ヒトラーの戦略は、今でも通用する?
1939年9月1日、ドイツがポーランドに宣戦布告した。
イギリスとフランスは、ポーランドとの条約により、ドイツに宣戦布告することを余儀なくされた。
戦争初期、ヒトラーは、ポーランドに対しては戦車や爆弾を使って攻撃したが、フランスとイギリスに対しては、そうした攻撃をせずに、まずは心理戦を仕掛けた。
そしてこの心理戦が道を開き、ドイツ軍が勝利を重ねることになるのである。
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フランスとイギリスはどちらも、ポーランドの次は自分たちが攻撃される番だと考えていたが、ドイツにとっては、長い国境を接するフランスの方が攻撃しやすかった。
ヒトラーは攻撃開始に先立ち、フランスに向けてラジオ番組を放送している。
それは娯楽番組や音楽番組を装っており、ドイツが雇った生粋(きっすい)のフランス人がアナウンサーを務めていたため、フランス国民の中には、ドイツが流している番組だと気づかずに、ラジオのダイヤルを合わせる者もいた。
番組にはプロパガンダが織り込まれていたが、そのことを知らない聴取者も少なくなかった。
アナウンサーは、ドイツ軍の方が強くて優勢だと不安げに話し、フランスはドイツ軍の攻撃に耐えられないだろうと予測した。
このようなラジオ番組を聴いたフランス国民は、たちまちフランスの勝利を疑うようになった。
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行動する前に、あきらめさせる。
ヒトラーの心理戦にまんまと嵌(はま)ったフランスは、あっさりナチス・ドイツに降伏してしまいました。
このヒトラーの戦略、今でも十分使えると思います。
たとえば
「選挙で投票しても、何も変わらないよ」
「一票くらい、投票してもしなくても同じだよ」
「どこに投票すればいいか分からないの?それなら白票を投じればいいんだよ」とか・・・。(白票は、投票しても無駄になります。わざわざ選挙に行って投票した意味がなくなるんです)
他にもいろいろ応用できそうですね。
いやはや、ヒトラーってホント凄いね。頭いいよ。
選挙に行って、どの政党や候補者でもいいから投票しましょう。
【追記】
「大竹まこと ゴールデンラジオ!」でも、毎日新聞に掲載された、同じような問題を取り上げていました。
学習性無力感からの脱却
私が投票に行っても行かなくても、何も変わらない…。
日本社会に漂うこの無力感は、選挙という民主主義の根幹を蝕(むしば)む危険な伝染力がある。
この感覚の正体は、何なのか。
そう考えて「学習性無力感」という言葉を思い起こした。
この言葉は、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンが、1967年に発表した概念です。
抵抗することも逃げることもできないストレスや抑圧を繰り返し経験すると、「自分は無力だ」と学習してしまって、逃れようとする努力すらせず、無気力になってしまうという。
この無気力は、クセになりやすい。
専門家の意見
「社会は変えられる」と思うだけでいいんです。
「社会は変えられる」
それは、投票所に行くことから始まるんですよ。
いろいろ考え続けていきたいです。
「戦地の図書館」に話を戻します。
この時期、特派員としてフランスに駐在していた<シカゴ・トリビューン>の記者エドモンド・テイラーは、ヒトラーが巧妙に仕組んだプロパガンダ作戦によって、フランス国民が戦意を失っていく様を目の当たりにしている。
ドイツが仕掛けた心理戦は、「フランス国民に恐怖心を植え付けた。不条理な恐怖が、恐るべき癌のように広がり、他のあらゆる感情を飲み込んでしまった・・・人々は、恐怖心を制御できなかった」。
フランス国民はすっかり自信を失い、例えば、空襲警報のサイレンのテストが実施されただけでもパニックに陥るという有様だった。
ドイツが侵攻をほのめかすと、もはやこれまでと諦める者が増えていった。
フランス政府はしばらくしてから、対抗策として、自由を守ろうと国民に呼びかけているが、襲来するハリケーンに、一本の傘を開いて対抗しようとしたようなものだった。
ドイツ軍が侵攻すると、フランスは六週間で降伏した。
ヒトラーは、初めに敵の戦意をくじいてから侵撃するという手を使い、フランスを初めポーランド、フィンランド、デンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクを一年のうちに打ち負かしている。
