ワークショップ 声優演技研究所 diary

「なんで演技のレッスンをしてるんですか?」 見学者からの質問です。 かわいい声を練習するのが声優のワークショップと思っていたのかな。実技も知識もどっちも大切!いろんなことを知って演技に役立てましょう。話のネタ・雑学にも。💛

終戦後の戦闘!満蒙開拓団の壊滅

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昨日のブログでカットした、開拓団と匪賊(ひぞく)との壮絶な「終戦後の戦闘場面」を引用させていただきます。

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【山崎団長は、のめり込むように死を求めた】と【みなが口々に、一緒に死のうと申し出た】の、あいだの部分です。

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突然、団長が苦悶し始めた。誰よりも早く、毒をあおったのである。

しかし——死もまた、この律儀で小心な団長を抱きとってはくれなかった。毒薬の量を誤ったのか、彼は昏睡状態のまま人々に囲まれて一夜を明かした。

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十六日朝、思いきって白城子に向かって出発しよう——と、一同の意見がまとまった。

この日から副団長の足立守三が団長にかわって指揮をとり、全員を六班に編成して、なお昏睡状態を続ける団長はじめ病人や食糧を大車十台に積んで、出発した。

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日が傾くころになって闇が濃くなるころから再び山道にかかり、子供の多い隊の進行は困難をきわめた。

水の音だ!

という声に、誰もが蘇生の思いで足を早めた。携帯した飲料水はとっくに飲み尽くし、喉だけでなく全身が乾ききっていた。
人々は重なり合って手にすくった水を飲み、手拭いを浸してほこりまみれの顔を拭いた。大車の上の病人たちさえ、運ばれた水に生気をとり戻して、数日ぶりの微笑を浮かべる者もあった。

突然、二、三発の小銃の音が起こった。

この音を合図に、匪賊(ひぞく)*1が喚声(かんせい)を上げながら四方から襲いかかってきた。

団の男子は素早く婦女子を囲んで円陣をつくり、小銃で応戦しながら、三人、五人が一団となり、かわるがわる斬りこみを慣行して匪賊を追い払った。

大車を中心に身をよせ合った婦女子は、声もない。

果たして匪賊を防ぎ得るものなのか——。恐怖に心も凍り、やがてその圧迫に耐えかねて服毒した者は苦悶の声を放つ。

服毒者の背をなでる者は、共に死にひきこまれようとする自分を押えるのが精いっぱいで、励ましのことばなどとうてい口に出ない。

足立副団長の娘も、乱闘中に服毒、死亡した。二十三歳であった。

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一時間余りで、乱闘は終わった。

匪賊が逃げ去った後の湧き水のほとりは、嗚咽の声に満ちていた。重症者の中には、戦いの終わった後に自決した者もある。

負傷者の手当をし、八人の遺体を埋め終わったのは、十七日未明であった。 

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8月17日

この日から山崎団長は大車を降り、徒歩で隊列に加わった。
死への逃避に失敗した彼は、わずかに恢復(かいふく)した体力のすべてを再び、団員の世話に注いだ。

負傷者までをかかえた隊列は二千メートルにも伸びて心もとない歩行を続けたが、昼近く、ようやく山地をぬけて洮南県双明子という満人部落にたどりついた。

部落民の親切そうな様子に安心して、ここで休憩したいと申し出ると、彼らはこころよく承諾し、食事の支度まで手伝ってくれた。

団を出発して以来初めて炊きたてのごはんを食べて、子供たちまでが元気づいた。

女たちの中には、早くもこの脱出行に明るい見通しを持ち始めた者もあり、声までがはずんでいた。

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午後二時、一同は十分に腹ごしらえを終わり、飲料水も補給して、再び隊列をととのえている時、ソ連機が一機、低空で彼らの頭上をかすめていった。

遠ざかろうとするその爆音を合図のように、部落の高地から一発の小銃弾が飛んできた。

すでに経験のある団員たちである。男たちはただちに襲撃にそなえて婦女子を麻畑に誘導し、その周囲を固めて匪賊(ひぞく)を迎え撃った。

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小銃を撃ちながら、男たちは敵の数の多いのに改めて驚いた。

