虚構と現実ガリレオ考
現実のガリレオと戯曲ガリレイの生涯
ガリレオの伝記を読んだところ、ブレヒト戯曲「ガリレイの生涯」とは異なる記述が見つかりました。
ガリレオの愛娘ヴィルジニアはガリレオ裁判の翌年1634年4月2日に、病気(赤痢)で亡くなっていたのです。
よって宗教裁判の直後から書きつづけられた『新科学対話』完成時には、戯曲「ガリレイの生涯」のようにガリレオのそばにヴィルジニアはいなかったのですね。
またブレヒト戯曲「ガリレイの生涯」で『新科学対話』を国境を越えて出版させる重要な役、ガリレオの愛弟子アンドレアは、現実には存在しない、ブレヒトの創作した人物である可能性もでてきました。*1
その他にもいくつかありましたが、それでもなおブレヒト戯曲「ガリレイの生涯」がおもしろいことに変わりはありません。ブレヒトはやっぱり大好きです。
そしてこのような場合、事実もふくめて解釈するか、戯曲のみで登場人物の役作りをしていくかで、俳優の演技も変わってくるでしょうね。
私なりの結論は、作品によって見解が分かれるのは「あたりまえ」ですので、あくまでも現在取り組んでいる作品の意見に従って演じ、その作品以外の意見は参考程度にとどめておく、のがいいかなと思います。
ただし今回「ガリレオ」を調べたように、いろんな本をくらべると「この作品は事実より創作の側にスタンスをとっている」などもわかるので、たくさん本を読むことはおすすめします。
「沖田総司は女の子」が『幕末純情伝』1991年 角川映画*3のキャッチコピーでした。『水戸黄門』*4も現実には諸国を漫遊しなかったし・・・。
たしかに、ガリレオ、水戸光圀公、さらには忠臣蔵など史実と違う物語は、さがせばたくさん見つかるでしょうね。
そんなことを話しながら、今日は朗読などのレッスンを行いました。
他には「スターウォーズ」最新作の感想などで盛り上がりました。いろんな意見がありますね。
今日も楽しかったです。それでは、また来週。
参考文献
【伝記】
【ブレヒト戯曲】
戯曲ガリレオ 績文堂
Voice actor laboratory 声優演技研究所
*1:【脚注.1】
「新科学対話」は、1635年の夏に一応の完成をみた。
1636年5月にオランダからやってきたルイ・エルゼヴィルがガリレオを訪問したことで「新科学対話」の出版が現実味を帯びた。ガリレオの新著をオランダで出版すると約束してくれたのである。
「新科学対話」は「第一日」から「第四日」の四日間にわたってなされた対話の形式で書かれている。
ただし、この「第三日」と「第四日」は最初の二日間にくらべて完成が大幅に遅れているから、ガリレオの最初の出版計画では、「第一日」と「第二日」だけで一冊の書物にしようと考えられていたらしい。
「新科学対話」の最初の三日間は、1636年の夏にはエルゼヴィルの手に渡っており、「第四日」はまだ完成していなかった。
1638年7月に「新科学対話」は出版された。
*2:
アンドレアのモデルとして考えられるのは、ノアイユ伯です。
ノアイユ伯は、ガリレオがパドヴァ時代に家庭教師をしていた教え子の一人で、1636年10月、ローマから母国フランスに帰国するさいに、自宅に監禁されていたガリレオのために教皇に願い出て、ガリレオに会って慰めました。
そのさい、ガリレオはノアイユに『新科学対話』四日分の写しを献呈したのです。
以上の部分は、アンドレアとよくにています。
しかし違う部分もあります。
「ガリレイの生涯」のアンドレアは、ガリレイの家政婦サルティの息子で、ガリレオから家庭教師を受けていましたが、あまりお金がなかったのか学費が払えず、「お前の授業は休講にする」と戯曲「第1景」でガリレオから告げられています。
一方のノアイユ伯は、フランス名家の出身で、のちにローマ駐在のフランス大使となった人物です。
お金持ちの名家出身のノアイユ伯と、家政婦の息子アンドレアは、どう考えても違いますね。
因(ちな)みに、1636年10月にガリレオはノアイユ伯に『新科学対話』を手渡しましたが、<脚注1>でも述べたように、それに先立つ7月に別な写しがオランダの著名な出版業者エルゼヴィルに手渡されていたんです。
*3:原作はつかこうへい氏の同名小説。