父は一年前の今日死んだわ』メランコリーでいっぱいだ。しかし、彼女は――。彼女は、ある種の気分の中で過去を語る。
それから、マーシャの夫、学校の教師で退屈な人物が入ってくる。彼は彼女を迎えにくるが、彼女は彼を嫌っており、すぐに家に帰るといって追い払ってしまう。それから、ヴェルシーニンが入ってきて、彼の人柄で家族みんなを魅了してしまう。
しばらくたって、マーシャが――彼女はそれまで一言もしゃべらなかった――突然、宣言をする。『昼食を取って行くわ』さて、なぜそんなことをするんだろう?」
「教えてください。」
「彼女はヴェルシーニンに、恋いこがれているんだ。しかし、彼には一言も話さない。一方、彼は彼女が部屋にいることにはほとんど気づかない。」
「そうすると、マーシャを演じる女優は、彼女が彼に恋していることを、他の人たちから隠そうとするんですか。」
「彼がそこにいることが、彼女を変える。彼は彼女に霊感を与えることをいう。あるいは、彼女は彼のことをセクシーだと思う。それはだれにも分からない。大事なことは、それは典型的なチェーホフで、感情は全く内面にある。彼女は何もしないだろう?」
「『昼食を取って行くわ』というまでは。」
「そこまでだ。しかし、彼女は不満をいいながら、芝居を始める。『家に帰らなくちゃいけない。なんてことなの!』彼女の中の大きな変化は、全く内面的なものだ。
『桜の園』の最後で、ラネエフスカヤ夫人は、桜の木を切り倒している男にいう。『さようなら!』これは桜にだけれど、最後の時代になるのかもしれない!チェーホフは恐ろしい!」
「なぜですか」レイがたずねた。
「とても謎めいているからだ。」
「恐ろしくない作家は?」
「チェーホフだ。だけど、とても難しい。こんなせりふがある。『イワン、市場でトマトを一ポンド買ってきておくれ』そして、ト書きに書いてある。『彼女は、わっと泣き出す』」クラスが笑った。
「そうだ。彼はすばらしい。それは間違いない。だけど、とても難しい。」
「チェーホフは、とても難しい」
これを裏づける逸話が、新潮文庫の「桜の園・三人姉妹」の解説にあるぞ。
『三人姉妹』については、愉快な逸話がある。
これはチェーホフの妻となった女優オリガ・クニッペルの伝える思い出ばなしであるが、チェーホフが上京して来て、はじめて『三人姉妹』の原稿を朗読した時、それを聞いた芸術座の面々が、
「これは戯曲じゃなくて梗概(こうがい)だ、これじゃ演技できない、役柄がない、ヒントだけだ」と、口々につぶやいたという。
この原稿は、今日われわれの読む戯曲のひとつ前の形の戯曲らしいが、これだけの内容を持つ戯曲を、当時の役者が戯曲として聞くことができなかった。
舞台上の所作がただちに役者の頭に浮かばなかったという点が面白い。
よく世間では、チェーホフの劇を静劇と言って、彼の戯曲には事件がない、事件が起るのは舞台の外だなどと指摘するが、『三人姉妹』はそうしたいわゆるチェーホフ的な静劇一そう徹底した形で書かれていたのである。
演劇の革命
なぜチェーホフは恐ろしいのか。それは、それ以前の戯曲では「セリフを読めば」登場人物がどんな行動をしているかがわかったんだ。
それが、ちょうどこのあたりから「セリフを読んだだけでは人物の行動がわからなくなった」んだ。
演劇に革命が起こったんだ。チェーホフ以外の人物ではイプセンが有名だぞ。
このつづきは明日のブログで。
参考文献
サンフォード・マイズナー・オン・アクティング ネイバーフッド・プレイハウス演劇学校の1年間 而立書房