ズルいけど誠実。
ブレヒト大好き
劇作家のブレヒトはズルい人でした。だけど弱い人の味方でした。
ブレヒトは、ずるく、うまく立ち回って、強いものから巻き上げたものを、弱い立場の人びとにわけあたえたのです。
こんな逸話が残っています。
ブレヒトが二十歳をすぎたばかりのころ、第一次世界大戦の末期に勤務していた野戦病院では、毛布が不足していました。
野戦病院のすぐとなりの倉庫には、毛布が山積みになって眠っていました。
ブレヒトはその毛布を盗んで、傷病兵の手に渡したんです。
だけど盗みは犯罪です。
「毛布が盗まれている」ことが発覚して、その調査を命じられたのは、なんとブレヒトその人でした(笑)。
ブレヒトはきわめて厳格に調査を遂行しましたが、遺憾ながら、ついに毛布を盗んだ犯人は見つからなかったそうです(大爆笑)。
ふつうズルい人は、強いものにすり寄って、弱い立場の人びとを踏みにじります。
ところがブレヒトはまったくの正反対。
強い者たちを手玉に取って、巻き上げたものを弱い人たちにわけあたえるような人だったんです。
まるで鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)です。今年はネズミ年だけに。
ブレヒトは、ズルく生きて、正しくふるまいました。
その精神はブレヒト演劇の随所にあらわれています。ほんとうの正義ってなんだろうね。あたりまえをうたがえ。
参考文献
幽霊と夢の世界
俳優の谷隼人さんが
「むかし世話になった先輩が夢に出てくるんだよ。そのとき、『ああ、この人もう死んでるんだよなあ』なんて夢の中で思いながら、その先輩の話を聞いていたりするんだよね…」とラジオ番組で語っておられました。
じつは私もまったく同じ経験をしています、それも何度も。
「この人たしか死んだよなぁ」なんて思いながら、たいして違和感も感じずに夢のなかで一緒に楽しく遊んだりしています。
わたしは幽霊を見たことはありませんが、幽霊も、この「夢」と同じような感じかも、楽しく遊んじゃうかも、なんて思います。
たとえるなら「自分の部屋にいきなり人が【注:生きてる人】ズカズカ入って来た」みたいな。
入ってきたのが、自分のまったく知らない人だったら、ビックリすると同時に「恐怖」を感じたりするだろうけど
入ってきたのが仲のいい友達なら、おどろいたり「いきなり入って来ないでよ」なんて頭にきたりはするだろうけど「恐怖」は感じないと思うんです。
幽霊だからって怖いとは限らない。それが生前、仲のよかった人だったら・・・
そんなふうに思ってます。
UFO考
UFO【未確認飛行物体】は、現実の目撃情報でも、光り輝いているケースがけっこうあります。
だけど、なんでわざわざ光るんでしょう
あたりまえをうたがえ
円盤の本体から強い光を放って「わたしはここにいますよ、見て見て」とアピールすること自体、とても不自然です。
そこまでして自分の存在をアピールしたいのなら、米国のホワイトハウスとか、日本の富士山上空や国会議事堂、サッカーW杯の試合中スタジアムにあらわれて、堂々と自分の存在を地球人たちに知らしめればいいと思います。
「宇宙人の存在を知らせるには、まだ人類は幼いから」という説がありますが、それならなぜUFOを【ステルス機能】にしないんでしょうか。
ステルス偵察機の技術は人類にもあります。まさか宇宙人がもっていないとは思えません。
「人類が幼いので、刺激しないように静かに見守っている」のだったら、なんでわざわざUFOが強烈に光るのかがよくわからない。
わざと光って人類をからかっているんでは・・・。