とうてい昨夜の比ではない。前後左右から湧き出るように匪賊が現われて厚い人の壁を築いていた。

さらに団員たちを絶望的な気持に駆りたてたのは、たった今まで炊事を手伝うなど好意を示してくれていた部落民までが、兇器を手に匪賊の群に加わっていることであった。

だまされた——

ここに至って、初めて部落民の親切の裏が読めた。匪賊に通報する時間をかせぐため、火をたき、水を汲んでくれたのである。

敵の数はますます増していった。その上、いつの間にか東方の山麓には数台のソ連戦車が停止している。

これも匪賊の行動と無縁ではないように思われた。

逃れられない——。

団の男たち一人一人の顔に、この思いが刻まれていた。

関東軍は総退却と聞いても、この時まで彼らの胸の底にはなお軍を頼る気持が残っていた。

——総退却といっても、戦いながらの退却であろう。どこかで軍隊にめぐりあえば、応召者の家族の多いこの団を、まさか見捨ててゆきはすまい——。

だが、今はそれも空頼みに終わった。

これだけの敵に囲まれて、どう逃れる道があろうか——。

男たちにはもはや恐怖心もないらしく、自暴自棄ともみえる勇猛さで斬りこみが続けられた。

彼らの中には、麻畑の家族の間から抜け出した老人までが加わり、壮者をしのぐ勢いで敵に向かっていた。

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戦う男たちのうしろでは、麻畑にひそむ家族の中から、次々に自決者が出た。

安倍井の妻は、戦って死んだ長男の遺体を麻畑に運び、そのそばで幼い子供と共に喉を突いた。

匪賊の群に斬りこんだ夫が帰らないと知り、幼い子供の首をわが手でしめ、毒を飲んでその上に伏す女がいた。

続々と自決してゆく人々の苦悶の声を聞きながら、男たちにはそれをいたわるすきもなかった。

彼らの中からも死者、重傷者は続出したが、それに数倍する匪賊がなぎ倒されていった。

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午後八時、いくぶん敵勢の衰えが見えた時、辻口、大倉、三木の三団員が強行脱出を決意し、生き残りの婦女子約四百人を集め、引率して夕闇に消えていった。

この一団のあとを追わせまいと、生き残りの男子約二十人は、最後の力をふりしぼって匪賊をくい止めた。多量の小銃弾があることが、せめてもの助けであった。

山崎団長もこの中にいて、団員三人を連れて斜面の暴徒を防いでいた。

肉親との生別、死別、くやしさ、悲しさ、今は何に向けられているともわからない憤怒など、すべての激情をこめた彼らの喚声は疲労にかすれ、無気味に響いた。

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午後九時すぎ、雨が降り出した。

これをきっかけに、匪賊は急に引揚げていった。

今はうめき声も消えた麻畑に、葉を打つ雨の音だけが静かに響いていた。

茂った葉のかげに、あちらにもこちらにも自決者の遺体が固まっていた。山崎団長の妻をとりまいて、団員の家族二十人ほどが円座になって伏し、足立副団長の妻の周囲にも十数人が折り重なっていた。

雨にズブ濡れの山崎団長の周囲に、一人、二人と生き残りの人々が集まった。十三人であった。

安倍井、小松、高橋の三人が「私たちは家族のそばで死にます」と、麻畑の中に消えていった。誰もとめなかった。

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「皆さん」と山崎団長が、意外なほど元気な声でいった。

「死ぬ人は死に、逃げられる人はみな逃げました。もう何も思い残すことはない。山崎はここで死にますから、あとはどうか自由にしてください」

みなが口々に、一緒に死のうと申し出た。

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なんでこんなことになっちゃったんだろう・・・。

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満州各地に散在した開拓団の用地は、どのようにして用意されたのだろうか。

