フランケンから戦争・法律・政府を考える
「フランケンシュタイン」は、怪物が出て来るだけの娯楽怪奇小説ではありません。けっこうすごいことが書いてあります。
原作者、メアリー・シェリーの教養の高さがうかがえますね。
フェリックスがサフィーを教えるのに使っていたのは、ヴォルネの『諸帝国の滅亡』*1 だった。
フェリックスが読みあげながら、細かい解説を付けくわえてくれなければ、この本の内容を理解することなど、おれにはできなかったと思う。
この本のおかげで、おれは大雑把なものではあったが、歴史のあらましを知り、今の世界にはいくつか、帝国というものが存在していることを知った。
さらにこの地上にはさまざまな国があることを知り、各国の風俗や政治の形態や宗教についても理解できるようになった。
初期ローマ人は戦争に明け暮れながらもすばらしい美徳を有していたのに、その後徐々に堕落していって、ついには強大な帝国が没落したこと、騎士道やキリスト教や諸国の王たちのことも知った。
アメリカ大陸のある半球が発見された話を聞いたときには、そこにもともと暮していた人間たちに待ち受けていた非常な運命を思い、サフィーと共に涙を流したものだ。
こうした驚くべき話を聞くうちに、おれはどうにも解(げ)せないと思うようになった。
人間というものは、それほど強くて高潔ですばらしい者でありながら、同時にそれほどまでに悪辣(あくらつ)で卑怯(ひきょう)な存在なのか?
あるときは悪の原理の手先としか思えないのに、あるときは神のごとく高貴な存在とも映る。
偉大にして高潔な人となることは、感性を持って生れてきた生き物には最高の栄誉であるなら、多くの記録に残されているような、悪辣にして卑怯な姿は最低の堕落でしかなく、光を知らないモグラや害にも益にもならない虫けらにも劣るものだということだ。
長いこと考えても、どうしてもわからなかったのが、人間はどうしてわざわざ仲間を殺しにいくのか、ということだ。
それに法律や政府というものが、なぜなくてはならないのか、それも理解できなかった。
だが、人間の悪行や血なまぐさい出来事が詳しく語られるのを聞くと、その理由を問う気持ちは失(う)せ、すさまじい嫌悪感(けんおかん)に襲われるのだ。ただもう胸が悪くなって、思わず顔をそむけたくなるのだ。
人間というものが為(な)す社会生活を知ったことで、彼らの美徳は讃(たた)えるが、悪徳に対しては非を唱えるべきだと思うようになった。
あのころは、まだ犯罪などというものは、自分には縁遠い悪行だと思っていた。日々眼にするものが、善意と寛容の表われだったからでもある。
人間の持つすぐれた資質がこれほど多く、入れ替わり立ち替わりに登場し、さまざまな場面を展開する舞台に、おれもひとりの演技者として立ちたいものだ、との思いが掻(か)きたてられた。
美徳に対する激しい憧(あこが)れと悪徳を憎む気持ちが心に湧きあがってきたが、それでも、こうした感情に導かれて、おれは平和を愛する立法者たちを敬愛するようになった。
人間はどうしてわざわざ仲間を殺しにいくのか
これは戦争のことを言っているんだと思います。
わたしなりの考えを述べさせていただきますと、もともとは肥沃(ひよく)で豊かな土地を確保して、食料を増やすことが目的だったのでしょう。
それに金銀財宝などの宝飾品。
さらに、奴隷を持つことで、自分たちは遊んで暮らせますからね。
法律や政府というものが、なぜなくてはならないのか
効率がいいからです。
各自がバラバラに行動するより、優秀なリーダーのもと、役割を分担して行動した方が生産性はアップします。
また法律がないと
上に立つ者の「好きキライ」でひいきされて、好きな人は無罪、キライな人は重罪などと差別される可能性があります。
さらに、好きという感情は時間とともに変化します。大恋愛で結婚したカップルが何年か後に離婚したなんてのは、好きという感情が変化したからです。
そうなると、いつまでも好きでいてもらうために、上の人に忖度(そんたく)する人たちばかりの世の中になってしまうことも考えられます。
だからこそ、好き嫌いなどの感情に左右されない、きちんとした基準である「法律」が必要とされたんですね。
わたしは、かわいそうな怪物には共感しますが、それ以外の登場人物——特に主人公のフランケンシュタイン博士——が好きになれなかったのと、ストーリー展開が少し安易に感じられたのが残念です。いろんなことを考えさせられた小説でした。*2
吾輩の感想
「見た目だけで人を判断して、相手の言うことをまったく信用しないとこうなるよ」といった反面教師的な小説かニャ。
参考文献
フランケンシュタイン 新潮文庫
風景描写
昔の小説には各国の気候風土・街並み・人々の暮らしなど「旅行記のような風景描写」が盛り込まれているケースがあります。
旅行がしたくても、現在のように交通機関が発達していなかった時代の人びとに、旅行気分を味わって喜んでもらうためです。
「フランケンシュタイン」にもそのような傾向が見受けられました。
物語の中盤、フランケンシュタイン博士が自身の創造した怪物と再会する、アルプスの山々と氷河の描写。
それと怪物のフィアンセを製作するためイングランドへ旅立った博士が、イングランド到着後、すぐに実験に取りかからず、イングランド各地を転々と旅する描写などがそれに当たりますね。
*1:
十八世紀フランスの思想家、ド・ヴォルネの著書。1791年に刊行、歴史の概説書として当時は愛読された
*2:
ご存じの方も多いと思いますが、フランケンシュタインとは「主人公の博士の名前」です。博士が生み出した“怪物”に名前はありません。