からかうんだったら、光るだけみたいなショボいやり方じゃなくて、もっといろいろあると思う。
光らないと飛べないようなシステムなのかも。
光ってないUFOの写真もたくさんあるよね。光らなくても飛んでるよ。
そうそう光ってないUFOの写真もたくさんあるよ。だからアピールなんてしてないよ。
今みたいにスマホにカメラがついていた時代じゃないし、ふだんからカメラをもって外出していた人が何人いたのそもそもUFOの撮影者は、いつもカメラをもって外出してたのかな。UFO写真って本物なの
どこかの国の戦闘機がスクランブル発進してUFOを追いかけたけど逃げられた、という話もあるけど。
「わざわざ見つかるようなヘマするかぁ宇宙人。そんなんでよく広大な宇宙を地球までミスなくやってこれたなあ。てことはきっとデマだろ」なんて思っちゃう。
地球の軍事技術が知りたいんだったら、やっぱりもっと堂々と現れて、人間たちがおおぜい見守る前で、あっさり逃げおおせばいいと思うし…からかうにしても、そのほうが痛快だと思う。
そんなわけで、わたしは宇宙に生命はいると思うけど、UFOが宇宙人の乗り物だとは思っていません。光るUFOが本当なら、まだ科学的に解明されてない自然現象の1つだと思います。
もしも宇宙人がいるんだったら出てきてほしいです。なぜなら世界の国々が分断しているように思うからです。宇宙人が本当にいることがわかったら、「争っている場合じゃない」と人類がひとつにまとまって平和になるかもしれません。・・・ただちょっと他力本願すぎるかな。
いい世の中になってほしいですね。それではまた
と、この時点では思っていましたが
宇宙人襲来ならぬ新型コロナが蔓延したら、分断はさらに進んでしまったように感じます。
どうやら私の考えは非常に甘かったようです。とても残念です。
虚構と現実ガリレオ考
現実のガリレオと戯曲ガリレイの生涯
ガリレオの伝記を読んだところ、ブレヒト戯曲「ガリレイの生涯」とは異なる記述が見つかりました。
ガリレオの愛娘ヴィルジニアはガリレオ裁判の翌年1634年4月2日に、病気(赤痢)で亡くなっていたのです。
よって宗教裁判の直後から書きつづけられた『新科学対話』完成時には、戯曲「ガリレイの生涯」のようにガリレオのそばにヴィルジニアはいなかったのですね。
またブレヒト戯曲「ガリレイの生涯」で『新科学対話』を国境を越えて出版させる重要な役、ガリレオの愛弟子アンドレアは、現実には存在しない、ブレヒトの創作した人物である可能性もでてきました。*1
その他にもいくつかありましたが、それでもなおブレヒト戯曲「ガリレイの生涯」がおもしろいことに変わりはありません。ブレヒトはやっぱり大好きです。
そしてこのような場合、事実もふくめて解釈するか、戯曲のみで登場人物の役作りをしていくかで、俳優の演技も変わってくるでしょうね。
私なりの結論は、作品によって見解が分かれるのは「あたりまえ」ですので、あくまでも現在取り組んでいる作品の意見に従って演じ、その作品以外の意見は参考程度にとどめておく、のがいいかなと思います。
ただし今回「ガリレオ」を調べたように、いろんな本をくらべると「この作品は事実より創作の側にスタンスをとっている」などもわかるので、たくさん本を読むことはおすすめします。
「沖田総司は女の子」が『幕末純情伝』1991年 角川映画*3のキャッチコピーでした。『水戸黄門』*4も現実には諸国を漫遊しなかったし・・・。
たしかに、ガリレオ、水戸光圀公、さらには忠臣蔵など史実と違う物語は、さがせばたくさん見つかるでしょうね。
そんなことを話しながら、今日は朗読などのレッスンを行いました。