各部落には、土着の満人や移住者である漢民族が、泥で固めた小屋を並べて住みつき、小作、苦力(クーリー)*2として日本人に使われている。

ここはもともと彼らが長年の苦心の末、開墾した土地であったが、日本の開拓団用地に選ばれたため、いや応なしに買い上げられたものである。

日本側はこれを〝合法的〟と称していたが、彼らには〝強制的に二束三文でまき上げられた〟としか思えなかったらしい。

移住者の数も少ない初期には用地についての問題もあまり起こらなかったが、百万戸計画が具体化した昭和十二、三年頃から用地面積も急に拡大され、〝先住民に悪影響を及ぼさざるよう〟考慮してはいられなくなった。

すでに満人が入植し落ち着いて耕作している場所でも、日本側に有利な土地と見れば無理に買収することもたびたびであった。

これが先住の満人、漢民族には非常に侵略的な行為と受けとられた。

また一部の日本人は優越感をあらわに見せて満人を酷使した。

こうして長い年月の間に、満人の胸の底に積っていた日本人への怒りが、敗戦という逆転にあおられて燃え上がり、保護を失った開拓民にぶつけられたのである。

満人の中には、単に相手の弱みにつけこんで利をむさぼろうとする暴民も多かったが、襲われた日本人側に敗戦国民としての経験がなく、十分な警戒心を持たなかったことが被害をいっそう大きくした。

ほとんど全滅した開拓団は十に及び、一部落全滅、十人以上の集団犠牲者を出した開拓団を含めると、その数は百に達する。

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だまされた・・・

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満蒙開拓団の人々は「お国のため軍のため」という言葉にだまされ、親切そうにふるまう満人たちにもだまされてしまったんですね。

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このような悲劇が二度と起きないよう、「こんなことがあったんだ」と知っておくことは大切だと思います。ぜひご一読をおすすめします。

引用
墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅 中公文庫

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www1.odn.ne.jp

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*1:

匪賊(ひぞく)は、「集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。
日本では、特に近代中国における非正規武装集団を指す。

*2:

苦力(クーリー)とは、奴隷制度が廃止された後、低賃金で過酷な労働を強いられた労働者。

集団自決と日本人 満蒙開拓団の壊滅

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ強制収容所ユダヤ人はあらゆる迫害を受けたが、集団自殺の例はない。

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心に残った言葉を紹介します。

今回は、角田房子・著「墓標なき八万の死者」満蒙開拓団の壊滅 より引用させていただきます。

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「責任者はみな逃げてしまったんです。すべてが混乱状態です」

関東軍は、いったい何をしているんですか」

関東軍の腰ぬけはね、無抵抗で全面的退却ですよ。奥地の部隊は全部解散して、続々と白城子方面へひきあげています」

「・・・で、私たち開拓団は・・・」

「こうなっては、民間人のことなど構ってはいられない、ということでしょう。奥地にいては、みな殺しですよ」

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ソ連参戦を知った九日、*1 団では供出野菜の集荷に小学生までが総出で力を合わせていた。

「軍のため、お国のため」ということばに素直にうなずいて、幼い力を出してくれた子供たちをも、軍は置き去りにして退却してしまったのである。

子供たちに向かって、自分は何といえばいいのか——。
バカ正直であったと、自己をあざける余裕などはない。

ほとんどが女子供の一団を、どう守り、どうやって脱出させたらよいのか。*2

彼の思考の限度をはるかに超す難問と無理にとり組み、全身をしぼる思いで対策を求め続けた五日間であったろう。

しかしその結果は徒労であった。

極度の緊張を続けた末、責任の重圧に意志の力も尽き果てた山崎団長は、のめり込むように死を求めたのである。

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みなが口々に、一緒に死のうと申し出た。

前から予定されていたことを語るような、ためらいのない声であった。

この時、足立副団長がひと足前へ出て、声をあげました。

「皆さん、もう一度勇気を出してください。妻子のそばで死にたい気持は私にもあるが・・・」

彼は、最後まで生きる努力をしよう、と一同を説いた。——脱出した四百余人も、全滅するかもしれない。誰かが生き残って、この実情を故国に伝える義務がありはしないか——。