その結果、自由な生活を送っていた二億三千万人以上のヨーロッパ人が、ナチスの支配下に入ることになるのである。
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アメリカから学ぼう
アメリカも、ドイツ軍が遠く離れた場所にいるからといって安心してはいられなかった。ヒトラーの思想は、アメリカにも簡単に入り込み得る、ということが明らかになってきたからだ。
ヒトラーは、フランスに軍隊を送る前、ラジオを用いてフランス国民の心を攻略した。
それと同様に、アメリカが参戦を考えるようになるずっと以前から、ラジオを利用してアメリカ国民の心を攻略しようとしていた。
1930年代から1940年代にかけて製造されたラジオ受信機は一般に、国際放送に利用される短波を受信できた。
ドイツは日本の協力の下、毎日十八時間、北アメリカに向けてラジオ番組を放送していた。
ドイツは、アメリカに対する心理戦を秘かに始めていたのである。
もしもアメリカ国民が、フランス国民と同じように意気阻喪(いきそそう)すれば、赤子の手をひねるように、アメリカを打ち負かせるからだ。
より効果的なプロパガンダを行うために、ドイツの役人がドイツ在住のアメリカ人を探し出し、アナウンサーとして雇い入れた。
彼らはアメリカ英語のアクセントで話すため、ドイツへの忠誠心を感じさせなかった。
アナウンサーになると、ドイツ国民にのみ支給されていた配給切符の支給を受けられたし、日々不穏さを増すドイツで保護してもらえるという利点もあったので、数人のアメリカ人が、帝国放送のアナウンサーになっている。
初期のアメリカ人アナウンサーは、アイオワ州出身のフレデリック・ウィリアム・カルテンバッハ、イリノイ州出身のエドワード・レオ・ディレイニーなどである。
帝国放送は後に、アクシス(枢軸)・サリーという名で知られる悪名高きミルドレッド・ギラースを使って、大々的にプロパガンダ攻勢を仕掛けている。
しかし、アメリカに対するプロパガンダ作戦は効果を発揮しなかった。アメリカの報道機関が、ドイツのラジオ番組の実態を易々(やすやす)と暴いたからだ。
<ニューヨーク・タイムズ>によると、ドイツのラジオ番組は、アメリカの典型的なラジオ番組の構成をそっくり真似ていた。まず、アナウンサーがニュースを読み、それから音楽とドラマを流すのだ。
<ニューヨーク・タイムズ>は次のように伝えている。
「アメリカのラジオ局は、番組の途中で石鹸や朝食用シリアルの宣伝をするが、ドイツは自分たちの思想を宣伝している」
アメリカでは、ドイツによるプロパガンダ作戦を報じるだけでなく、それに対抗する動きも現れた。
フランスがあえなく敗れたのは、ドイツのプロパガンダ作戦が功を奏したからだった。そこで、プロパガンダに立ち向かおうと幾つかの組織が立ち上がった。
その組織のひとつが、アメリカ図書館協会(ALA)である。
図書館員には、ヒトラーがアメリカに仕掛けてきた思想戦で、ヒトラーの勝利を阻止する責務がある、とアメリカ図書館協会は考えていた。
彼らは、図書館の書架から書籍を取り除きたくはなかった。書籍が燃やされる光景を見たくもなかった。アメリカが参戦していないからといって、行動を起こさず、ただ手をこまねいているつもりもなかった。
1941年1月のアメリカ図書館協会の刊行物には、こう記されている。
「ヒトラーの目的は、思想を弾圧することである・・・ドイツと直接砲火を交えていない国々においても、それを行おうとしている」
1940年の終わりから1941年初めにかけて、アメリカの図書館員は、ドイツによる目に見えない攻撃からアメリカの思想を守る方法について話し合った。
ヨーロッパにおける〝書物大虐殺〟は、彼らの神経を逆撫でするものだった。
そして議論の末、〝思想戦における最強の武器と防具は、本である〟という結論に達した。
アメリカ国民が本を読めば、ドイツによるプロパガンダ放送の影響は薄まるだろう。焚書は読書の対極にあるものだ、という認識も深まるだろう。
ヒトラーが、ファシズム体制を強化するために記された言葉を抹殺するつもりなら、図書館員は読書を促すのだ。
ある図書館員は語っている。
「ヒトラーの『我が闘争』が、幾百万もの人々を奮い立たせ、不寛容と圧制と憎しみを求める戦いへと向かわせ得るなら、幾百万の人々を、それに対抗する戦いへと向かわせ得る本も存在するのではないでしょうか?」
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引用
戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊 東京創元社