他には「スターウォーズ」最新作の感想などで盛り上がりました。いろんな意見がありますね。
今日も楽しかったです。それでは、また来週。
参考文献
【伝記】
【ブレヒト戯曲】
戯曲ガリレオ 績文堂
Voice actor laboratory 声優演技研究所
*1:【脚注.1】
「新科学対話」は、1635年の夏に一応の完成をみた。
1636年5月にオランダからやってきたルイ・エルゼヴィルがガリレオを訪問したことで「新科学対話」の出版が現実味を帯びた。ガリレオの新著をオランダで出版すると約束してくれたのである。
「新科学対話」は「第一日」から「第四日」の四日間にわたってなされた対話の形式で書かれている。
ただし、この「第三日」と「第四日」は最初の二日間にくらべて完成が大幅に遅れているから、ガリレオの最初の出版計画では、「第一日」と「第二日」だけで一冊の書物にしようと考えられていたらしい。
「新科学対話」の最初の三日間は、1636年の夏にはエルゼヴィルの手に渡っており、「第四日」はまだ完成していなかった。
1638年7月に「新科学対話」は出版された。
*2:
アンドレアのモデルとして考えられるのは、ノアイユ伯です。
ノアイユ伯は、ガリレオがパドヴァ時代に家庭教師をしていた教え子の一人で、1636年10月、ローマから母国フランスに帰国するさいに、自宅に監禁されていたガリレオのために教皇に願い出て、ガリレオに会って慰めました。
そのさい、ガリレオはノアイユに『新科学対話』四日分の写しを献呈したのです。
以上の部分は、アンドレアとよくにています。
しかし違う部分もあります。
「ガリレイの生涯」のアンドレアは、ガリレイの家政婦サルティの息子で、ガリレオから家庭教師を受けていましたが、あまりお金がなかったのか学費が払えず、「お前の授業は休講にする」と戯曲「第1景」でガリレオから告げられています。
一方のノアイユ伯は、フランス名家の出身で、のちにローマ駐在のフランス大使となった人物です。
お金持ちの名家出身のノアイユ伯と、家政婦の息子アンドレアは、どう考えても違いますね。
因(ちな)みに、1636年10月にガリレオはノアイユ伯に『新科学対話』を手渡しましたが、<脚注1>でも述べたように、それに先立つ7月に別な写しがオランダの著名な出版業者エルゼヴィルに手渡されていたんです。
*3:原作はつかこうへい氏の同名小説。
人類にとっては悪魔でも・・・
眠り病からベルゼブブへ
演技が上達する秘訣は「他人の視点で物事を見る」ことです。
アフリカの野生動物の目から見ると人間は【恐ろしい捕食者】に映るかもしれません。
彼ら野生動物を人間の魔の手から守ったものは
アフリカ眠り病
今回の元ネタは
本を紹介することで、わたしがお金を儲けようとは思っていません。なので
こわいこわい
アフリカ眠り病【アフリカトリパノソーマ症】
ツェツェバエによって媒介される、人獣共通の感染症。病状が進行すると、昏睡して死に至る恐ろしい疾患である。
へー・・・
今からおよそ一千万年前、アフリカ大陸を南北に縦走(じゅうそう)する大地溝帯(だいちこうたい)の活動が活発化し、大地溝帯の東側を乾燥した草原【サバンナ】へと変えていった。
すごぉい♪
ここに進出した霊長類が、私たち人類の祖先である。
食べ物・・・?
人類祖先が樹上生活をすて草原に進出したとき、そこには、それまでとは比較にならない豊かな食物【大型野生動物のこと】が存在していた。
ええええええ
人類祖先は、大型野生動物の大規模な捕食を開始した。
ひどい・・・
その結果、多くの大型野生動物が絶滅した。
そ、そうなの?