「あなたがそのお気持なら、どうぞよろしく頼みます」

団長がポケットから愛用のパイプを出しながら、いった。「形見に何か贈りたいが、もうこれしか残っていません」

差し出された団長の手を、足立は固く握りかえすほかなかった。他の人々は無言のまま、二人を見つめていた。

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その後の足立守三は、匪賊(ひぞく)*3 に捕えられ、ソ連の俘虜(ふりょ)*4 となり、収容所に入れられ、満人の苦力(クーリー)*5 となり、またある時は東蒙古人民自治軍に徴用されるなど、あらゆる辛苦をなめながら、遂に〝生きぬこう〟という目標を見失うことなく、昭和21年10月帰国した。

そのため、荏原開拓団の記録も残った。

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山崎団長はじめ、なぜこのように生きぬく努力をしなかったのかと惜しまれるが、これについて帰国後の足立は次のように語っている。

「自決した人々のことを思うと——みなが死ぬ必要はなかった、がんばれば生きられたのに——と、残念でたまりません。しかしそれは今でこそいえることで、あの当時の状況の中では、人間の精神が生きることに耐えられなかったのだと思います」

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敗戦直後に自決した満蒙開拓団の人々の中には、生きることをあまりに早くあきらめた——と惜しまれる例が多い。

平常の人間には理解の届かない心理であろうが、また同時に日本民族の特性でもありはしないか。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ強制収容所ユダヤ人はあらゆる迫害を受けたが、集団自殺の例はない。

満州へ渡る時から、開拓民にはそれぞれ何らかの覚悟があったと想像される。平和な先進国へ行くのとは、心構えも違ったであろう。

戦時中のことではあり、〝いさぎよく死ぬ〟〝桜花のように美しく散る〟ことを讃美する風潮に満ちた時代でもあった。

多くの日本人がこれを疑わなかった原因には、明治以来の精神教育よりもっと奥深く本質的な日本人の精神構造があり、これがいざという時、〝はかない〟とさえ感じられるあきらめを生み出すのでもあろうか。

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三人の青年団員に引率されて双明子部落から脱出した荏原開拓団の四百余人の中からは、一人の帰国者もない。

どこで、どのような最期を遂げたのか、一切は不明である。

引用
墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅 中公文庫

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www1.odn.ne.jp

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*1:

ソ連参戦——昭和20年8月9日

*2:

開拓民は物資や労力を捧げただけでなく、壮年の男子は次々に軍へ吸収されていった。

19年9月までに、関東軍の兵力の多くがグアム、パラオ、レイテ、ルソン、沖縄などの決戦場に投入され、その後も兵力抽出は続けられていた。

昭和20年の五月ころまでに団の男の八割は招集されていたが、八月に入ってからの、十八歳以上四十五歳までの根こそぎ動員で、ほとんどの家が男手を奪われていた。

*3:

匪賊(ひぞく)は、「集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。
日本では、特に近代中国における非正規武装集団を指す。

*4:

「俘虜(ふりょ)」とは、現在でいう「捕虜(ほりょ)」のこと。第二次世界大戦まで日本陸軍では俘虜と呼んでいた。

*5:

苦力(クーリー)とは、奴隷制度が廃止された後、低賃金で過酷な労働を強いられた労働者。

川端康成にも失敗作がある?

海の火祭 川端康成

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川端康成全集第二十二巻の解説によると「海の火祭」は失敗作であると川端自身が認めているようです。

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「海の火祭」は川端が28歳の時に発表した作品です。

生意気を承知で言わせてもらいますと

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他の川端文学と比べてみると失敗作というより、登場人物の行動描写など、いろんな意味で作者の「若さ」を感じさせる作品でした。

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逆に言うと、ノーベル文学賞を受賞した川端康成も、最初から天才だったわけではなく、人生経験を積み重ねることですごい作家になったのがわかる小説でした。

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川端康成エジソンの名言「天才とは1%のひらめきと99%の努力」を地で行く人物だったのでしょう。すごいです。 

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その名言は、「エジソンを取材した記者が大衆ウケを狙って改編したもの」って説があるの知ってるf:id:seiyukenkyujo:20190913101958g:plain

他にもある?失敗作

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失敗作だと川端自身が認めている作品に「浅草紅団」があります。

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続編の「浅草祭」から引用させていただきますね。

浅草祭 序

この続稿の読者は、前編を参照下さるもよいが、前編未見のままでも、一向差支えない。

寧(むし)ろ前編は読まれぬ方が幸いである。

私はその前編を、今五年振りで読み返してみたのだ。続稿を書くためには、必要やむを得なくてである。

「浅草紅団」はともかくなにかと評判にはなったので、作者自らもそれにまどわされ、幻影を描いておって、作品の実体を忘れていたのではないかと疑われた。不明を恥ずるほかはないが、書きっ放しで、昨日の作品を顧(かえり)みぬ私には、ありそうなことである。

私は僅(わず)か二百頁(ページ)ばかりの旧作を略読(りゃくどく)するのに、四日も費(ついや)した。

「嘔吐(おうと)を催(もよお)すほど厭(いや)であった。」

なぜこんなものの続きを書くつもりになったかと後悔した。しかし実際、「浅草紅団」がこれほど下らない作品とは、私自身夢にも思わなかったのである。

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まぁ照れや謙遜もかなり混じっているんだとは思いますが、

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川端康成の文章は、きれいなだけでなく、かなりユーモラスです。なんか笑えます。すごいですね。・・・って、そう思ってるの私だけかな。

参考
川端康成全集第二十二巻 新潮社
浅草紅団 浅草祭 講談社

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www1.odn.ne.jp

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ふんずけられても懲(こ)りない2人

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大竹まことゴールデンラジオ!」のプレゼントに、壇蜜さんの水着が出品されたところ、「プレゼント前に水着を着てから送ってほしい」という要望がリスナー*1から寄せられました。

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ところが大竹まことさんが、「いいよ。だけど俺が着てから送るかもしれないけどね」とコメントされたんです。

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う~む、これは我々も対策を講じねばならんな。・・・ですね。

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www1.odn.ne.jp

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*1:

英語で「聞く人」のこと。音楽を聴く人、つまり コンパクトディスク(CD)、ミニディスク(MD)などの購買層を指したり、ラジオを 聞いている人の事を言うが、日本では専らラジオ聴取者のことを指すことが多い 。

四次元が見える人

おまえ四次元が見えないのf:id:seiyukenkyujo:20190816181454g:plain

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これは経済評論家森永卓郎さんの体験談です。もうちょっと詳しく説明します。

 東大に入って最初の数学の試験問題が

「四次元の球の表面積を計算しなさい」

全然わからなくて、だけど周りにはさっさと答えを書いて提出している人がいて

試験が終わってからその生徒にたずねたところ・・・「おまえ四次元が見えないの?」と言われたんですね。

「世の中にはすごい人がいるんだなあ。アインシュタインは8次元まで見えたそうです。自分は今も四次元は見えません(笑)」

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と、森永卓郎さんはコメントされてました。

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わたしは平凡な人間ですから、このエピソードには感心するばかりなんですが、こういう「前向きな解釈」もできるんじゃないかと思います。

すごく斬新な、アニメ・映画・その他の作品を見て衝撃を受けた。その後、いままでなら満足していた作品を見ても、どこか物足りなく感じてしまう自分がいる。

知ることで人間は成長するf:id:seiyukenkyujo:20190807012905g:plain

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つまり知っていることが増えると、見える世界が変わり、それまでの自分の価値観では満足できなくなるんですね。知ることで人間は成長するんです。

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「四次元が見える人がいるんだ・・・自分はどうだろうf:id:seiyukenkyujo:20191122020501g:plain」と切磋琢磨することで、そのうち四次元が見えるようになるかも知れませんよ。 

絶対音感相対音感

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絶対音感は遅くても7歳まで、相対音感は努力次第で年齢は関係ないと云われているが、四次元はどうなのかな。