しかしすべての大型野生動物が絶滅するという事態は避けることができた。
・・・・・
危機的状況を救った要因の一つが、アフリカ・トリパノソーマ症【アフリカ眠り病】であった。
アフリカ・トリパノソーマ症【アフリカ眠り病】は、現在でも、サハラ砂漠からカラハリ砂漠に挟まれた地域に住むヒトや家畜に大きな被害をもたらしています。
毎年50万人が発症し、約6万人が死亡しているんですね。
そのため、日本の面積の40倍近い、1500万平方キロメートルが家畜の飼育に適さない土地となっています。
が、
このアフリカ眠り病は、カモシカやアンテロープといったアフリカ固有の動物に病気を起こすことはないのです。
アフリカ・トリパノソーマ症が存在しなかったら、食物連鎖の最上位に位置した初期人類は、草原を蹂躙(じゅうりん)し、大型野生動物すべてを絶滅に追いやったかもと本書では述べられています。
そうなっていれば、その後の人類史は現在と異なるものになっていた可能性さえあるのです。
眠り病を媒介するツェツェバエは、人類にとっては悪魔以外のなにものでもありません。
でも野生動物には神なのかも…。
ハエの魔王ベルゼブブ
「ハエ・神・悪魔」でイメージするのは、旧約聖書や新約聖書にでてくるベルゼブブだね。
実力ではサタンを凌(しの)ぐとも言われる魔王です。
ベルゼブブはアニメや漫画にも登場しますので、ご存知の方もいらっしゃるでしょうね。
世の中をいろんな視点で見てみよう。あたりまえをうたがえ
アフリカを舞台に野生動物の視点でながめた物語といえば「ジャングル大帝」があるな。
手塚治虫先生は偉大ですね。
参考文献
戦争プロパガンダ 10の法則
われわれは、こうして騙(だま)された
プロパガンダとは
プロパガンダは、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為である。 通常情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。ウィキペディアより
戦争プロパガンダには「『敵』がまず先に攻撃を仕掛けてきたということになれば、国民に参戦の必要性を説得するのにそれほど時間はかからない」という法則がある。
この本がすごい
本を紹介することで、わたしがお金を儲けようとは思っていません。なので
目次のタイトルだけでも面白いですよ。
【目次】
第1章「われわれは戦争をしたくはない」
第2章「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
第4章「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
第5章「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
第6章「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
第7章「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
第8章「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
第9章「われわれの大義は神聖なものである」
第10章「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
われわれは戦争をしたくはない
あらゆる国の国家元首、少なくとも近代の国家元首は、戦争を始める直前、または宣戦布告のその時に、必ずといっていいほど、おごそかに、まずこう言う。「われわれは、戦争を望んでいるわけではない」
戦争および戦争に伴う恐怖は、たしかに常識的に考えて歓迎すべきものではない。よって、まずは、平和を愛していると見せかけるほうが得策というわけだ。
第二次世界大戦も例外ではない。連合国が平和を目指していたと聞いてさほど意外に思わない者でも、枢軸国側もじつはまったく同じことを言っていたとなれば、少なからず驚きがあるのではないだろうか。
たとえば、1941年12月、太平洋戦争が始まったとき、日米それぞれの国で流されたニュース映画を見比べてみるとはっきりする。東条首相とローズヴェルト大統領は、開戦に際し、ほとんど同じ言葉を使って演説をおこなっている。
どちらも、平和を望み、開戦には決して積極的ではないと語っているのだ。
ローズヴェルトは、しばしば平和を語っている。
だが、ヒトラーも、同じことを言っているのである。
ゲーリングも、1939年8月初旬、こう語っている。
「ドイツは戦争を望んではいない。国民は、総統の決断に無言の信頼を寄せ、平和を待ち望んでいるのだ。だが、一方で、もし、この平和を拒絶し、欧州を戦火にまきこもうとする者があれば、われわれドイツは防衛のために立ちあがるだろう」
ヒトラーは、イギリス政府に書状を送り、平和への意志を表明している。彼は「ドイツ政府は独英間の理解、協力、友愛を心から望んでいる」と書いているのだ。
1939年9月1日、ヒトラーはポーランド侵攻に際し、ドイツ国会を召集した。彼は、ここでも平和主義をかかげ、平和維持のための努力について語っている。
「私はこれまで、平和的な方法で、状況建て直しを図ろうと努力してきた。われわれはいつも武力に訴えるなどと言われているが、それはまったくのでたらめだ。
あらゆる機会をとらえ、私は一度ならず、交渉によって必要な改善策を得ようとしてきた。オーストリア、ズデーテン、ボヘミア、モラヴィアとの問題も平和的な解決を試みたが、惜しむらくは結果を得ることができなかった。
ドイツとポーランドの間に平和的な協力関係を築くためには、方向転換が必要なのである」
いまさら驚くこともないだろうが、対する連合国側も、図式はまったく同じである。
1939年9月2日、エドゥアール・ダラディエ仏首相は、開戦を宣言した。9月3日の「国民召集令」でも、平和維持を強調する。
「私は、最後の最後まで一瞬たりとも休むことなく、和平のために奔走したと自信をもって申し上げます」
すべての国家元首が、すべての政府が、こうした平和への意志を積極的に口にするとなれば、かなりの頻度で戦争が起こってしまうのはなぜだろう、という素朴な疑問が、当然のことながらわきあがってきます。
この疑問に答えるのが、戦争プロパガンダの第二の法則です。
われわれは「いやいやながら」戦争をせざるをえない。
というのも「敵国」が先に仕掛けてきたからであり、われわれは「やむをえず」「正当防衛」もしくは国際的な「協力関係」にもとづいて参戦することになったのである…。
しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
両陣営とも、相手国が流血と戦火の悲劇を引き起こそうとするのを抑止するために「やむをえず」参戦するという矛盾した構図は、第一次世界大戦時にすでに存在しています。もちろん、第一次世界大戦以前の戦争にもあてはまります。
どの国も、戦争を終わらせるために戦争をしなければならないという矛盾に目をつぶり、今度こそ「最後の最後」だと主張するんです。
ダラディエ仏首相は、9月3日の「国民召集令」のなかで語ります。
「かねてより、多くの人が世界平和を求める声をあげていたにもかかわらず、ドイツは、心ある人々の声にいっさい耳を貸そうとはしなかった。戦争が不可避である以上、われわれは戦う」
戦争が始まったすべての責任は敵国にあるのだ。
さらに、当の敵国側の当時の資料を眺めれば、ドイツ、そして日本の側でも「連合国側に戦争の責任がある」という論理が用いられていました。
こうして、非常に好戦的な者たちこそ、みずからが哀れな子羊であるかのようにふるまい、争いごとの原因はすべて相手にあるのだと主張します。
多くの場合、国家元首は、これは正当防衛なのだと世論を説得します(あるいはまた、みずからにもそう言い聞かせているのかもしれません)。
もうひとつ「プロパガンダを支持しない者は、裏切り者または敵のスパイとみなされる」という法則【第10章】があります。
これらの法則はすでによく知られたことであり、戦争が終わるたびに、われわれは、自分が騙(だま)されていたことに気づきます。
そして、次の戦争が始まるまでは「もう二度と騙されないぞ」と心に誓うのです。
だが再び戦争が始まると、われわれは性懲りもなく、また罠にはまってしまうのです。
あらたにもうひとつ法則を追加しましょう。
「たしかに一度は騙された。だが、今度こそ、心に誓って、本当に重要な大義があって、本当に悪魔のような敵が攻めてきて、われわれはまったくの潔白なのだし、相手が先に始めたことなのだ。今度こそ本当だ」