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www1.odn.ne.jp

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ガン治療最前線

光免疫療法

本日放送された、TBSラジオ森本毅郎・スタンバイ!」からの情報です。

 

 酒井綱一郎

関西医科大学が、第五のガン治療法として期待が集まっている「光免疫療法」(ひかりめんえきりょうほう) の、世界で初めての研究所を来年設立するって発表したんですよ。

今、ガンの治療というのは

1.外科手術

2.放射線治療

3.抗がん剤

4.免疫薬*1

それに加えて、5つ目の治療法として登場したのが「光免疫療法」なんです。

 

オバマ大統領のお墨付き 

酒井綱一郎

光免疫療法は、アメリカの国立衛生研究所に小林久隆(こばやしひさたか)さんという主任研究員がいるんですけれども、その方が発明したやり方で、

2012年にオバマ大統領が一般教書演説で「偉大な研究成果だ」って発表したんです。だから注目はもともとされていたんです。

森本毅郎

2012年って、ずいぶん前ですね。

酒井綱一郎

前なんですけれども、やっぱりこれでどういうふうに治していけるのかって研究してきて、ようやく日本で研究所をつくれるくらいまでなってきたって話なんですね。

 

光免疫療法ってどんな治療法? 

酒井綱一郎

まず、がん細胞と結びつく薬 (薬剤) を患者へ投与するんですよ。そうすると薬剤がガン細胞のところだけに集まるんです。

そうするとそれが目印になるじゃないですか。そこに赤外線のレーザーを当てるんです。

それでがん細胞だけが破壊されるって治療なんです。

ガン細胞に薬が集まるのに24時間ぐらいかかるらしいんですね。

ただし、レーザーでやるのは一か所だと5~6分で済む。

 

光免疫療法のメリット

酒井綱一郎

何がいいかって言うと、5~6分で済むっていうのと、がん細胞だけ壊すんですね。

他の治療法ってのはどうしても、たとえば手術でも、健康な細胞まで取っちゃうっていうのがあるじゃないですか。

だからいろんな副作用がでるんですけれども、これはがん細胞だけやっつけるので、他の細胞を傷つけない、そういうメリットがあるんですね。

で、実際の臨床試験、いわゆる治験でどうだったのって話なんですが、

これはアメリカでやったんですけれども、従来の治療では効果がなかった、首から上の頭頚部ですね、このがんの患者さん、30人のうち4割でがんが消えたり、縮んだりしているという効果が出てるんですよ。

森本毅郎

首から上のガンというのは?

酒井綱一郎

甲状腺とか、舌、口、鼻、耳。

で、日本でも去年から一部の病院で治療法が始まった、という話なんです。

 

保険適用されるかどうか

酒井綱一郎

今のところ、皮膚の表面に出来るガン、扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)っていうんですけれども、そのガンについては日本で保険適用されているんです。

さらに条件が付いていて

外科的な手術とか、他の治療で無理な場合に、保険適用としてやっていいですよって話になっているんですよ。

 

今後の展望は

酒井綱一郎

これから小林先生が日本にやって来て、いろんながんに応用範囲を広げていこうと、今、しているところです。

小林先生は、将来的には、乳がんとか食道がん、子宮頸がんなんかを対象としてやってみたいと

将来的にはがん患者の8割ぐらいに役に立てるようにしたいっていう話をされてるんですね。

だからこれ、どれだけ適用範囲が広がるのかっていうのが大きなポイントになってくる。

森本毅郎

患者さんへの負担ってのも、ものすごく今までよりも、軽くなりますよね。

酒井綱一郎

副作用がない点では軽くなるのと、もうひとつ大きいのは、実はこれ、がんだけをやっつけるでしょう。

がんをやっつけたときに人間が持っている免疫力を高める効果がある。

そうすると、人間の免疫力が高まって「ガン細胞を自分の力でやっつけていく」っていう、そういうところも、今、研究がさらに進んでいるっていうことです。

 

光免疫療法の研究所は、どこに?