2002年1月
ブリュッセル自由大学歴史批評学教授 アンヌ・モレリ
そうやって私たちはこれからもずーーーっと騙されつづけるわけなんですね・・・。
そうならないためには、どうすればぜひご一読をおすすめします。
参考文献
人間というものは、誰しも、みんなのためを思って行動しているのだと思いたがる。
ヴォルテール(1694~1778)の著書にも、こんな記述がある。
天使イチュリエルの命令で、スキタイ人バブークは、インド軍とペルシャ軍の駐屯地をそれぞれ訪れ、話を聞いた。
あるペルシャ人兵士がこう言った。
「どちらの陣営も、人類の平和だけを願っていると言いながら、何年にもわたって奇妙な理由で戦い続けている。
なぜ人が殺しあうのか、はっきりとわかっている暴君はまず存在しない。殺人、放火、破壊、略奪が増えてゆき、世界中が苦しんでいる。しかも、激しさを増すばかりだ。
われわれの代表も、インドの代表も、人間の幸福のためだと言いつづけている。抗議行動が起こるごとに、町が廃墟と化し、地方が荒廃していく」
どんなにさもしい人間でも、利己的で卑劣な動機をわざわざ明かそうとはしない。むしろ、善意や愛他主義を装うだろう。そして肯定的なイメージを保持するために、まず自分を納得させる。
まず自分を騙すのだ。
米大陸に上陸したスペイン人征服者はキリスト教布教を語り、チリの拷問者たちは反マルクス主義の戦いだと主張した。
自分を納得させることができたら次は世論の説得だ。
これは高尚な目的のためなのだと訴える。「悪党」「犯罪者」「殺人者」に対抗するために立ちあがるのだ、と。
ここにも戦争プロパガンダの法則がある。
この戦争は「文明人」による「野蛮人」への制裁だと主張することだ。
そのためには、敵側が、積極的に残虐行為を繰り返していると訴える一方、味方の犯す過ちは、不本意なものであると国民に示さなくてはならない。われわれの大義は特別なもの、正真正銘倫理的なものである。つまり、これは聖戦であり、まさに十字軍の戦いなのだと。
「戦争において、もっとも嫌悪すべきものは、戦争によって生じる廃墟ではなく、戦時にあらわれる無知と愚かさだ」
疑うのがわれわれの役目だ。武力戦のときも、冷戦のときも、あいまいな対立が続くときも。
シェイクスピアは時代とともに進化した
シェイクスピア演劇の歴史とDNA
DNA は正確にコピーされ、世代を超えて受け継がれる性質があります。
しかし、これではいつまでたっても生物の性質は変化せず、多様な生物は進化しないことになってしまいます。
実は、DNA のコピーではミスが起こることがあるんです。これが生物の進化のきっかけとなっているんです。
間違うことが進化につながる
生物は生命が地上に生まれて以来進化を続け、現在の多様な種の形成に至った、と考えられています。
生物が進化を続けるには遺伝子が常に変わる事が必要です。進化は「遺伝子のデタラメな変異」と、その時の環境に適した「生物の選択淘汰」によるとされています。
さて、シェイクスピア演劇です。
小津次郎氏の著書「遺書を書くシェイクスピア」(岩波書店)に興味深い記述がありました。
シェイクスピアは大変な読書家でした。その豊富な読書で培(つちか)われた知識が、シェイクスピアの戯曲にも多大な影響を及ぼしたと考えられます。
しかしシェイクスピアの読んだ本は、当然のことながら現代よりも【誤字・脱字】が多かったのです。
ところが、それが逆に幸(さいわ)いしたのではないか、というのです。
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彼が実際に読んだにちがいないそれらの書物の大部分は、その後の本文研究、関連学問の研究結果、さらに近代書誌学の発達によって、今では信頼すべき校訂版が刊行されている。
十分な語学力さえあれば、まことに皮肉なことながら、シェイクスピア以上に正確に原典を読むことができるはずである。
しかし、いささか語弊の伴う表現ではあるが、誤解を禁じられ、解釈の幅を狭められた標準版の価値を認めたうえで、
シェイクスピア自身が読んだ、もっとずさんで、もっと荒っぽく、活字の一部が磨滅し、行の乱れた古版本を読むことによって、
シェイクスピアが犯したかもしれない誤解をくりかえし、
足許にも及ばぬとはいえ、シェイクスピアが伸ばした想像の翼を、それなりに垣間見た感慨にひたることも、シェイクスピア研究の一助となるかもしれない。
また、このようにも語っています。
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英国のBBCが六年がかりで制作中のシェイクスピア全作品のテレビを十本余り、NHKの試写室で見せてもらったが、おかげで日本で最初の放映『ロミオとジュリエット』の解説役として引っぱり出されることになった。
頭を抱えるような難問は出なかったが、このテレビ全体を通じての傾向をひと口にいうとどういうことになるか、というさりげない質問には、正直にいって返答に窮したのである。
なにしろBBCテレビでは演出者は作品ごとに違っているし、テレビも芝居である以上、主演俳優の持ち味によって舞台全体の雰囲気が左右され、場合によっては演出家の意図とは別の方向に歩きだしてしまう、そういう一種の自立性を持っている。
それにしても、正統的演出とはいったい何であろうか、果たしてシェイクスピアの演出に正統と呼ばれるものがあるのだろうか、もしあったとして、それは守るに値するべきものであるだろうか。
一般的にいって、シェイクスピア劇の過去の上演をかなり正確に知り得るのは、たぶん1920年代までではないかと思う。
それ以前の時代となると、およその芸風は察知し得ても、演出という作品全体の解釈に深くかかわった構図で復元することはほとんど不可能ではないかと思われる。
19世紀以前の演出については確信をもって語ることができない。
まず演出者というものが存在しない。
舞台創造の責任者でありながら、原理的には舞台の外に立つ演出者はこの時代にはまだ生まれていなかった。もちろん舞台を作るためには指揮者の存在は不可欠であるが、それは現在の演出者とは大いに異なるものであったにちがいない。
さらに致命的だったのは舞台の広さに対する照明の貧困であった。ひと口に言うならば、微妙な科白(せりふ)のニュアンスや細かい表情は観客には伝わらなかったのである。
当然の結果として演技は大まかで、誇張されたものにならざるをえない。そうした条件のもとで、劇場の権力者である主演級のスター俳優がどのような演技を見せたか、およその見当がつくはずである。
18世紀から19世紀にかけての英国では、商業演劇が形成され、その頂点をきわめていた。
商業演劇のスター俳優をことさらに蔑視するつもりはない。およそ俳優を志すほどの者ならば、少なくとも潜在的には自己顕示欲を持っていると思うのだが、十八、九世紀の舞台に君臨したスター俳優は、ほとんど独裁者としての地位を享受していたが故に、おそらくは作品の解釈は二の次として、低次元の自己主張を第一と考え、自己の扮する役柄を美化したにちがいない。
もしこの推測が当っているとするならば、正統性を作者の意図と関係づけて考える限り、シェイクスピア演出の正統性を論ずることは不可能になってくる。
さらにまた、17世紀末から19世紀初頭にかけては、シェイクスピア上演は原作よりも後人による翻案改作が主流を占めていたことを想起するならば、そもそもシェイクスピア解釈の正統性云々を論ずることが、少なくとも上演に関する限り、ほとんど無意味となってくるのである。
シェイクスピアは時代とともに進化した
シェイクスピア演劇は素晴らしいです。しかしそれはミスをしなかったからではなく、故意や偶然など、たくさんの誤りの歴史もふくんでのことなのです。演出家だって独自の新解釈をしてみたいだろうし…。
正しい方向をめざすのは当たり前です。わたしもそうしています。否定はしません。
ただし、極めてまれな現象なのかもしれませんが、間違うことが結果的に劇的な進歩につながることもあると思います。
演劇は時代とともに変化し進化してきました。それをあてはめてみると、実はシェイクスピアも同じで「シェイクスピアも時代とともに進化した」とも考えられると思います。
大切なのは「きのうの自分より前に進む」こと失敗にめげず成長をめざしましょうチャレンジ精神を忘れずに
こんな話を交えながら、本日もボイスドラマの作成やらシェイクスピア風・戯曲のレッスンをおこないました。それでは、また来週