酒井綱一郎

関西医科大学の中に、2022年の4月に、30人体制ぐらいでやるっていうので、すごく期待したいなあって思ってるんですよね。

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「光免疫療法」「小林久隆」のワードでネット検索したら、いっぱいヒットしました。

川端康成の小説に、肺病(結核患者)のでてくるお話があります。

がんも結核のように、あまり怖がる必要のない時代がくるといいですね。ただ、自分は・・・間に合わねぇだろうなぁ。

なんにせよ、いい世の中に❤

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*1:

オプジーボという京大の本庶先生がノーベル賞をとった、免疫薬で免疫力を高める治療法

変態は時代と共に・・・

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・・・変態(へんたい)小説ですぅ。 

指環(ゆびわ) 川端康成

貧しい法科大学生が翻訳(ほんやく)の仕事を持って山の温泉場へ行った。

都会から来た芸者が三人団扇(うちわ)を顔にあてて、林の中の小亭(しょうてい)で昼寝をしていた。

林のはずれの石段から彼は渓流へ下りた。蜻蛉(とんぼ)が群れ飛んでいる流れを、大きな岩が二つに割っている。

その岩を穿(うが)った湯船に少女が裸で立っていた。

十一か十二と思うと彼は憚(はばか)らずに、浴衣(ゆかた)を川原に脱ぎ棄(す)てて、少女の足もとの湯に身を沈めた。

手持無沙汰(てもちぶさた)らしい少女は、薔薇色(ばらいろ)に上気したからだ全体に彼の親しみを誘う素振りを見せて微笑した。

からだを一目見ると芸者家の子だと分った。官能の享楽(きょうらく)を男に与えるという未来の目的を早くも感じている病的な美しさがあった。彼の眼(め)は驚いて感覚を扇のように拡げた。

突然少女は左手を持ち上げて、軽々と叫んだ。

「あら!はずすのをすっかり忘れていたわ。そのまま入ったんだわ。」

思わず誘われて、彼は少女の手を見上げた。

「ちび奴(め)!」

少女に巧(うま)く乗せられたいまいましさよりも、彼はその瞬間に激しい嫌悪(けんお)を感じた。

指環が見せたいのだ。——温泉に入るとき指環は外すものか外さないものか、彼は知らないが、子供の計略にかかったことだけは明らかであった。

彼は自分で思ったより以上に不愉快な顔を見せたのであろう。少女は赤くなって指環をいじっていた。彼は自分の大人気なさを苦笑に紛(まぎ)らわしてから、何気なく言った。

「いい指環ですね。見せてごらん。」

「蛋白石(オパアル)よ。」

果して少女は嬉(うれ)しそうに言うと、湯船にしゃがんだ。指環のある片手を彼に渡すはずみによろついて彼の肩に片手を置いた。

「蛋白石?」

「ええ。——私まだ指が細いでしょう。金(きん)で特別に拵(こしら)えてもらったのよ。でも石が大き過ぎるんですって。」

彼は少女の小さい手を弄(もてあそ)んでいた。温かく柔らかに光っている玉子色に紫を含んだ石が非常に美しく見えてきた。

少女は真向きに身を近々と寄せて彼の顔を見ながら、いかにも満足そうであった。

この少女は、指環をもっとよく見せるためになら、裸のまま彼の膝に抱きしめられても驚かないのかもしれない。 

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21世紀の視点

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変態(へんたい)小説ですぅ・・・。

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時代背景を考慮した視点

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ドラえもんのしずかちゃんのお風呂シーンと同じように、この小説が発表された当時は、まったく問題のない描写だったんだろうな。

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そういう意味では、川端康成「指輪」は、時代の「空気」や「変化」も、タイムカプセルのように内包している小説のひとつだと言えるだろう。

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そのどちらでもない視点

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いい男だとのび太さんのエッチf:id:seiyukenkyujo:20190822201734g:plainのように・・・。怒られたりしないんですね、勉強になります。

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演劇的な視点

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セリフは同じだがこの感情表現は・・・。勉強になります。

参考
掌の小説 新潮文庫

www1.odn.ne.jp

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